創価学会と鬼畜・日本共産党の偽装敵対 前回に、創価学会と鬼畜・日本共産党の偽装敵対を書きました。 日本共産党は発足当時は物凄く純粋だったはずです。 それが、どうして、こうなったか? 創価学会では昭和60年頃、「日本共産党はCIAから金を貰っている」と言われていました。 インターネットの無い時代です。 誰かが言い始めて、本当のこととして流れ始めたのか、本当だったのか、調べようがありません。 しかし、それが本当なら話の辻褄が合います。 鬼畜・日本共産党は創価学会の核心を突くことが、それ故に出来ないのです。 昭和42年頃、日大グラウンドで、創価学会批判本10万冊が燃やされたこと知っておられるでしょうか? 植村左内という創価学会員が書いたものです。 私はその第二版を持っていて、読みました。 痛い本でした(私は創価学会弁護士から脅されて創価学会批判本は全て捨てました)。 第一版は物凄く痛い本だったと言うことで、燃やされている10万冊の中から取り出された本が、現在、非常な高値で取り引きされています。 おそらく00000000のことが書いてあったのだと思います。 第二版では、00000000が削られていたのだと思います。 植村左内はその直後、鬼畜・日本共産党に入るのですが、その後、創価学会批判本および論考も1つも書いていません。 鬼畜・日本共産党のトップから「書くな!」と命令されたと思われます。 にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ これからも鬼畜・日本共産党の上層部は日本の裏社会と繋がっていると思われます。 そして鬼畜・日本共産党はこの事件(日大グラウンドで10万冊)を知っていたが、これには触れず、全く痛くも痒くもない大学教授の本を問題視して国会で 昭和45年 「言論問題」争いました(プロレスです)。 核心反らしでした。 (なお、昭和44年頃、非常に痛い本が出版されたそうですが、私は読んでいません。鬼畜・日本共産党はこれにも全く触れません) 日大グラウンドで創価学会批判の非常に痛い本(植村左内著)が昭和42年頃、10万冊焼却処分になったのは、日大の学長(または一番力あるいは影響力があった人)が右翼だったからと説明が出来ます (創価学会3代とも右翼(極右)です) 。 日本共産党は創価学会が行っている「追跡など」(非常に多くの人が大変な迷惑を受けていた) (←ここは突けるはず) (また、脱会者には猫の死体を玄関に置くなどは常識として行れていた) (←ここは突けるはず) を常識として知っていたが、国会で全くそれを追及しなかった。 鬼畜・日本共産党は創価学会の 痛くない所を選んで突いてきていました。 鬼畜・日本共産党と創価学会の最上層部は手を結んでいたのです。 (創価学会男子部は見抜いていました) 末端は血みどろの闘いをしてましたが。 鬼畜・日本共産党と創価学会はお互い、痛くない所を突き合ってプロレス(喧嘩するフリ)をしていた。(創価学会男子部は見抜いていました) 創価学会(公明党)は3代会長まで極右であり、自民党右派(安倍首相、私はファンですが)との現在の協力体制は予定されていたことと思われます。 にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ 創価学会3代まで極右であることは以前のブログ(公開停止中? https://ameblo.jp/momoko-006/entry-12657658056.html )に載せています。 自民党の右派と公明党(極右)が連立することはずっと以前からの既定路線であったようです。 公明党は「中道(右派でも左派でもない)」と創価学会員には言っていましたが、元から極右でした。 これを知っていたのは創価学会中央だけで、末端は何も知らなかった。 他にも、これ(創価学会と鬼畜・日本共産党の偽装敵対)を証明する点が幾つかあるが、書くのは憚られる。 (完)
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