http://www.asyura2.com/21/bd63/msg/563.html
Tweet |
・
◆ 私たちの世界は「バーチャル」です。例えると「三重の円構造」で、外の円が「真実の世界」、中の円が「メタバースの世界」、内の円が「VRの世界」です。(肉体は真実の世界に有ります)。
◆ 2025年の「意識の転換開始」に向けて経済・社会構造が激変します。自然環境を破壊尽くし、野生生物を殺し尽くし、地下資源を掘り尽くし、食料を食い散らかす「今の意識構造」が転換します。
◆ 2040年ごろの「世界の終わり」に向けて「意識転換する人間」と「しない人間」に二極分化し、「する人間」は意識進化し、「しない人間」は今の地球に残って「進化できない意識」が消滅します。
◆ 「真実の世界」は「今の世界」の延長上に有ります。私たちの「意識レベル」が真実の世界にシンクロした時に「ゲーム」が終わり、(メタバースに閉じ込められた)「自分の意識」が肉体に戻ります。
・
・
・
@ ところで、『ロスチャイルドの陰謀論・『ロスチャイルドは、シオニズム運動に消極的だった』に、ご興味をお持ちでしょうか。
今回は、シオニズム運動において、ロスチャイルドは消極的であり、シオニストたちとは異なる見解を持っていた点について考えてみたいと思います。
A 初めに、文献『ロスチャイルド家と最高のワイン・・・・・』から。
文献・『ロスチャイルド家と最高のワイン・・・・・』(ヨアヒム・クルツ著作、瀬野文教の翻訳、2007年、日本経済新聞出版社の出版)、
(ある読者の「要約した読書感想」によると)、
『ロスチャイルド家は、以前から、世界中のユダヤ教徒に支援をし、パレスチナにおいても、資金援助などをしていた』、らしいそうだ。
そして、
『ロスチャイルド家と、シオニストの間には、繰り返し論争が発生した。つまり、シオニストたちの目的は「パレスチナにユダヤ人国家を建設する事」だったが、ロスチャイルド家は「迫害された東欧のユダヤ人に避難場所を提供する事であり、必ずしも、国家建設にまで及んでいない事」だった』、そうだ。
その理由は、
『ロスチャイルド家の権力や名誉ある地位は、ヨーロッパ社会の中で、長年にわたって苦労に苦労を重ねて勝ち取ってきたものだから、「波風」を立てたくなかった。』、らしいそうだ。
つまり、
『パレスチナにユダヤ人国家が建設されると、ヨーロッパ各国政府が「反ユダヤ主義政策」を推し進めて、「自国内のユダヤ人を追放しようとするかも知れない」と考えた。
その主張の背景には、
『ロスチャイルド家は、どの分家も、自分たちは「ヨーロッパ人」であると自覚しており、その所属する国家と強く結ばれていた。』、らしいそうだ。(★ある読者の読書感想です)。
B 用語。
◆シオニズム運動とは。(国語辞典)。
パレスチナにユダヤ人国家を建設しようとする運動。19世紀末に興起し、1948年にイスラエル国家を実現した。
◆シオンとは。(国語辞典)。
エルサレム市外に有る丘の名前。ダビデ王の城や墓が有る。シオニズム運動の象徴。
◆ロスチャイルドとは。(国語辞典)。
ユダヤ系の金融業者の一族。イギリス最大の富豪。始祖のマイヤー・アムシェル・ロートシルト(1743か1744-1812)が、18世紀末にフランクフルトで金融業を始めて富貴の基礎を作り、その孫に至ってイギリスの貴族に列して、一族はヨーロッパ各地で金融業を営む。(★ロートシルトはドイツ語読み)。
C ロスチャイルドは、「反ユダヤ主義」を恐れて「シオニズム運動」に消極的だった。
◆キリスト教会が「反ユダヤ主義」の筆頭だった。
「一神教」のキリスト教にとって、ユダヤ教を認めることは絶対に出来ず、排除の対象だった。古代から続いたユダヤ人の迫害の先導者はローマ教会だった。
◆「異民族のユダヤ人」との対立。
西欧には「ゲルマン民族」(アーリア人)などの固有の民族が有り、彼らから見ての「異民族」は迫害の対象だった。(異民族で異教徒のユダヤ人は(二重の意味で)迫害の対象にされた)。
◆国家レベルの迫害に、ロスチャイルドは無力だった。
ナチスドイツでは、「ユダヤ人の排斥運動」が起こると、大半が追放や虐殺の対象にされたが、結果として、ドイツのロスチャイルドは、ナチスドイツ(ドイツ国民)によって叩き潰された。
◆だから、ロスチャイルドは、その国家国民を恐れた。
ロスチャイルドの「金融力」は、暴徒の前には無力だった。(暴徒が、フランス革命や、ロシア革命を起こす力を持っていることを、ロスチャイルドは恐れていたから、「波風」を立てないように生きてきた)。
現実に、
ナチスドイツが権力を握ったドイツでは、ドイツ国民の暴力の前にロスチャイルド家はボコボコにされたし、ドイツに併合されたオーストリアでも、ロスチャイルド家は叩きのめされた。
★Aに書いたように、民衆を暴徒化させないために、波風を立てないように静かに生きたかった。
D ヒトラーから見た「ユダヤ人問題」。
◆ヒトラーは、ホントは、(ユダヤ人を殺害せずに)、素っ裸にして国外に追放したかった。
1933年(昭和8年)にドイツで「ヒトラー内閣」が成立したが、1939年(昭和14年)の第二次世界大戦の勃発までの間は、『ユダヤ人を殺害せずに、素っ裸にして国外に追放したかった』のがホントです。
ところが、
世界は「金本位制の崩壊」や、「1929年のニューヨーク株式大暴落」や、「ブロック経済による自由貿易の制限」やらで、「世界恐慌の最中」でしたから、「富を持たない貧民」なんかを受け入れる国は皆無でした。(おまけに、「金を持っていないユダヤ人」なんか欲しがる国は存在しません)。
ヒトラー内閣は、公共事業で経済を浮揚させたが「財政は火の車」でしたから、外貨やマルクの持ち出しを認めたくなかった。しかしユダヤ人は追放したい。(ヒトラー内閣のジレンマ)。
結局、
最終的に、侵略したポーランドの「最終処分場」に、「ユダヤ人を廃棄・埋立て処分」にした。
◆ナチスドイツは、ドイツやオーストリアのユダヤ人の「国外移住」を命じていた。
1937年末の時点で、ドイツ国内で、ナチスは「ユダヤ人処理のための移住促進政策」をとっていた。(★1941年10月には、ナチスドイツの「ユダヤ人移住・追放計画」が終了している)。
そして、
1938年に、オーストリアを併合したナチスドイツは、(あの有名な)「アイヒマン」を派遣して、シオニストの「パレスチナ移住支援組織」に対し、2万人の貧困ユダヤ人を移住させるように要求している。
もちろん、
移住の費用はシオニスト側の負担だが、大事な事は、ポーランドに大規模収容施設を建設するまでは、ドイツやオーストリアでは、大虐殺では無く「追放処分を行っていた事」だった。
また、
ユダヤ人の移住の支援を行ったのは、ドイツ・イギリス・フランスなどのユダヤ人支援団体だった。
◆ヒトラーは、「ソ連との密約」と「ポーランド侵攻」を開始するまでは、イギリスやフランスを刺激しないような政策をとっていたので、ユダヤ人の処分問題も平和的に行っていた。
E 「シオニズム運動のパレスチナ案」は、人気が無く、手を挙げる者は1割に満たなかった。
1882年の「ロシアのユダヤ人大虐殺」や、1894年の「フランスのドレフェス事件」による「反ユダヤ主義」の台頭の中から、「シオニズム運動」が発生した。
しかし、
「パレスチナへの移住案」はユダヤ人の賛同を得られず、ロシアでは(パレスチナでは無く)アメリカへの脱出が多くて、1881年から1914年までの間に260万人がアメリカに渡っている。
この点について、
「パレスチナの人口推移」では、1800年頃のユダヤ人数は6,700人(全人口27万人程度)、1880年で24,000人(全人口55万人程度)、1915年で87,500人(全人口68万人程度)、1931年で174,000人(全人口101万人程度)のようだ。(★要確認の事)。
★パレスチナは、1900年頃は、全人口で60万人程度しか養えない「農村レベルの貧しい環境」だったから、西欧の「都会慣れした中産階級のユダヤ人」にとっては「住みたくない土地」だったようだ。
(ホロコーストが現実になるまでの「パレスチナ移住」は、閑古鳥が鳴いていたそうです)。
F★ 毎回における、お断り。
私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。
★ どう思われますか。
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ63掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ63掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。