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(回答先: 『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』の疑問点/Kona 投稿者 仁王像 日時 2022 年 8 月 31 日 12:23:54)
[3459]Re:『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』の疑問点/下條竜夫
投稿者:下條竜夫
投稿日:2022-08-14 17:56:21
kona様
http://snsi.jp/bbs/page/1/
丁寧な解説どうもありがとうございます。小林恵子説よくわかりました。
>小林説では、邪馬台国は複数あり、卑弥呼も複数いるということになります。
そうなんですね、私は昔小林恵子の本を読んだだけなので誤解していました。
二重説(あるいは多重説)ということですね。
あと『三国史記』がそれほど信頼性が高い文献なのも初めて知りました。
小林恵子の本は一時真剣に読みました。聖徳太子が王子タルドウ
とか、おもしろかったですが、邪馬台国のところは残念ながら
ついていけませんでした。読み直してみます。
>ただ、果たして「魏王朝との縁戚関係」がなければ贈られないものなのでしょうか?
私はそう思っておりますし、そう考えないと説明できません。
以上です。
下條竜夫拝
[3458]『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』の疑問点(続)
投稿者:kona(会員番号2054)
投稿日:2022-08-14 12:07:53
http://snsi.jp/bbs/page/1/
konaです。下條先生、丁寧なご返信をありがとうございました。
私の説明が稚拙で誤解を生じたと思いますので、補足をした上で、下條説への疑問を追加で提示したいと思います。
(1)小林説による邪馬台国の比定について
下條先生は「奄美大島とすると狗奴国をどう説明するか疑問」であるとしています。しかし、それは小林説への誤解です。
小林説では、第一の邪馬台国を奄美大島としていますがそれは紀元前後の話です。魏志倭人伝では気候風土や邪馬台国への道程については紀元前後の倭人(南西諸国の倭人)についての伝承を記載したのだと思います。しかし、それは3世紀中頃の邪馬台国とは別物です。
魏志倭人伝の国々の関係の条では「北に奴国、南に狗奴国(熊本県菊池市)がある」とあるため、明らかに奄美大島ではありません。邪馬台国はその間の伊都国あたりとしており、奄美大島からは切り離しています。つまり狗奴国の比定については小林説は下條先生と見解が一致するはずです。
ただ、この南方の奄美大島に(第一の)邪馬台国が存在したとすれば、下條説では整合的な説明ができなくなります。第1の邪馬台国が奄美大島であれば、卑弥呼も奄美大島に存在したことになります。この卑弥呼は何者なの?という問題を避けて通れなくなります。
下條説では邪馬台国を「太宰府」と決め打ちしますが、それでは、魏志倭人伝の気候風土の説明は無視することになります。奄美大島と比定すれば、邪馬台国への道程も論理の飛躍を少なくして説明可能です。下條説での読み替え(20日を20里を読み替えるなど)は無理矢理の解釈のように思います。
なお、小林説では、邪馬台国は複数あり、卑弥呼も複数いるということになります。
(2)新羅本紀について
小林恵子によれば『三国史記』は一級の史料となります。
(引用はじめ・『海翔ける白鳥・ヤマトタケルの景行朝』p61)
12世紀成立の『三国史記』は、「新羅本紀」・「高句麗本紀」・「百済本紀」・「雑志」・「列伝」に別れている。『三国史記』は、中国の『三国志』・『晋書』はもとより『記紀』よりもはるか後年に完成したので、とかく軽視されがちである。それぞれの国に原史料(旧三国史記)があり、それをもとに編纂されたと考えられているが、そのせいか、私のみるところ、建国伝説や国王の血脈など、故意に隠蔽したり、捏造したりしている部分もあるが、それ以外は実に正確に当時の歴史事実を記録した一級の史書である。」(引用終わり)
邪馬台国当時の「日本列島の国際的位置を知るには、中国、朝鮮半島の史料と『記紀』の綿密な読み合わせが必要」(「江南〜神武」p12)とするのが小林説における古代史アプローチ方法になります。下條先生はいかがでしょうか。
(3)金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)について
確かに下條説の通り、王室との縁戚関係があればこの鉄鏡を贈られることは自然です。しかし、その1点だけでは「間違いなく正しい」と首肯するのもできません。
私には評価判断するだけの知識はありません。ただ、果たして「魏王朝との縁戚関係」がなければ贈られないものなのでしょうか?
以上です。
[3456]Re : 『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』の疑問点
投稿者:下條竜夫
投稿日:2022-08-13 15:21:33
Kona様
http://snsi.jp/bbs/page/1/
私の拙本『物理学者が解き明かす邪馬台国の謎』をお読みいただきどうもありがとうございます。また長文の御批評もありがとうございます。
物理学者が解き明かす邪馬台国の謎 卑弥呼の本名は玉姫であり、邪馬台国は太宰府にあった
以下、私の答えうる範囲の返答を記します。
1)小林恵子(こばやしやすこ)説は、確か奄美大島を邪馬台国と比定していると記憶しています。確かに風俗がそれであうのでしょうが、狗奴国をどう説明するのかなど疑問が多いと私自身は思いました。
2)
>173年に卑弥呼が存在しているならば、張氏一族が倭国に渡海する「前」となる。この新羅本紀については>下條氏の著作では言及がありませんが、新羅本紀の記載を正しいことを前提にした場合、卑弥呼を張玉蘭>とするには疑問が残ります。
>小林説は、黄巾の乱に先立つ巫術者の反乱である許氏の乱(172年)に着目し、卑弥呼を許氏一族(具体的>には許黄玉)としている。許氏一族も張氏一族と同じく、中国大陸の貴種であり、巫術の名門である。新>羅本紀にあるとおり、当時、半島南部で勢力を持った狗邪韓国の阿達羅王と呼応したと考えると年代も一>致します。
新羅本紀は読んでおりませんでした。ので、非常に参考になりました。
ただし、新羅本紀は1150年ごろに書かれたものと理解しております。ほぼ同時代に書かれた三国志の方が文献としては信頼性が高いと思いますがどうでしょうか?
>下條説では、「何年に何があった」という史料の記載に合致しないため、許氏一族ではなく張氏一族であ>る理由を説明する必要があるように思います。
道教であることは確かであるが、張氏とは認められないとの意見理解しました。
それでは、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさく がんしゅ りゅうもん てっきょう)が、なぜ日本にかるのかを考えていただきたいと思います。
この鏡は大分で発見された魏の王朝の鏡です。大分の日田(ひだ)という所で見つかった鉄製の鏡を調べたところ、中国の魏の王室で使われていた鉄鏡と酷似するものであるということがわかりました。
<引用開始>
卑弥呼の鏡「可能性高い」 大分・日田で出土の鉄鏡「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」 中国・曹操(そうそう)陵の発掘責任者が見解
「三国志の英雄」として知られる曹操(一五五〜二二〇年)の墓「曹操高陵」を発掘した中国・河南省(かなんしょう)文物考古研究院の潘偉斌(ハン・イヒン)氏が、大分県日田市のダンワラ古墳出土と伝わる国重要文化財「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」を、邪馬台国の女王・卑弥呼がもらった「銅鏡百枚」の一枚である可能性が高いとする見解を明らかにした。佐賀新聞社の取材に応じた。
卑弥呼がもらった鏡は、邪馬台国の謎を解明する重要な鍵とされており、今回の指摘は邪馬台国論争に一石を投じそうだ。
ダンワラ古墳の鉄鏡は直径21・1センチ。鉄の鏡体の背面に金や銀を埋め込む象眼「金銀錯」が施され、朱色のうるしで彩色した珠がはめ込まれている。手足の長い龍のような怪獣が多数描かれ、銘文は「長=。孫」(欠落部分の■は「子」と推測される)の四文字が刻んである。九州国立博物館が管理している。
(佐賀新聞より引用)
<引用終了>
この発見は最近なので、誰もなぜ大分にこの鏡があるのか説明できていません。
実は、曹操が漢王朝にこの鏡を贈っており、上の直径21・1センチは「貴人・公主(姫)」クラスの人への贈り物です。魏王朝でも同じかどうかはわかりませんが、同様に考えれば、曹操の息子か娘しか、この鏡は持てないことになります。なぜそんな貴重な鏡が日本にあるのか?この事実をぜひじっくり考えていただきたいと思います。
3)気候風土に関しては、私もおかしいとは思いますが、Konaさんが指摘のように2つの報告書をくっつけたところからきていると思います。それ以上にはわかりません。
>(2)邪馬台国は「間違いなく」太宰府にあったか?
>下條説では「間違いなく」太宰府としているため、本当に間違いはないのだろうか?
>下條説は大きくは北九州説ですが、北九州説では、気候風土が合わないという致命的な問題点がある。魏>志倭人伝にある邪馬台国の気候風土は熱帯から亜熱帯であり、近畿は寒すぎて話にならないし、北九州だ>としても特に冬はやっぱり寒い。
ただ、考えていただきたいのは、実は私が使っている二十日を二十里に、一月を一里に変換しているやり方は歴史学では許されないらしい(タブー)ということです。だから、誰もそういう読み替えはしてきませんでした。歴史は文があって初めて議論できます。それが間違いというならば相当の根拠が必要ですが、同時代の違う文書がないのでそれができません。
これは卑弥呼の本名もいっしょで、私は
王卑弥呼(=王姫巫女)
を
玉姫巫女(たまひめみこ)
と読みかえました。これも歴史学では多分許されないことでしょう。
私はこの変換が可能であれば「間違いなく」邪馬台国は大宰府だと思います。
4)縁戚関係では弱いということですが、これも、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡を中心に考えていただきたいと思います。
>(3)卑弥呼への金印紫綬の理由について
>Konaです。当時、魏の内部では、司馬懿と王室(明帝)の権力闘争があり、その魏の政争が朝鮮半島や日>本列島にも影響を与えていたことは想像に難くありません。そのため、単なる「縁戚関係による温情」で>はなく、自勢力を補完するための懐柔策とすることは合理的な理由として納得できます。
5)
>なお著作全体を通じてですが、岡田先生や引用する他の先生方を「大家、有名、知識を縦横無尽に駆使、>中国の指導者が絶賛」などと修飾されている表現がかなり見受けられます。私はそういう表現は多用すべ>きではないと思います。
岡田英弘氏は残念ながら、その業績に見合った評価を受けていません。私の本の最初の批評が「岡田英弘の理論をつかっている時点でこの本は駄本である」でした。そんな感じですので、敢えて称揚しました。ご理解ください。
今後とも学問道場をよろしくおねがいします。
下條竜夫拝
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