http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/899.html
Tweet |
(回答先: 旭川の教育の荒廃は内地との経済格差と日本政府の北海道無人化政策から生まれた 投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 09 日 00:03:07)
自民党の北海道無人化政策が旭川を児童売春をさせないと食べていけない極貧の無法地帯にした
急激な人口減を迎えている地方では、これまで「文明のエリア」と「野生のエリア」の間にあって、緩衝帯として機能していた里山が無くなりつつあり、里山に無住の集落が発生してきています。無住の集落は短期間に廃村となり、山に飲み込まれます。
21世紀の終わりの日本の人口は厚労省の中位推計で4850万人です。今の人口が1億2600万ですから、80年間に7000万人以上減る勘定です。年間90万人というペースです。日本政府はこの人口減少に対して、国としての基本方針を示しておりません。シナリオは「資源を地方に分散する」か「都市に集中するか」の二つしかありません。
本来なら、政府はこの二つのシナリオを国民の前に提示して、それぞれのメリット、デメリットを列挙した上で、合意形成をはかるべきなのですが、それをしていない。国策についての国民的議論を回避したまま、「都市一極集中」というシナリオを無言で実践している。これは民主国家においてあってはならないことだと思います。国民の同意を取り付けないままに、「地方切り捨て」を黙って続けて、ある時点でもう地方再生が不可能というポイント・オブ・ノーリターンを過ぎてから、「やはり都市集中しかない」となし崩しに持って行く。政官財はそういう計画でいます。しかし、黙って政策を実行しているので、地方が切り捨てられた場合に「何が起こるか?」ということは議論のテーブルに上がってこない。その話はしない約束になっている。そして、「人口の少ないところに暮している国民は、都市に暮している国民と同等の行政サービスを受ける資格がない」という主張だけが、一部の政治家やメディアを通じて、拡散されています。すでに、JRは赤字路線を次々と廃線にしています。その時のロジックは、「人口の少ないところに住んでいる人たちは、そこに住むことを自己決定しているわけだから、自己責任で不便に耐えなければならない」というものです。自分の好きで過疎地に住んでいる人間が「便利な暮らし」を求めて、税金の支出を求めるのはフェアではない、と。
実際に、そのようなロジックに基づいて、公共交通機関は廃止されています。行政機関も統廃合されている。そして、過疎地では、医療機関もない、学校もない、警察も消防もないという状態になりつつある。そういう不便なところに住むことを自己決定している人間は、その不便に耐えるべきだという意見はもう既に日本国民のマジョリティを占めていると思います。
しかし、この言い分に一度頷いてしまうと、後もどりが効きません。この後、人々が里山を捨てて、地方の中核都市に移動したとしても、遠からずそこも「過疎の都市」になります。そうしたら、同じロジックで、「不便なところに自分の意思で住んでいる人間は、その不便を甘受すべきで、税金を投じて都市と同じサービスを享受する権利はない」と切り捨てられる。そんなことが二、三回続けば、日本国内に文明的な生活が出来る圏域は太平洋ベルト地帯の都市部だけになります。
現在の日本政府はそういうシナリオを描いていると思います。それを国民に開示して、議論したり、同意を求めたりということをしないのは、「地方を捨てます」と宣言した途端に地方の選挙区で自民党が惨敗して、政権から転落することが確実だからです。だから、人口急減という危機的局面を迎えながら、それについては「何も言わない」という任務放棄が公然と行われている。
しかし、すでに過疎地での「野生の侵略」はかなりのスピードで進行しています。僕の友人の話ですが、先祖のお墓が西日本の過疎地にあります。お墓の管理はいとこがしてくれている。祖父母のお墓参りに行こうと思って、そのいとこに連絡したところ、「もう無理」という返事があったそうです。お墓のある集落が無人になり、「山に呑まれて」しまったというのです。集落へ行く道も藪に覆われて、通れない。獣も出るし、蛇もいるので、怖くて、かつて祖父母のいた集落にはもう入ることができないと言われたそうです。これに類したことは、急激な人口減を迎えている日本中の土地で今同時多発的に起きていると思います。
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。