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(回答先: 中国もソ連も共産主義でなく単なるファシズム・全体主義・国家社会主義だよ 投稿者 中川隆 日時 2021 年 7 月 08 日 20:22:33)
1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれ、中国との戦争で日本が最前線に立たされる事になった
岸信夫防衛相は7月13日の閣議で2021年版の防衛白書を報告した。その中で「台湾をめぐる情勢の安定」が日本の「安全保障にとってはもとより、国際社会の安定にとっても重要」だと主張、日本が台湾問題へ積極的に関わっていくとするメッセージを発信した。こうした見解はアメリカ側の意向を反映したものであり、ジョー・バイデン政権が歓迎したのは当然だろう。
白書が公表される前、6月28日に中山泰秀防衛副大臣はネオコン系シンクタンクのハドソン研究所で講演、中国とロシアの脅威を強調し、中国がミサイルでアメリカの東海岸やホワイトハウスに照準を定めることは可能だと語ったという。アメリカは1950年代からミサイルで中国やソ連を攻撃する能力を持ち、しかも実際に使う計画だったのだが、そうしたことは忘れている。
勿論、中国やロシアはアメリカの東海岸やホワイトハウスをミサイルで攻撃する能力を持っているが、その能力は飛躍的に高まっている。例えば、ロシアが航行させている巨大原子力潜水艦「ベルゴロド」には津波を引き起こせるという核弾頭を搭載した原子力推進の水中ドローンが搭載され、イギリスのサン紙はこの空母を「シティ・キラー」と呼んでいる。このドローンは人工知能で航行するという。防衛副大臣ならば、そうした兵器が使われないようにすることを考えるべきなのだが、中山は脅威を煽っているだけのようにしか思えない。
また、麻生太郎副総理兼財務相は7月5日、台湾海峡で「大きな問題が起き、日本にとって『次は』となれば、存立危機事態に関係してくるといってもおかしくない。日米で一緒に台湾の防衛をやらないといけない」と自民党衆院議員の会合で述べたという。
「存立危機事態」とは、2015年に成立した安全保障法制で、集団的自衛権を使う際の前提条件として規定された。日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態だという。
この前提条件で意味のある語句は「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」だけだろう。2003年3月にアメリカ軍が従属国軍を引き連れてイラクを先制攻撃する前、ジョージ・W・ブッシュ政権はイラクが「大量破壊兵器」を保有し、今にもアメリカを核攻撃するかのように宣伝していた。勿論、そのような兵器をイラクは持っていなかったのだが、アメリカの「存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とされたのだ。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、イラクへの先制攻撃は1992年2月にアメリカ国防総省のDPG草案という形で作成された世界制覇プランに基づく。このプランは「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。1991年12月にソ連が消滅、アメリカが「唯一の超大国」になったという認識に基づいて書き上げられた。
当然、そうした流れに日本も巻き込まれる。アメリカのネオコンは日本を自分たちの戦争マシーンに組み込もうとするのだが、細川護煕政権は国連中心主義を放棄しない。そこで細川政権は1994年4月に潰されてしまった。
細川政権が設置した諮問機関の防衛問題懇談会はその年の8月に「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」というタイトルの報告書を発表したが、やはり国連中心主義に基づいて書かれていた。そこでネオコンのマイケル・グリーンとパトリック・クローニンはカート・キャンベル国防次官補(当時)を説得、ジョセイフ・ナイ国防次官補(同)らに自分たちの考えを売り込んだ。そしてナイは1995年2月に「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表する。そこには在日米軍基地の機能を強化、その使用制限の緩和/撤廃が謳われていた。
それでも日本をアメリカの戦争マシーンへ組み込むことに抵抗する人もいたようだが、そうした意見を吹き飛ばすような出来事が立て続けに引き起こされる。例えば1994年6月の松本サリン事件、95年3月の地下鉄サリン事件、その直後には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されている。1995年8月にはアメリカ軍の準機関紙と言われるスターズ・アンド・ストライプ紙が日本航空123便に関する記事を掲載、その中で自衛隊の責任を示唆している。その後、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれていった。
世界制覇の手始めはユーゴスラビア。すでに1991年6月の段階でスロベニアとクロアチアが独立を宣言、同年9月にマケドニアが続いている。ユーゴスラビア解体を指揮していたのはリチャード・マイルズという人物だ。そのほかユーゴスラビア駐在米国大使だったウォーレン・ジンマーマンや国務副長官を務めていたローレンス・イーグルバーガーも関係していた。
ユーゴスラビアに対する軍事侵略へ動き出すのは国務長官が交代した1997年1月から。戦争に消極的だったクリストファー・ウォーレンが退き、好戦派のマデリーン・オルブライトが就任、1999年5月にNATOはユーゴスラビアに対する空爆を始めた。4月にはスロボダン・ミロシェビッチの自宅が、また5月には中国大使館も爆撃されている。中国大使館に3方向からミサイルを撃ち込み、破壊したのはアメリカ軍のB2ステルス爆撃機で、CIAが設定した目標に入っていたという。つまり中国大使館への攻撃は計画的なものだった。
そして2001年にジョージ・W・ブッシュが大統領に就任、その年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとが呆然としている間にアフガニスタン、そしてイラクを攻撃したのだ。
この当時、アメリカの支配層は自国が「唯一の超大国」で、誰も自分たちに逆らえないと信じていた。例えばフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文には、近いうちにアメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになると書かれている。つまり、アメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てると見通している。
ネオコンはイラクのサダム・フセインを排除して親イスラエル派の体制を築くつもりだったようだが、軍事力で屈服させることはできず、親イラン派(シーア派)の政権を誕生させてしまう。そこでフセインの残党(スンニ派)と手を組み、ゲリラ戦を始めることになったのだ。2009年にアメリカ大統領はブッシュからバラク・オバマに交代するが、方針は継続された。
オバマ政権は2010年にムスリム同胞団を中心に戦闘員を集め、中東から北アフリカにかけての地域で体制転覆工作を開始。2011年春にはムスリム同胞団のほかサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)も加えて戦争集団を編成した。これがアル・カイダ系の武装集団。そしてリビアやシリアで侵略戦争を始めた。2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は崩壊、カダフィは惨殺されたが、シリアには手こずる。
一方、日本では2015年9月に安保法制が公布された。この法律について総理大臣だった安倍晋三は2015年6月、赤坂の赤坂飯店で開かれた懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。
1995年以降、日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれ、重要な役割を長競れるようになってきた。それは中国やロシアとの戦争で日本が最前線に立たされることを意味する。今回の防衛白書にはそうした背景がある。言うまでもないことだが、アメリカ軍は日本を守る目的で日本に駐留しているのではない。侵略の拠点にしているのだ。
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