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明治政府はイギリスが日本軍を中国侵略の傭兵にする目的で作った傀儡政権
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 6 月 27 日 05:23:41: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

明治政府はイギリスが日本軍を中国侵略の傭兵にする目的で作った傀儡政権
アメリカやイギリスは19世紀に中国(清)へ麻薬を売りつけることで大儲けした。そうした中、イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国に対して仕掛け、略奪を本格化させている。

 これらの戦争でイギリス側が勝ったことは事実だが、中国の全域を支配するだけの軍事力がない。そこで目をつけたのが日本。明治維新にイギリスが深く関与したのはそのためだ。アングロ・サクソンにとって獲物は中国であり、日本人はその獲物を手にするための傭兵ということになる。

 明治維新で誕生した体制は琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏朝鮮の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発、日清戦争へとつながる。1904年2月に日本軍はロシア海軍の拠点だった旅順を奇襲攻撃して日露戦争がはじまる。

 日露戦争の後、セオドア・ルーズベルト大統領は日本が自分たちのために戦ったと書き、団琢磨の友人である金子堅太郎はアンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったとシカゴやニューヨークで説明していた。金子はルーズベルトとも親しい。

 日本人がヨーロッパ人の傭兵として東アジアで戦うという構図は戦国時代にもあった。当時、日本では勝者側の雑兵や忍びが敗者を殺したり放火するだけでなく、財産を奪い、女性や子どもを中心に拉致して奴隷として売りさばくことが普通だった。その一部はポルトガルの商人らの手を経て国外へ連れ出され、売られている。正確な人数は不明だが、売られた日本人は10万人を超えていたという推計もある。

 その中には若い男性もいて、イエズス会のカブラルは1584年、日本人を雇い入れて中国を武力で征服しようとスペイン・ポルトガル国王に提案していたという。また平戸に置かれたオランダの商館は同国の東インド会社が行う軍事作戦を支える東南アジア随一の兵站基地だったともされている。(藤木久志著『雑兵たちの戦場』朝日新聞出版、2005年)

 徳川体制に入り、第2代目の将軍、徳川秀忠は人身売買、武器輸出、海賊行為を禁止、オランダやイギリスは傭兵を日本で調達することが困難になった。そうした禁輸令を受け、オランダのインド総督は日本人傭兵に代わる兵士を急いで本国から派遣するように要請している。(前掲書)そして徳川体制が倒れて明治体制へ移行した際、イギリスは日本人を再び傭兵として使い始めたと言えるだろう。

イギリスと同じようにアメリカも日本列島を東アジア侵略の拠点、日本人を傭兵と考えていた。
 アングロ・サクソン系のイギリスとアメリカはスラブ系のロシアを敵視、そのロシアを押さえ込むために日本を利用しようとした。日露戦争の後、セオドアは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした事情を理解していた金子はシカゴやニューヨークで、アンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 フィリピン、台湾、琉球、日本が東アジア侵略の拠点だとするなら、朝鮮半島は橋頭堡。日本が朝鮮の植民地化をセオドア・ルーズベルトが容認したのもそのためだろう。

 そうした日本側の動きを察知した朝鮮の高宗は特使としてホーマー・ハルバートをワシントンへ派遣するが、セオドア大統領やエリフ・ルート国務長官はその特使と会おうとしない。朝鮮は米朝修好通商条約の第1条に基づいて独立維持のための援助を求めたが、これをアメリカ政府は拒否している。すでにセオドア・ルーズベルト政権は桂太郎や金子堅太郎らと韓国併合で話がついていたのである。

 こうしたアングロ・サクソンと日本との主従関係は明治維新から現在に至るまで続いている。例外はフランクリン・ルーズベルトが大統領を務めていた1933年3月から45年4月までの期間くらいだろう。  

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コメント
1. 中川隆[-5284] koaQ7Jey 2021年6月27日 05:43:47 : 09g8CAKyOE : dExIekMuL1J3cVk=[6] 報告
明治政府はイギリスが日本軍を中国侵略の傭兵にする目的で作った傀儡政権。
アメリカやイギリスは19世紀に中国(清)へ麻薬を売りつけることで大儲けした。そうした中、イギリスは1840年から42年にかけてアヘン戦争、56年から60年の第2次アヘン戦争(アロー戦争)を中国に対して仕掛け、略奪を本格化させている。

 これらの戦争でイギリス側が勝ったことは事実だが、中国の全域を支配するだけの軍事力がない。そこで目をつけたのが日本。明治維新にイギリスが深く関与したのはそのためだ。アングロ・サクソンにとって獲物は中国であり、日本人はその獲物を手にするための傭兵ということになる。

 明治維新で誕生した体制は琉球を併合し、台湾へ派兵、李氏 chousen の首都を守る江華島へ軍艦を派遣して挑発、日清戦争へとつながる。1904年2月に日本軍はロシア海軍の拠点だった旅順を奇襲攻撃して日露戦争がはじまる。

 日露戦争の後、セオドア・ルーズベルト大統領は日本が自分たちのために戦ったと書き、団琢磨の友人である金子堅太郎はアンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったとシカゴやニューヨークで説明していた。金子はルーズベルトとも親しい。

 日本人がヨーロッパ人の傭兵として東アジアで戦うという構図は戦国時代にもあった。当時、日本では勝者側の雑兵や忍びが敗者を殺したり放火するだけでなく、財産を奪い、女性や子どもを中心に拉致して奴隷として売りさばくことが普通だった。その一部はポルトガルの商人らの手を経て国外へ連れ出され、売られている。正確な人数は不明だが、売られた日本人は10万人を超えていたという推計もある。

 その中には若い男性もいて、イエズス会のカブラルは1584年、日本人を雇い入れて中国を武力で征服しようとスペイン・ポルトガル国王に提案していたという。また平戸に置かれたオランダの商館は同国の東インド会社が行う軍事作戦を支える東南アジア随一の兵站基地だったともされている。(藤木久志著『雑兵たちの戦場』朝日新聞出版、2005年)

 徳川体制に入り、第2代目の将軍、徳川秀忠は人身売買、武器輸出、海賊行為を禁止、オランダやイギリスは傭兵を日本で調達することが困難になった。そうした禁輸令を受け、オランダのインド総督は日本人傭兵に代わる兵士を急いで本国から派遣するように要請している。(前掲書)そして徳川体制が倒れて明治体制へ移行した際、イギリスは日本人を再び傭兵として使い始めたと言えるだろう。

イギリスと同じようにアメリカも日本列島を東アジア侵略の拠点、日本人を傭兵と考えていた。
 アングロ・サクソン系のイギリスとアメリカはスラブ系のロシアを敵視、そのロシアを押さえ込むために日本を利用しようとした。日露戦争の後、セオドアは日本が自分たちのために戦ったと書いている。こうした事情を理解していた金子はシカゴやニューヨークで、アンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦ったと説明していた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 フィリピン、台湾、琉球、日本が東アジア侵略の拠点だとするなら、 chousen 半島は橋頭堡。日本が chousen の植民地化をセオドア・ルーズベルトが容認したのもそのためだろう。

 そうした日本側の動きを察知した chousen の高宗は特使としてホーマー・ハルバートをワシントンへ派遣するが、セオドア大統領やエリフ・ルート国務長官はその特使と会おうとしない。 chousen は米朝修好通商条約の第1条に基づいて独立維持のための援助を求めたが、これをアメリカ政府は拒否している。すでにセオドア・ルーズベルト政権は桂太郎や金子堅太郎らと韓国併合で話がついていたのである。

 こうしたアングロ・サクソンと日本との主従関係は明治維新から現在に至るまで続いている。例外はフランクリン・ルーズベルトが大統領を務めていた1933年3月から45年4月までの期間くらいだろう。

▲△▽▼

chousen を植民地にして搾取していたのは日本ではなく英米だった
日清・日露戦争も chousen ・中国を英米の植民地にする為だった

李氏 chousen は1895年清国冊封体制から離脱により、迎恩門での土下座の礼拝は終焉した。その後、列強各国は利権を求め李氏 chousen に殺到した。

1900年頃の李氏朝 chousen が奪われた利権
ロシア (金鉱採掘権、石炭採掘権、森林伐採件、海関管理権、捕鯨権)
アメリカ(ソウルー仁川鉄道施設権、金鉱採掘権、電車、電燈、水道経営権)
イギリス(海関管理権、金鉱採掘権)
ドイツ (金鉱採掘権)
日本  (ソウルー釜山鉄道施設権、金鉱採掘権、漁業権) 

当時独立は風前の灯火、史実は日本による併合(植民地ではない)
列強に対して独立を保つ事は現実不可能と思える状況なんだが
いったい李氏 chousen はどこに支配されたかったんだ。

李朝末期には森林伐採権・関税徴収権・漁業権・鉱山採掘権・鉄道敷設権などあらゆる利権を欧米に奪われてしまい, 財政が破綻し破産状態でした:

1896年
ロシアへ咸北・慶源・鐘城の金鉱採掘権
鐘城の石炭採掘権 豆満江・鴨緑江上流地域と鬱陵島の森林伐採権
アメリカには京仁鉄道敷設権
雲山金鉱(平北)採掘権
イギリスには財閥顧問の派遣と海関管理権
フランスには京義鉄道敷設権

1897年
ロシアへ財政顧問の派遣と海関管理権
軍隊の教育訓練権
ドイツに江原・金城、金鉱採掘権

1898年
アメリカにソウルの電車・電灯・水道経営権
日本へ京釜鉄道敷設権
イギリスに平南・殷山金鉱採掘権

1899年
ロシアへ東海岸における捕鯨権

1900年
ロシアへ慶南・馬山浦の栗九味租借忠北・稷山金鉱採掘権
日本に京畿道沿海の漁業権

1901年
フランスに平北・昌城金鉱採掘権

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