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(回答先: 旭川の zainichi の方は戦時中に徴用工として旭川に強制連行されてきたので、責任はすべて日本政府に有ります 投稿者 中川隆 日時 2021 年 5 月 20 日 08:24:50)
zainichi chousen 人は階級社会の chousen で最下層なので、帰国しても仕事なんか無いですからね。
内地のzainichi chousen 人は家賃や物価が安い同和部落に住み着いて、元々いた部落民を追い出してしまいました。zainichi chousen 人の仕事は男はヤクザ、女は風俗が殆どです。
日本で政治家、官僚、マスコミを支配している chousen 人は豊臣秀吉の朝鮮出兵時に日本に連れて来られた李朝関係者で、昭和に渡来した最下層 の zainichi chousen 人とは全く違います。
戦後、戦乱でchousen では食べていけなくなった最下級の chousen 人が日本に移民してきています。
zainichi kankoku人はkankokuと日本が1965年に締結した日韓基本条約で初めて合法化され、それまで終戦から違法でした。
1945年(昭和20年)日本は半島と別々に米軍に占領され、日本政府は半島出身者を帰国させることに決定した。
終戦直後、アメリカは日本の国力を奪うため食料を断ち、飢えさせる政策を取ったので半島出身者が居る分食料が不足するからでした。
その頃米軍とソ連軍に占領されたchousen半島は内戦と飢餓と混乱状態で、疫病も蔓延するなど日本より酷い状態でした。
日本軍が去って米軍が統治していた頃、「日本時代のほうがずっと良かった」というのが常識で、反米運動も盛んに行われました。
1948年に大韓民国成立後も米軍はchousen半島の混乱を理由に帰国を制限し、1950年にchousen戦争勃発でまた帰国を拒否しました。
1953年にchousen戦争は終了したが、chousen半島は焦土と化しており、帰国を望むものはほとんど居ませんでした。
小泉純一郎元首相の父の純也法務次官は1955年「在日chousen人全員に帰国を促したが帰りたいという者が一人も居なかった。」と国会で証言している。
「それどころか半島から密航などでどんどん日本に渡ってきている」「強制送還するべきだがkankoku政府が拒否している」とも証言しました。
日韓基本条約の永住権は戦前の移住者のみ適用
1955年のkankoku は全土を北chousenに占領された後米軍が奪還したが、kankoku 軍によるスパイ狩りと戦争で百万人以上がなくなった。
戦後復興に成功し高度経済成長が始まった日本とは、ゼロと100くらいの差があったので全員が帰国を拒否した。
日本に残った半島出身者は1945年から不法滞在を続けたが、1965年の日韓基本条約締結で正式に認められた。
ただし日本とkankoku が合意した永住権には厳しい条件があり、全ての在日kankoku人には当てはまる訳ではなかった。
まず当然のこととして、戦後であろうが戦前であろうが日本政府が認める形で、合法的に渡航して居住した人に限る。
戦前は就職先などを求めて日本に密航してくる半島出身者が多く、某巨大IT企業創業者は「祖母が密航者だった」とメディアに語っていました。
戦後もchousen戦争やスパイ狩りから逃れるため数十万人が渡航したと見られるが、この人たちに永住権はありません。
ちなみに北chousenの金正恩の母は、戦後密航船で商売をしていたため日本に居られなくなり、一家で北chousenに帰国しています。
某巨大パチンコチェーン創業者は戦後すぐに半島の将来を悲観して、貨物船に忍び込んで密航したというのが自慢話です。
また日韓基本条約の永住者は在日1世だけで、1945年8月15日までに生まれた人だけでしたが、後に改定されて2世までになった。
その後韓国側が条約改定を拒否し続けているので、zainichi kankoku人3世以降には、親に永住権があっても子に永住権はありません。
遅くとも1945年までに生まれたのが1世、2世は1965年頃まででしょうから、1970年産まれ以降のzainichi kankoku人には日韓基本条約の永住権は無いのです。
1965年にkankoku政府は、条約外のzainichi kankoku人全員を受け入れると約束したが、いまだに実行していない。
zainichi kankoku人に条約上の永住権はない
40代より若い在日の人が「自分には永住権がある」と言っていたら、条約ではなく日本の国内法の措置だけを指しています。
日本の特別永住者資格は「戦前から日本に居住しているかつて日本国民だった旧植民地の人々で、サンフランシスコ講和条約により日本国籍を失った人々」となっている。
戦前に密航してきた半島出身者については、事実の確認が困難なので、うやむやになっている事が多いです。
日本政府が認めた特別永住者は2018年で約32万人、対してzainichi kankoku人の人数は約48万人となっています。
人数が合わない16万人は戦後に密航してきたか、日本政府が永住権を認めていない自称zainichi kankoku人です。
特別永住者32万人の半数以上が、実際には chousen 戦争の前後に戦争やスパイ狩りから逃れるために、日本に密航してきた人たちと考えられています。
終戦後からchousen戦争前後までに日本に密航してきた kankoku 人は、当時の調査や推測で30万人に達している。
chousen戦争や済州島事件から逃れてきた人が、九州や大阪に10万人単位で押し寄せ、現在も彼らの子孫が居住しています。
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