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(回答先: 芥川龍之介の実母は統合失調症患者だよ。 統合失調症関連の精神衰弱で自殺しただけだよ。 昭和の時代とは何の関係も無い。 投稿者 中川隆 日時 2021 年 2 月 25 日 20:01:40)
また見当外れの事言ってるね、安部や菅は chousen人、竹中は同和 braku 民 で日本人じゃないんだよ、日本人を憎んでいるだけさ:
竹中平蔵こそ、和歌山の靴屋(要するに部落民)出身で、東大に入れなかったルサンチマンから米国にすり寄って、出世したアメリカの手先そのものである。
そういうメインストリームから外れざるを得なかった才能ある人々は、何か屈折した感情を日本社会に対して持っていくようである。竹中氏は「東大法」のサークルではなく、アメリカの研究所を中心にした「インナー・サークル」に加入するようになったわけである。
小泉純一郎は父親が在日朝鮮人であり、竹中平蔵・野中広努は部落民出身であった。
こうした出身は、かつて絶対に上層部に行くことができなかった。だから能力のある者は外国に向かったのである。そして、都合よく権力を獲得すると、今度は被差別の怨念が、国家への復讐という形で現れたのかもしれない。
彼らの行ったことも差別の解決ではなく、金儲け思想への逃避であり、国民全体を金融幻想に巻き込み、日本国家そのものを破滅に追いやることになった。やはり心底では、自分たちをひどい目に遭わせた差別国家に復讐したかったにちがいない。
【怨念】竹中平蔵ってどうよ?【復讐】
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 22:10:37 ID:3kal7E+c0
竹中平蔵って野中広務とは違った意味で「恨」の人ですよね。
日本を無茶苦茶にした痛みを伴う構造改革って日本社会に対する復讐だったのか?
ここらへんのとこを人権板的に論じましょう。
7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 07:41:41 ID:l/w1sore0
チビで部落民で子供の頃から苛められて育った、世間を見返すため東大を目指して勉強したが。
学園紛争のために東大入試も断念せざるを得なかった。
この人を突き動かしているのはルサンチマン以外の何モノでもない。
小泉・竹中改革っていうのは銀行の不良債権処理と緊縮財政を同時にやってし
まうという無茶苦茶なものでした。
これはゴールドマンサックスやリーマンの意向に沿ったものだと言われている。
竹中平蔵の壮大な復讐劇と言えなくもない。
150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 22:18:54 ID:g7K+R1ZO0
父親が働いても働いても豊かになれないのを見て経済学を志したらしい
317 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 18:43:29.73 ID:ADWk/6Tr0
本連載の目玉はこれまで明らかにされてこなかった竹中平蔵の幼少時代である。
ルポライターの田中幾太郎氏の筆によるものだが、一部重要な部分を引用してみる。
(引用開始)
「父親は小さな履物小売商をやっていた普通の商売人なんですが、父を見てると、世の中が不公平に見えるわけですね。父親はこれだけ苦労をして一所懸命働いてるのに金持ちになれない。
もっと楽してお金儲けしている連中が一杯いるのに・・・・。どうやったらもっと住みやすい、 よい世の中になるんだろう」
同級生から「緻密で冷静」と評されていた竹中が別の側面を見せたのは、六七年十一月、和歌山市で「第四回全国高校生部落問題研究会」が開かれた時のことだった。十七都府県二百三十二校から二千三百名が結集した会場に高校二年生の竹中も足を運び、各分科会を精力的に回り、発言していたという。(中略)
周囲が驚いたのは、その集会で、和歌山のある集落の出身者がひどい就職差別を受けたという報告があったときのこと。
竹中の顔が怒りでみるみる真っ赤になったのである。
この田中氏のルポではこれまで知られていた、竹中大臣の生い立ちのエピソードとは変わった一面が紹介されているのだ。
彼は3人兄弟の次男として和歌山市に出生。一橋大学に進学する18歳にまで同市内で過ごした。
学園紛争が原因で東京大学の大学入試が実施されず、彼は一橋大学に進学し、開銀に入行するわけである。
この田中氏のルポでは、竹中少年が、「部落差別問題」に非常な関心を抱いていたこと、履物商をやっていた父親が、貧しい生計を立てていたことについて描かれている。
竹中という人は、もともと頭は良かったものの、苦学生であり、貧困問題について真剣に考えていた。 開銀に入行したのは、高度経済成長理論の生みの親である、官庁エコノミスト下村治氏に憧れたため、ということは既に説明した。
記事は、その和歌山市内は現在は、行政改革の「地方切り捨て政策」によって疲弊し、現在の日本に跋扈する「ヒルズ族」や外資系の進出、そのマネーゲームの現状について触れて、「これが差別と貧困を憎んだ竹中が目指したものだとすれば、『変節』との謗りは免れえない」と締めくくっている。
◆竹中平蔵の「ルサンチマンの経済学」
小泉構造改革が、公然と批判の矢面に晒され、小泉改革の継承を歌う安倍政権までもが、いとも簡単に吹っ飛ばされるようになった昨今ですが、小泉改革のキーマンだった竹中平蔵が、小泉・竹中改革の頓挫に危機感を感じているらしく、小泉一派の残党である山本ぴん太や世耕某等に接近し、密かに永田町あたりで蠢きだしているようです。
おそらく竹中平蔵あたりは、小泉改革への批判がさらに進むと、自民党が政権から脱落するだけでなく、場合によっては、竹中平蔵や小泉純一郎、あるいは小泉改革を影で支援しつつ、みずからの会社だけを肥大化させた経済界の悪徳利権屋経営者たち、宮内某や奥田某、そして御手洗某等と共に、証人喚問に引っ張り出されるのではないかと、恐れおののいているのではないでしょうか。
ところで、保守系雑誌「諸君!」に、大蔵官僚時代からの竹中平蔵の盟友で、小泉改革を官僚サイドから支援し続けた「内閣参事官・高橋洋一」が、最近の世論や世相の変化がまったく読めていないらしく、意気揚々とインタビューを受けていますが、それを読むと、竹中平蔵という人物の人間性がよくわかりますね。
竹中平蔵の人間性とは、ずばり、「ルサンチマンの塊り」、つまり「コンプレックスの塊り」ということに尽きるようです。
「ルサンチマンの塊り」という竹中平蔵の人間性が、これまた、「ルサンチマンの塊り」である小泉純一郎の人間性と、ぴたりと合致したというのが、小泉改革の本質だったと言っていいのでしょうね。類は友を呼ぶですね。
政治に、個人的な「恨み、つらみ」を持ち込むのは邪道であり、覇道以外の何物でもないと思われますが、竹中平蔵と小泉純一郎の行った「小泉構造改革」という政治は、まさにそういう「恨の政治」だったと言っていいでしょう。
高橋洋一は、竹中平蔵とはアメリカ留学時代からの知り合いのようですが、竹中平蔵が興銀から大蔵省に出向している時代に、東大法学部出ばかりのの大蔵官僚に囲まれ、さんざんに無視され、バカにされ、虐められ続けた様子を証言しています。
一橋出で、民間からの出向組である竹中平蔵が、屈辱的な待遇に甘んじざるをえなかったことと、その結果としてますます「恨みつらみの塊り」になっただろうことは、手に取るようにわかりますね。要するに。竹中平蔵が、大蔵官僚を目の敵にして、「日本解体」「日本沈没」へ突き進まなければならなかった理由がよーくわかります。
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