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(回答先: 昭和天皇は対米戦争が八百長戦争だとバレない様に神風特攻までさせた 投稿者 中川隆 日時 2023 年 2 月 22 日 09:48:53)
明治維新は田布施のchousen人による日本の乗っ取りだと言われています。
天皇家は推古朝以降 江戸時代までずっと仏教徒だったのですが、明治以降何故か突如として神道に変わります。 天皇家だけでなく日本の国体と日本人の神仏習合信仰も明治維新で完全に破壊されました。
(1)興福寺は廃仏運動の被害がもっとも大きかった寺である。興福寺は春日大社と一体化していたが、分離され仏像仏具教典が棄てられた。五重塔も民間に売却され、金属だけを取り出すために買い主が火をかけようとしたが、延焼をおそれた近所の住人に制止されたおかげで焼けずに残った。いまは国宝である阿修羅像も運慶作とされる無著・世親像も金堂の床にうち捨てられていた。
(2)伊勢には御師(おし・おんし)と呼ばれる「宗教者兼観光案内人」のような人がいた。自分の家を宿坊として参拝者を宿泊させ、聖地を案内し、伊勢暦や神札を売り、加持祈祷も行った。御師の職業的な特徴はそれぞれが自分の「檀那」を有していたことである。江戸時代には伊勢に御師2000人がいて、宿坊600軒があった。当時の伊勢詣では年間300万人、檀那総数は400万軒。
(3) 羽黒山はかつては山伏が営む宿坊が300軒あり、それぞれの宿坊には「檀那」となる人々がいた。農閑期になるとその町村の人たちが「講」をつくって、連れ立って羽黒を訪れ、山伏の先達で三山で修験場を訪れ行をおこない、遊びながら故郷に帰った。羽黒に雪が降り山に登れなくなると、山伏たちは里に下りてその「檀家」を巡歴して、加持祈祷を行い、お札を売った。伊勢御師と同じである。
あるときは定住する信者のもとを移動する宗教者が訪れ、あるときは定住する宗教者のもとを移動する信者が(聖地巡礼と観光旅行を兼ねて)訪れる。このような宗教と観光、行と娯楽の癒合したかたちは、前近代の日本に広く見られたようで、出雲大社、富士山、熊野などにも御師がいて、各地の檀那たちと密接な「師檀関係」を結んでいた。
慶應四年の神仏分離令では山伏と御師がまっさきに弾圧の対象となった。
羽黒山伏は宿坊が10分の1になったけれど、いまも残っているが、伊勢御師は明治初年に途絶えた。
要するに、神仏分離令は日本人の古来の信仰を圧殺して、日本人を無宗教にするのが目的でした。
これは明治天皇や明治政府の政治家が日本人であるとしたら考えられない事です。
明治維新は田布施のchousen人による日本の乗っ取りだと言われています。
詳細は
鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
【田布施システム】chousen系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html
https://tocana.jp/2020/09/post_171763_entry.html
- 明治天皇は日本の国体を破壊した悪名高い天皇 保守や右翼には馬鹿し 2023/3/02 15:31:28
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- 君みたいな今の日本人はスマホの影響で長文が理解できないんだな。 保守や右翼には馬鹿し 2023/3/02 16:22:28
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- 君みたいな今の日本人はスマホの影響で長文が理解できないんだな。 保守や右翼には馬鹿し 2023/3/02 16:22:28
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