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chosen戦争はヤラセ、中共はアメリカが作った国
chosen戦争の真実を、今はもう誰も語りません。ところが、今のchosen半島情勢をもたらした元凶は「chosen戦争」(1950〜1953年)です。
chosen戦争はなぜ起こったかということを、まずもう一度考えてみる必要があります。chosen戦争は米ソの「ヤラセ」です。それは当時のアメリカおよびソ連の要人の発言や行動を見れば明確にわかります。
明確にわかるのに、メディアは一切言いません。メディアも彼らと組んでいたからです。私は、今も組んでいるのだと思います。簡単に言えば、メディアは、chosen戦争を背後から牛耳った勢力の「世界戦略の代理人」です。
そこまで決めつけて言うのは、日本の真面目なメディアの方には申し訳ないと思いますが、メディアのトップ(上層部)は明らかに組んでいます。支配下と言えばおおげさですが、少なくともその影響下にアメリカのメディアはあります。したがって、アメリカのメディアを牛耳る人々がどういう戦略でいるかということに、日本のメディアも影響されているのです。
chosen戦争は偶発したのではありません。アメリカが故意に起こしたのです。当時のアメリカのディーン・アチソン国務長官の有名な演説があります。演説が行われたのは1950年の年頭ですから、すでにchosenは北と南に分かれていました。
アチソン国務長官は、「南chosen(現在のkankoku)は、アメリカの防衛線の外だ」と言いました。つまり、「アメリカはkankokuを防衛しない」と言ったわけです。
金日成は当然、「kankokuに攻め込んでもアメリカは反応しない。アメリカはこれを認める」と受け取ります。
これは、湾岸戦争(1991年)で、サダム・フセインが「アメリカはイラクとクウェートの国境問題には関心がない」という言質(げんち)を与えられて、クウェートに侵攻したのと同じパターンです。サダム・フセインは、誤解したというより、アメリカに騙されたのです。
さて、金日成は、怒涛のごとく南chosenに攻め込みました。そして、あっという間に釜山(プサン)まで行ってしまったのです。
そこでアメリカはどうしたか。介入したのはアメリカ軍ではありませんでした。なんと国連軍が介入したのです。
このことを誰も疑問に思いません。なぜ国連軍だったのでしょうか。
chosen戦争に介入したのがなぜ国連軍だったのか理解することが、戦後の東西冷戦がじつは八百長だったということを理解することに繋がります。これは誰も教えてくれません。歴史学者も政治学者も、一切そういうことは言いません。
それを言えば、東西冷戦でアメリカがどうだ、ソ連がどうだと、彼らが一生懸命積み重ねてきた議論や研究が全部崩れます。別に彼らを失職させるのが私の目的ではありませんが、「東西冷戦は八百長」です。
国連軍の編成は、安全保障理事会の常任理事国が1国でも反対すれば実施することはできません。当時の常任理事国5ヵ国の中にはソ連が入っていました。では、ソ連はなぜ反対しなかったのでしょうか。
ソ連の同盟国たる北chosenを叩くための国連軍編成の決議です。それにソ連は反対しませんでした。このことを誰も説明してくれません。もちろん教科書にも出ていません。
答えは簡単です。ソ連が安保理会合に欠席したからです。ヨシフ・スターリンがソ連の国連代表に命令し、「ソ連は出るな」と言ったのです。
これは陰謀論でもなんでもありません。アンドレイ・グロムイコという、ソ連の外務大臣を長く勤めていた人物の回顧録(『グロムイコ回顧録――ソ連外交秘史』)に、はっきりと書いてあります。読んでいる人は多いと思いますが、新聞はそれを活字にしません。テレビもこの問題を解説しないのです。
スターリンが、「ソ連の代表は安全保障理事会を欠席しろ」と命令したのは、なぜでしょうか。国連軍を編成させるためです。
あまりにも明確です。しかし、戦後の歴史家は、それを言ってはいけないことになっています。
そういう経緯があって、国連軍はできました。国連軍の司令官は、あのダグラス・マッカーサーでした。GHQの総司令官です。
マッカーサーが国連軍を指揮し、chosen半島で戦いましたが、マッカーサーは途中で解任されました。いったい何があったのでしょうか。
「マッカーサーはchosen戦争で勝とうとした」からです。勝ってはいけなかった。これがchosen戦争の謎なのです。
この謎は、スターリンがなぜ国連軍の編成に反対しなかったか、という謎と同じです。つまりchosen戦争は、「アメリカとソ連が組んで起こした戦争」なのです。
これはマッカーサーの証言を読めばわかります。マッカーサーは「自分はchosen半島で勝たせてもらえなかった」と回顧録に書いています。
北chosenを国連軍が一旦追い返した後で、今度は中共義勇軍(中国人民義勇軍)が入ってきます。どこから入って来たかというと、chosen半島の鴨緑江(おうりょくこう)の橋を渡ってきました。
国連軍の司令官たるマッカーサーは当然、鴨緑江の橋を爆破しようとしました。そこで爆撃許可をワシントンに求めたのですが、ワシントンの答えは「ノー」でした。それは記録に残っています。
ワシントンは、なぜ「ノー」と言ったのでしょうか。これを考えるだけでも、私たちの国際政治を見る目は格段に進歩すると思います。
国連軍という名目ですが、アメリカは勝たなかった。当時、マッカーサーは「ワシントンは外国の影響を受けている」と言っています。
その「外国」とはどこかと言うと、ソ連もさることながら、イギリスなのです。アメリカ国防省、アメリカ政府の説明は、「重要な戦略についてはイギリスと協議することになっており、橋を爆撃することについてはイギリスが消極的だからダメだ」という論法でした。
可哀想なのはchosen半島で戦ったアメリカの兵士たちです、むざむざ殺された兵士たちです。そういうことを私たちは考えてみなければいけません。これを理解しなければ、いくら戦後の国際政治なり東西冷戦、あるいは冷戦崩壊の世界を勉強したところで、本当のところがわからないのです。
残念ながら歴史関係の知識人の方々も本当のことを言っていません。勉強不足なのか、あえて無視しているのかはわかりません。
chosen半島で無益な3年間の戦争が行われ、その結果、休戦協定が結ばれます。では、この協定は誰と誰と誰の間で結ばれたのでしょうか。国連軍(司令官はマーク・W・クラーク将軍)と中共義勇軍、そしてもうひとつは北chosenです。
何か抜けています。kankokuです。なんと、kankokuはchosen戦争の休戦協定の当事者ではありません。こういうことを今、kankokuの人は忘れているのではないでしょうか。これがchosen半島の真実なのです。
これを知るだけでもchosen半島を見る目、金正男暗殺事件を見る目、そして北chosenの核問題を見る目も、より複眼的になってくるのではないかと私は思います。ちなみに、休戦協定に調印したアメリカのクラーク将軍も回顧録の中でマッカーサーと同じことを言っています。
「自分は、勝つための人員も武器も与えられなかった」。アメリカ政府が与えませんでした。自国の兵士が殺されるのをアメリカ政府はむざむざとそのままにしておいたことになります。
言い方は悪いですが、アメリカは国民(兵士)の命を虫けらのように扱い、殺してきた、と言わざるを得ません。これがアメリカという国家の正体です。
そして、そういったアメリカの真実、アメリカを牛耳っていた体制が、トランプ大統領の登場で崩れつつあるということなのです。
やっとアメリカ人が、自らの国を取り戻す端緒についたのです。だからアメリカのメディアは遮二無二(しゃにむに)トランプを攻撃し続けているし、日本のメディアも一緒になってトランプを攻撃しているというわけです。
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