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高宮広土「奄美・沖縄諸島へのヒトの移動」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第5節
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/554.html
投稿者 中川隆 日時 2022 年 7 月 17 日 08:53:43: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 沖縄にはアイヌ語地名が沢山あるので、縄文時代にはアイヌ語を話す縄文人が住んでいたんだよ。 投稿者 中川隆 日時 2022 年 7 月 17 日 08:33:08)

2014年07月01日
高宮広土「奄美・沖縄諸島へのヒトの移動」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第5節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、12世紀頃までの奄美・沖縄諸島への人類の移住について考察しています。沖縄諸島では、更新世の人骨が発見されています。更新世の沖縄諸島の人類と完新世以降の沖縄諸島の人類が連続しているのか断絶しているのか、まだ結論は出ていないようです。更新世の人骨から完新世の人骨まで1万年以上の空白期間があることが、断絶説の根拠となっています。島嶼環境への適応の難しさからも、連続説を安易に支持することはできないようです。

 完新世になると、沖縄諸島でも人類の確かな痕跡が継続的に確認されるようになります。こうして島嶼環境に適応した人類の特徴として、交易は行なっていたものの、保守性というか、移動しなかったことを本論文は挙げています。島嶼環境内でじゅうぶんに生活を維持できたので、積極的に外へ移動する理由がなかったのだろう、と本論文は指摘しています。貝塚時代に安定していたというか静的だった沖縄諸島が大きく変わるのがグスク時代で、農耕の開始や中国産陶磁器など外来要素が突如出現します。これらは先島諸島へと伝わり、奄美・沖縄諸島と先島諸島が初めて一つの文化圏となります。

 また、グスク時代の沖縄諸島の人類とそれ以前の沖縄諸島の人類とでは形質的にかなり異なることが判明し、沖縄近世人が渡来系弥生人・古墳時代人・鎌倉時代人に近いとの形質人類学の研究成果とも併せて、グスク時代の開始にさいして、外部から沖縄諸島への人類の流入がかなりあったのではないか、と推測されています。ただ、そうした沖縄諸島へ流入してきた人々がどこからやって来たのかというと、漠然と南九州とも言われているものの、まだ詳細なところでは曖昧さが残っているようです。


参考文献:
高宮広土(2014)「奄美・沖縄諸島へのヒトの移動」印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(臨川書店)第3章「日本へ」第5節P182-197  

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コメント
1. 中川隆[-13001] koaQ7Jey 2022年7月17日 09:02:56 : qvKM870jvQ : ZkEyVUZqb01yZ0E=[2] 報告
​ @T.Hayama
琉球人のDNAは縄文人と日本人の中間、アイヌ人の遺伝子は縄文人に近い:

現代琉球人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2--45.1% : 縄文系
O1b2-23.3%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---18.9%(旧表記O3):漢民族系
C2----1.5% :縄文系
C1----6.8% :縄文系
O1b1--0.8%(旧表記O2a) :長江系稲作民

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが否定された、四川省の焼畑農耕民の可能性が高い
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---20%(旧表記O3):漢民族系
C2----6% :縄文系
C1----5% :縄文系
O1b1--1%(旧表記O2a)
O1a---1% : 長江系稲作民
N1----1%
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)


現在の台湾の先住民系民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度
O2 11.7% : 漢民族系
O1 :80.3% : 長江系

現在の中国の自称漢民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度
O2 53.3% : 漢民族系
O1 24.5% : 長江系稲作民
C2 7.8% : モンゴル・ツングース系
N 6.9% : トルコ系

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

kankoku人のY-DNAハプロタイプの出現頻度
O2: 43.3% : 漢民族系
O1:30.0% : 長江系稲作民
C2: 11.3% : モンゴル・ツングース系

▲△▽▼

2014年07月01日
高宮広土「奄美・沖縄諸島へのヒトの移動」『人類の移動誌』第3章「日本へ」第5節
 印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。本論文は、12世紀頃までの奄美・沖縄諸島への人類の移住について考察しています。沖縄諸島では、更新世の人骨が発見されています。更新世の沖縄諸島の人類と完新世以降の沖縄諸島の人類が連続しているのか断絶しているのか、まだ結論は出ていないようです。更新世の人骨から完新世の人骨まで1万年以上の空白期間があることが、断絶説の根拠となっています。島嶼環境への適応の難しさからも、連続説を安易に支持することはできないようです。

 完新世になると、沖縄諸島でも人類の確かな痕跡が継続的に確認されるようになります。こうして島嶼環境に適応した人類の特徴として、交易は行なっていたものの、保守性というか、移動しなかったことを本論文は挙げています。島嶼環境内でじゅうぶんに生活を維持できたので、積極的に外へ移動する理由がなかったのだろう、と本論文は指摘しています。貝塚時代に安定していたというか静的だった沖縄諸島が大きく変わるのがグスク時代で、農耕の開始や中国産陶磁器など外来要素が突如出現します。これらは先島諸島へと伝わり、奄美・沖縄諸島と先島諸島が初めて一つの文化圏となります。

 また、グスク時代の沖縄諸島の人類とそれ以前の沖縄諸島の人類とでは形質的にかなり異なることが判明し、沖縄近世人が渡来系弥生人・古墳時代人・鎌倉時代人に近いとの形質人類学の研究成果とも併せて、グスク時代の開始にさいして、外部から沖縄諸島への人類の流入がかなりあったのではないか、と推測されています。ただ、そうした沖縄諸島へ流入してきた人々がどこからやって来たのかというと、漠然と南九州とも言われているものの、まだ詳細なところでは曖昧さが残っているようです。

参考文献:
高宮広土(2014)「奄美・沖縄諸島へのヒトの移動」印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(臨川書店)第3章「日本へ」第5節P182-197

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