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(回答先: 伏見宮家は間男の子孫だった 投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 26 日 18:03:38)
賀陽宮は間男の子孫の家系なので 賀陽宮で男系維持は不可能
賀陽宮(かやのみや)は、1900年(明治33年)5月9日に久邇宮朝彦親王の子邦憲王を初代として創設された宮家である。
久邇宮朝彦親王(くにのみや あさひこしんのう、文政7年1月28日(1824年2月27日) - 明治24年(1891年)10月25日 )は、日本の皇族。伏見宮邦家親王の第4王子。
伏見宮邦家親王(ふしみのみや くにいえしんのう)は、江戸時代から明治初期の、日本の皇族。伏見宮第20代および第23代。伏見宮貞敬親王の第1王男子。
伏見宮貞敬親王(ふしみのみや さだよししんのう)は、江戸時代の日本の皇族。伏見宮第19代。伏見宮邦頼親王の王子。
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伏見宮家は間男の子孫だった
◆ 伏見宮で男系維持は不可能
(旧宮家再興で)男系維持による皇位継承を実現しよう、という見解がある。しかしそれは不可能だ。そこで得られるY染色体は、天皇家のY染色体ではなく、間男のY染色体である。
──
男系維持による皇位継承を実現しよう、という見解がある。たとえば、安倍首相がそうだ。
《 「女性宮家」白紙に=安倍首相 》
安倍晋三首相は8日夜のBSフジの番組で、野田前政権が検討した「女性宮家」構想について、「皇統の継承は男系でつないでいくと皇室典範に書いてあり、女性宮家はそういう役割を担うことができない」と指摘した。その上で「もう一度じっくりと見直しをしていかなければならない」と述べ、白紙に戻す考えを示した。
( → 時事通信 2013/02/09 )
ここで、男系維持というのは、具体的には、旧宮家再興、つまり、伏見宮の系統を復活させることを意味する。
では、伏見宮の系統とは、何か? 具体的には、次の系統だ。
→ 伏見宮系図
http://www.eonet.ne.jp/~yanaken/miyasama/keizu2.htm
この系図を見ると、興味深いことに気づく。
・ 現存する男子は、非常にたくさんいる。
・ 現存する男子は、すべて邦家親王の子孫である。
・ 邦家親王は、息子の数が多かった。
・ 邦家親王の子孫も、代々、男子が多かった。
・ 邦家親王の父である貞敬親王は、女子が多かった。 女子も男子も多かった。
・ 貞敬親王以前 よりも前は、代々、男子が少なかった。
伏見宮邦家親王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%AE%AE%E9%82%A6%E5%AE%B6%E8%A6%AA%E7%8E%8B
伏見宮貞敬親王
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%AE%AE%E8%B2%9E%E6%95%AC%E8%A6%AA%E7%8E%8B
以上をまとめると、次のようになる。
「伏見家は、貞敬親王以前 よりも前は、代々、男子が少なかった。ところが、その子である邦家 貞敬親王は、息子の数が多かった。また、その子孫も、代々、子孫が多かった」
つまり、Y染色体の傾向から言うと、次の二つに分類される。
・ 貞敬親王以前 よりも前 …… 代々、男子が少なかった
・ 邦家 貞敬親王以後 …… 代々、男子が多かった
このように、Y染色体の傾向がまったくといっていいほど正反対である。このことは、「Y染色体は代々引き継がれる」ということと矛盾する。
一方、次の事実がある。
「現在の皇室の系統は、代々、男子の数が少なかった」
このことは、現存の皇室の顔ぶれを見るだけでもわかる。
→ 皇室の構成図 - 宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/about/kosei/koseizu.html
浩宮・礼宮の世代では、男子が2名で、女子が5名(皇籍離脱した紀宮を含めれば6名)だ。
その次の世代では、男子が1名で、女子が3名だ。
また、大正天皇は、本人がもともと虚弱だった。
明治天皇は、十分に健康な男子をもうけることができなかった。第1皇子は死産。第2皇子は11歳で夭折。第3皇子は大正天皇だが、虚弱体質だった。また、第1皇女は死産。第2皇女は11歳で夭折。その他、第10皇女までいたのだが、やたらと女だらけで、健康な男子は一人も産まれなかった。(子女の数が多いのは側室がいたから。
→ Wikipedia )
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E7.9A.87.E5.AD.90.E5.A5.B3
──
以上をまとめると、次のように言える。
・ 現在の天皇の系統は、代々、男子の数が少ない。
・ 貞敬親王以前 よりも前の伏見宮も、代々、男子の数が少ない。
・ 邦家 貞敬親王以後の伏見宮は、代々、男子の数が多い。
このことから、次のように推定できる。
「邦家 貞敬親王の時点で、Y染色体に、大規模な変化が起こった。それはほとんど突然変異といっても良いくらいの、大規模な変化であった」
一方、生物学的に、次の事実がある。
「突然変異というものは、ほとんどが、不利な形質を帯びる。有利な突然変異というものは、百万回に1回、または、それ以下である。ごく稀な例外を除いて、有利な突然変異というものは起こらない」
この二つを合わせて考えると、次の結論となる。
「邦家 貞敬親王の時点で、Y染色体に、大規模な変化が起こった。それはほとんど突然変異といっても良いくらいの、大規模な変化であった。しかるに、それは突然変異ではなかった」
このことから得られる結論は、一つだけだ。
「邦家 貞敬親王のY染色体は、天皇家の代々続くY染色体ではなくて、外部からもたらされたものである」
要するに、そのY染色体は、邦家 貞敬親王の親のY染色体ではなく、邦家 貞敬親王の親の間男のY染色体なのだ。(推定)
そして、そのY染色体が、現在の伏見宮家に広範にひろがっている。つまり、伏見宮家のY染色体はすべて、邦家 貞敬親王の親(貞敬 邦ョ親王)の間男のY染色体なのだ。
そして、安倍首相の言うように、伏見宮家から天皇を出すとしたら、それは、天皇の血筋を引き継ぐ男子が天皇になるということではなくて、間男の血筋を引き継ぐ男子が天皇になるということなのである。
つまり、日本の天皇は、間男の子孫に乗っ取られてしまうわけだ。
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