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(回答先: 昭和天皇、岸伸介や吉田茂はCIAの工作員名簿に載っているアメリカのスパイだった: 投稿者 中川隆 日時 2021 年 11 月 02 日 08:20:17)
近衛文麿は昭和天皇の退位を勧めて抹殺された。
鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』
『白洲次郎の幼馴染の牛場友彦(東大卒業後、オックスフォード大学入学、その後太平洋問題調査会IPRに入っていた)が近衛文麿に従い、二ヶ月のアメリカ旅行を行った。その旅には樺山愛輔(注 白洲の岳父)の国際通信社の取締役であった岩永祐吉も同行した。岩永の推挙もあったようだが、この旅で昭和12年に近衛の組閣に際して、牛場は近衛の秘書官となるのである。
牛場の証言によると、白洲次郎とは昔から”ジロー””トモ”と呼び合う仲であったが、昭和12年以降(注 白洲が日本水産の取締役になった年)その親密さは増し、白洲の近衛の政策ブレーン−後藤隆之助、西園寺公一、あるいは尾崎秀実など−との交渉も頻繁になっていった。』(青柳恵介『風の男 白洲次郎』新潮社より)
この牛場と松本重治次郎が白洲次郎の汚れ仕事の仲間である。
尾崎秀実を朝飯会に入れた牛場友彦・松本重治・白洲次郎は、
近衛文麿を排除すべく秘密工作もしている。
占領期になると三人は近衛を追い詰める工作をあれこれやる。
近衛の自殺は自殺という形の暗殺である。
前夜二人は白洲次郎に渡された青酸カリを持って近衛を訪問、
二時間余りも脅し強要して自殺させたのである。
『私は(通説とは)逆に、西園寺公一と原田熊雄たちが、天皇と木戸、近衛に踊らされていた、とみるのである。ゾルゲ・ルートで一方的に数万点の機密資料を垂れ流した天皇、木戸、近衛は、一方でソ連に日米和平の仲介を依頼すべく闇のルート(たぶん野坂参三のルート)で知らせ、その情報を讀賣新聞に流したのだろう。南進策こそはアメリカとイギリスとの戦争そのものを意味した。』
山本五十六の黙示録と同じことを白洲次郎も語っている。
東京大空襲を予知して事前に避難しているのである。
二人ともシナリオを知っていたのだ。
同盟通信社は次郎と前出のOSSの連絡ルートだったようだが、
同盟通信社の松本重治もシナリオに一役買っている。
松本重治は神戸一中の同窓生である。
彼は広島原爆投下の演出に協力している。
この松本重治は牛場友彦ともに、近衛服毒自殺の前夜に荻外荘を訪ねている。
吉田茂は近衛服毒自殺の部屋に寝泊りし荻外荘を買い上げている。
私は吉田茂と昭和天皇が図って近衛を排除したと思う。
五摂家の筆頭である近衛家の当主は、昭和天皇の退位を勧めて抹殺された。
吉田茂にとって昭和天皇は絶対に退位してはならない掌中の玉である。
道徳的見地から退位を勧めた東大総長・南原繁を指して、
「曲学阿世の徒」と吉田茂が唾棄したエピソードは有名である。
吉田茂は白洲次郎を使って山本五十六、近衛文麿、尾崎秀実を抹殺している。五十六暗殺のスケジュールは、13日に昭和天皇のお気に入り鮫島元侍従武官が行動予定時刻の詳細を打電、これが死を賜る合図である。暗殺劇の予定は15日だったが「天候が良くない」という理由で延期された。アメリカ側が傍受できなかったのである。17日旗艦『武蔵』から再度打電され、これが傍受される。そして翌日18日の暗殺が決行される。
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故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA
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