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米欧対立を埋めるには ――覇権下の反米主義とリーダーシップ
Bridging the Atlantic Divide
フィリップ・H・ゴードン
ブルッキングス研究所シニア・フェロー
アメリカが積極的にリーダーシップを発揮しなければ、国際社会に行動を起こさせることはできない。だが、あまりに勇猛すぎると、それは傲慢な単独行動主義と化す。他の諸国は反発を強め、アメリカに続こうとはしなくなる。
米欧間の構造的・文化的なギャップが、アメリカの単独行動主義によってさらに広がりをみせている。一方で、アメリカは短絡的すぎると批判するだけで、真っ当な代替策を示さないヨーロッパも、大いに問題がある。アメリカもヨーロッパも、自分だけでどうにかできる時代ではないことを認識しなければならない。
<目次>
・連帯から相互批判の時代へ 公開中
・力の格差と構造的対立 公開中
・米欧はいまも価値を共有している
・単独行動主義の弊害
・グローバル時代を踏まえた戦力整備を
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連帯から相互批判の時代へ
9・11の余波の中、意外にもアメリカ人とヨーロッパ人は、ともに相手を驚かせるような好意的対応をみせ始めた。テロ直前の二〇〇一年夏、訪欧したジョージ・ブッシュを待ち受けていたのは市民の激しい抗議運動だった。ヨーロッパの市民たちは、アメリカの大統領のことを「何も知らない粗野なカウボーイ」とみていた。しかし、そのカウボーイ大統領が、アフガニスタンで、予想外に慎重でバランスの取れた慎重な行動をみせると、ヨーロッパ人は困惑し始めた。
ヨーロッパ人は、粗野なカウボーイというブッシュに対する紋切り型の見方をやめ、アルカイダ・ネットワークだけでなく、タリバーンに対するアメリカの戦いも強く支持するようになった。事実、ヨーロッパの指導者たちは対テロ戦争をめぐってアメリカとの「限りなき連帯」を表明し、直ちに、北大西洋条約の集団安全保障条項を発動した。米欧は9・11以前には誰も予想しなかったようなねじれを経験した。テロから数カ月後、アメリカは、地球のほぼ反対側で大規模な戦争を戦っていた。そして、当時のヨーロッパの同盟諸国の最大の悩みといえば、「ワシントンが受け入れる以上の部隊を現地へ送り込みたい」と考えていたことだった。
しかしそれ以降、米欧関係は急速に冷え込んでいく。いまやヨーロッパ側は「ワシントンはすべてのことを対テロ戦争の軍事的側面に収斂してしまうような、短絡的な外交路線をとっている」と対米批判を繰り返し、一方のアメリカは、イラクのような敵対的な国家への対抗措置をめぐってヨーロッパが消極的なことに反発を覚え、不快に感じている。ヨーロッパは、アメリカが、中東におけるイスラエルとパレスチナ間の暴力の悪循環をめぐってイスラエルのシャロン首相を無条件に支持していることに批判的だし、一方のアメリカは、ヨーロッパがテロや反ユダヤ主義に対して次第に許容的になりつつあると不満を募らせている。また、国際刑事裁判所(ICC)、気候変動に関する京都議定書、対人地雷禁止協定、生物兵器条約(BWC)の査察に対する拒絶姿勢など、アメリカが多国間組織や国際条約が強いる主権の制約を受け入れることに消極的なことも、米欧関係を蝕んでいる。
個々の政策、グローバルな戦略、あるいはグローバルな統治(グローバル・ガバナンス)をめぐる米欧間の立場の違いはいまに始まったことではない(訳注:グローバル・ガバナンスとは、環境や兵器拡散問題など、一国だけでは解決できないグローバルな問題に対して、各国が多国間組織や非政府組織などと協調して、あるいは多国間組織が問題管理にあたるグローバルな統治枠組みのこと)。だがいまや、一部の専門家は、大西洋同盟の文化的・構造的な基盤そのものが崩壊しつつあるとみている。十三年前、西洋的な価値と制度の勝利を「歴史の終焉」と描写したフランシス・フクヤマさえもが、米欧コミュニティー内の「根深い立場の違い」を指摘し、現在の米欧の仲違いはたんなる一時的な現象ではないと分析している。また、かつてはヨーロッパにおける大西洋主義(米欧協調主義)の牙城だったドイツ・アスペン研究所のジェフリー・ジェドミン所長までもが、武力行使に関するヨーロッパの「病理」について語り、安全保障に関する米欧間のとらえ方はいまや大きく食い違ってきており、「アメリカのグローバル戦略を考えるうえで、かつての米欧同盟を下敷きにするのはほとんど意味がない」と指摘している。長く大西洋同盟の基盤だった「北大西洋条約機構(NATO)は死滅した」と論じたコラムニスト、チャールズ・クラウサマーの主張が閉鎖空間のなかだけで成立しているわけではない。
しかし、米欧の立場が大きな食い違いをみせているという認識をもっとも世に広めたのは、何といってもロバート・ケーガンだろう。(国務省を経て、現在、カーネギー国際平和財団の研究員を務める)ケーガンは、二〇〇二年の夏にポリシー・レビュー誌に寄せた「力と弱さ」と題した論文で、「ヨーロッパ人とアメリカ人が世界観を共有している、あるいは、同じ世界を共有していると取り繕うのはもうやめたほうがいい」と主張した(全文はwww.policyreview.org/JUN02/kagan.htmlからアクセスできる)。
力の格差と構造的対立?
米欧間の力、主権、安全保障への認識がなぜ違っているか、それらがここにきてなぜ先鋭化しているかについては、それなりの理由がある。ケーガンが指摘する米欧間の「パワーの格差」は間違いなくその要因の一つだ。現在のアメリカのような、技術力、軍事力、外交資源を持っている国であれば、問題が、バルカン危機、ミサイルの脅威、ならず者国家の何であれ、「問題を解決しよう」とする。一方、アメリカほどの資源を持たない国なら、「問題を管理しよう」と試みる。
圧倒的な軍事力、技術力、そして、比類なき成果を手にしたアメリカ人は、世界の問題についても「解決できる」という楽観主義を持つようになってしまった。一方、ヨーロッパは、長い歴史を持つ国民国家として、より複雑で曖昧な歴史的経験に根ざす悲観主義を基に現実をとらえようとする。こうしたヨーロッパの現実主義とアメリカの楽観主義がなじまないのは当然だろう。アメリカは、周りを友好的な諸国に囲まれているために、自国が危機にさらされることに慣れていないが、一方で圧倒的なパワーを手にしているために、ヨーロッパよりもリスクを引き受けることを嫌がらない。ミサイル拡散やイラク問題などの脅威に対抗するために、進んで資源を投入しようとする。
しかし、ヨーロッパが相対的に軍事力を充実させていないことが、米欧の戦略文化が違うことの大きな原因であり、帰結でもある。合計すれば、三億七千七百万の人口を擁し、ほぼ八兆五千億ドル規模の国内総生産(GDP)を持つEUは、その気になれば、かなりの規模の軍事力を整備できる。だが、少なくともいまのところ、そのような選択を下していない。ケーガンが指摘するように、軍事力の整備にあまり熱心でないのは、二十世紀の前半に戦争を、後半に平和と統合を経験したヨーロッパの経験知なのかもしれない。二十世紀に相反する経験をしたがゆえに、ヨーロッパ人の多くは軍事力よりも対話と経済開発のほうが、より間違いのない平和への道筋だと考えるようになったのだろう。この教訓を彼らが現実に適用しようとするのは理解できる。だが、ナイーブと言わざるを得ないときもある。
ヨーロッパが軍事力をそれほど整備しようとしないのは、冷戦期のアメリカが、ヨーロッパにNATOをつうじた保護の手を差し伸べたことの結果でもある。過去の経験と国連安保理の常任理事国としての地位ゆえに、軍事力の整備に積極的だったイギリスとフランスはある程度例外とみなせる。しかし、NATOにおける戦後のアメリカのリーダーシップゆえに、ヨーロッパは域外での国際安全保障問題をまじめに考えずにすんだ。グローバルな軍事戦略をおもにアメリカの専門領域とみなしたヨーロッパは、EUというかつてない空間での平和と繁栄の実現という困難な任務への取り組みを優先させた。その結果、奇妙な分業体制が出来上がってしまった。アメリカ人が、イラクの大量破壊兵器、北朝鮮のミサイル、あるいは中国の台湾侵攻などを心配し、一方のヨーロッパは食糧安全保障や地球温暖化を心配するという棲み分けだ。
また、地理的な位置、歴史やパワーの違いが、アメリカとヨーロッパの主権への認識も異なるものとした。軍備管理合意、国連、ICCなど一連の国際的課題をめぐって論争が生じているのもこのためだ。世界規模での大きな行動の自由の確保を重視するアメリカは、自国の(主権と)行動の自由を制約するかもしれない、新たな多国間メカニズムを導入することにはそれほど関心がない。一方、ヨーロッパ人は五十年という歳月をかけて国際社会の一員として生きていくことを学び、自分たちの主権が制限されることを、ときに痛みを感じながらもゆっくりと受け入れてきた。多くの国がひしめき合うヨーロッパ大陸の小国や力の弱い国のほうが、世界唯一の超大国よりも、拘束力を持つ国際法や合意に関心を持ち、より問題なく受け入れるとしても何の不思議もない。
アメリカとヨーロッパが、パワー、軍事力、主権に対して異なる態度をとり、その差が広がっているのは厳然たる事実だろう。問題は、米欧間の姿勢の違いがあまりに広がっているという事実から、ワシントンがどういう路線を導き出すかだ。アメリカはヨーロッパとの同盟関係をもはや役に立たないと判断して切り捨てるべきかどうか、またそうできるかどうか。アメリカはもはや同盟関係を必要としないと表明すべきか、あるいは、ヨーロッパ以外に他によい同盟関係を探すと表明すべきかどうか。だが、これらの設問への答えはすべてノーだ。
*全文はフォーリン・アフェアーズ日本語版でご覧になれます
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