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ビンラディン逮捕劇の怪しさ
2003年3月15日 田中 宇
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イラク問題をめぐる大騒動の陰に隠れ、日本ではほとんど報道されていないが、アフガニスタンとパキスタンの国境地帯では今、オサマ・ビンラディンに対する「包囲網」が狭められつつある。もうすぐビンラディンが「逮捕」もしくは「射殺」されるかもしれない、という事態になっている。(関連記事)
パキスタン当局は3月1日、ビンラディンの側近中の側近の一人で、911事件のテロ行為を裏で指揮したといわれるハリド・シェイク・モハメドを「逮捕した」と発表した。そして、このモハメドが逮捕後の尋問で「昨年12月にビンラディンに会った」と語り、逮捕と同時に携帯電話やノートパソコン、アドレス帳なども押収されたという。(関連記事)
そこから、ビンラディンと直接コンタクトをとっている別の側近の逮捕につながり、ビンラディン自身の居場所をある程度特定できる状態になり、地域を限定した捜索が始まっていると報じられている。(関連記事)
ビンラディンがいるかもしれないとされる地域はいくつかある。一つはパキスタン北西辺境州のチトラル地方(Chitral)と、そこから国境を越えてアフガニスタン側に入ったクナール州で、包囲網は400平方キロの山岳地帯に狭められているという。(関連記事)
もう一つは、そこから1000キロほど離れたパキスタンのバルチスタン州のアフガン国境近くの一帯だという。ビンラディンの居場所は、米軍のアフガニスタン侵攻が終わる直前の2001年12月以来、分からなくなっていた。
3月7日には、バルチスタン州のアフガン国境近くの町で、パキスタン側が大規模な掃討作戦を行い、アルカイダのメンバーを9人逮捕したが、逮捕者か死者の中にビンラディンもしくはその息子が含まれているのではないか、と報じられた。(関連記事)
この逮捕報道はその後、パキスタン当局によって否定された。だが、これまで生死や行方がまったく分からなかったビンラディンの居場所が分かり始め、少なくとも生きていることが明らかになったことは大きな前進だという見方が欧米の報道には多い。ブッシュ大統領はハリドの逮捕を聞いて大喜びし、アメリカに対するテロの危険が減ったと演説で示唆した。(関連記事)
▼ハリドは逮捕されていない?
ところが、事態の推移をさらに詳細に読んでいくと、おかしな点がいくつもあることに気づく。最も大きな疑問は「そもそもハリド・シェイク・モハメドは本当に3月1日に逮捕されたのか」というものだ。モハメドは今から6カ月前の昨年9月の銃撃戦で死んでしまっている可能性があり、パキスタンとアメリカの当局は何らかの目的でウソをついているかもしれない、という指摘がある。(関連記事)
2001年の911事件からちょうど1年後の昨年9月11日、パキスタンの大都市カラチで、パキスタン当局とアメリカFBIが総勢1000人以上で一軒の建物を包囲襲撃し、数時間の銃撃戦の末、襲撃された建物の中にいた2人の男が銃殺され、10人が逮捕された。
当初「襲撃の目的はラムジ・ビンアルシビを逮捕するためで、逮捕者10人の中のひとりがビンアルシビだ」と報じられた。ビンアルシビは911事件の実行犯グループの一人で、アメリカのビザがとれなかったため渡米できず、事件後も生き残ってしまったアルカイダのメンバーとされる人物である。
ところが、その数日後「襲撃してみたところ、アルカイダ内でビンアルシビの上司にあたるハリド・シェイク・モハメドが偶然同じ建物内にいた」という追加報道があった。そして「ハリドは銃撃戦で死んだ。死者2人のうちのひとりがハリドだ」「ハリドは死んでいない。逮捕者のうちのひとりがハリドだ」「ハリドは銃撃戦の最中に逃げおおせた」という3種類の情報が流れた。(関連記事)(関連記事)
結局、パキスタン当局は「ハリドは逃げおおせた」という説を公式発表した。だが、パキスタン情勢に詳しいアジアタイムスの記事によると、この説は信憑性に欠けるとしている。襲撃当時、建物周辺は1000人もの警察官や特殊部隊などに囲まれており、そこから逃げ出すのは不可能だったはずだ、という。(関連記事)
▼アルジャジーラ記者の信憑性
このときの逮捕劇のきっかけとなったのは、中東カタールのテレビ局「アルジャジーラ」のヨスリ・フォウダ(Yosri Fouda)という記者が、その何カ月か前にハリドとビンアルシビに対する独占インタビューに成功したことだったとされる。アルジャジーラの記者は、目隠しされてカラチ市内の2人の隠れ家に連れて行かれ、そこでインタビューさせてもらったが、あとでヨスリ記者が隠れ家の場所を当局に話したことから、隠れ家の場所が判明したという。(関連記事)
ところがこの話とは別に、ハリドは昨年9月11日の襲撃より3カ月前の2002年6月16日に、すでにパキスタン当局に逮捕されていた、という情報がある。この情報は、昨年9月11日の襲撃より数日前にパキスタンの新聞などに載り、それらの報道が出てすぐに9月11日の「襲撃」が行われている。こうした経緯から、パキスタンやアメリカの当局は、何らかの理由で6月逮捕説をくつがえす必要があり、それで911事件からちょうど1年目という目立つ日に捕獲劇を展開したのではないか、と見る人もいる。(関連記事)
アルジャジーラのヨスリ記者は、当初は「ハリドへのインタビューは6月に行った」と言っていたが「ハリドは6月16日に逮捕された」という説が報じられるや、インタビューの時期を「4月」に変更して説明するようになった。(関連記事)
またヨスリ記者は、ハリドらアルカイダメンバーとされる人々への直接インタビューとは別に、アルカイダからビデオや録音テープをもらい、アルジャジーラはこれらを昨年9月に放映したが、これらのテープはニセモノの疑いが強いとフィナンシャルタイムスなどに指摘された。(関連記事)
アルカイダ側は、ヨスリ記者にインタビューを許したことで、自分たちの隠れ家を暴露されてしまったわけで「ヨスリ記者はアルカイダから命を狙われている」という報道も出たが、その一方でヨスリ記者はその後再びアルカイダからビンラディンの肉声だというテープをもらったりしている。(関連記事)
アルカイダが911事件の犯人組織だ、とする証拠の多くは、ヨスリ記者が行ったインタビューや入手したテープを根拠にしている。ハリドはヨスリ記者に対し「911事件でハイジャック後にペンシルベニアに墜落した4機目の飛行機は、本当は米連邦議会に激突させるはずだった」などと語り、アルカイダの幹部が初めて911事件への関与を明確に認めたものとして注目された。だが、上記の経緯を見ると、このインタビューそのものに対する信憑性を疑わざるを得ない。
▼911事件の犯人はアルカイダではないかも
このほか、ビンラディン自身が911事件を計画したことを示唆したものとして以前に注目されたテープも、出所がはっきりしないものだ。結局のところ、これまでに放映された映像や音声では、アルカイダが911事件を起こしたという明確な証拠になりうるものは一つもない。それらが明確な証拠だと主張している人は、米当局者などが「このテープは本物だ」と主張するのを無前提に信用し、自ら疑うことを自制してしまっている。
映像や音声でのアルカイダ側からの「自白」とされるもの以外で、アルカイダと911事件とのつながりを示す証拠として存在するのは、実行犯の主犯格とされるモハマド・アッタが、事件前にアラブ首長国連邦の銀行口座から送金を受けており、その口座の持ち主がアルカイダの幹部であるとされるムスタファ・アーマド・アルハサウィ(Mustafa Ahmed al-Hawsawi)だった、という点がある。ところが、これもそもそもアルハサウィなる人物が何者なのか、まだよく分かっていない。アルハサウィというのは本名ではなく、顔写真すら明らかにされていない「謎の人物」である。(関連記事)
世の中の多くの人は「911の犯人はアルカイダだ」と考えているだろうが、これは米当局がそう言っているというだけに過ぎない。詳しく見ていくと、アルカイダが犯人だという確たる証拠はまだ何もない。
▼おかしなハリド逮捕劇
昨年9月11日のカラチでの大捕物帖から6カ月後のさる3月1日未明、再びハリドに関する逮捕劇が繰り返された。こんどはパキスタンのもう一つの大都市ラワルピンジで、引退した科学者であるアブドル・クドス・カーン(Dr. Abdul Quddus Khan)の自宅に完全武装の特殊部隊が押し入り、そこに匿われていたハリドを逮捕した、と発表された。同時にハリドが持っていたノートパソコン、携帯電話、アドレス帳も押収され、そこからオサマ・ビンラディンの居場所について重要な情報が得られたとされる。(関連記事)
ところが、カーンの家族は、ハリドという人物には会ったこともなく、特殊部隊に押し入られたとき、自宅には家族以外誰もいなかったと証言している。ノートパソコンなどはハリドのものではなく、カーンの家族の持ち物であったという。しかも、逮捕劇が行われていた間、近所の人々は全く銃声を聞いていない。ハリドをかくまっていたのは、カーンの息子のアーメド・アブドル・クドス(Ahmed Abdul Qudoos)という男だと発表されたが、クドスは精神障害を持つ青年で、これまでの人生でほとんど自宅から出たことがなく、ハリドをかくまったりできるはずがない、という事実も明らかになった。(関連記事)
カーンの妻(クドスの母)は、パキスタンのイスラム政党「イスラム協会」(JI)の幹部だった。昨年9月11日にカラチで当局の襲撃を受けた家も、イスラム協会の幹部が住んでいた。このため、クドスは本当はアルカイダとは関係がないのに、イスラム協会を弾圧したいパキスタン当局は、クドスがハリドをかくまっていたことにして、でっち上げの逮捕劇を行ったのではないか、という憶測を呼んでいる。つまり昨年9月に続き、今回もまた逮捕劇自体の信憑性はかなり怪しい。ハリドはまだ逮捕されておらず、自由に動き回っているという報道もある。(関連記事)
今回の逮捕には、もう一つ裏の話がある。この記事の上の方で紹介した、モハマド・アッタに資金を送っていたとされる謎の人物ムスタファ・アーマド・アルハサウィが、ハリドと一緒に逮捕されたというのである。アルハサウィが逮捕されたというのは、まだ公式には発表されていないが、すでにアメリカのマスコミで報じられている。(関連記事)
もし本当にアルハサウィとハリドがともに逮捕されたとなると、2人の証言が「でっち上げ」でない形で出てくれば、911事件の真相が分かる可能性が出てくる。ところが、そもそも今回のラワルピンジの襲撃でアルカイダの幹部が逮捕されたということ自体が、かなり怪しい。本当は、アルハサウィもハリドも、3月1日には逮捕されていない可能性が大きい。まだ逮捕されていないか、もっと前に逮捕されていたか、すでに死亡が確認されたか、そのいずれかである。
さらに考えると、ハリドら2人の幹部が3月1日に逮捕されたのではないとしたら、ハリドに対する尋問によってビンラディンの居場所が分かってきた、という現状の新事態もまた、軽々に信じることができないということになる。
▼意図的に出てくるビンラディン逮捕情報
しかし実際には、ビンラディンが逮捕されそうだ、という情報は、いろいろなところから湧き出している。3月5日と6日にパキスタンのバルチスタン州とアフガニスタンの国境地帯でパキスタン軍と米軍特殊部隊がビンラディン逮捕のための大規模な掃討作戦を行った。
3月7日には、パキスタンの新聞「ニュース」が、バルチスタン州の大臣の話として、ビンラディンの息子が拘束されたと伝えた。ビンラディン自身も拘束されたという情報も流れたが、これらはパキスタン当局によって否定された。(関連記事)
また3月12日には、イランのラジオ放送に電話出演したパキスタンの野党幹部が、ビンラディンがパキスタン国内で逮捕されたと述べている。そしてこの野党幹部は、アメリカとパキスタンの政府は、米軍がイラク侵攻を開始すると思われる3月17−18日ごろになったら、ビンラディンの逮捕を発表するだろう、とまで語った。この発言内容についても、パキスタンと米の当局は今のところ否定している。(関連記事)
当局がビンラディンに対する包囲網を狭めることができたのは、3月1日のハリド逮捕によって新たな潜伏情報が得られたためだ、というのが表向きの説明だが、ハリドが3月1日に逮捕されたということ自体が事実かどうか怪しい以上、その「逮捕」をきっかけにビンラディンが逮捕されるかもしれない、という事態もまた、事実かどうか怪しいということになる。
ところが、にもかかわらず現状のように次々と「ビンラディンが逮捕された」という情報がしつこく出てくるということは、パキスタンやアメリカの当局が、その情報を意図的に流している可能性がある。
ふつうに考えると、世界中にテロリスト組織を張り巡らしている組織のトップを間もなく逮捕できるかもしれないというときに、捜査をしている当局が「包囲網が狭まってきた」とマスコミに言うのは、逆にテロを誘発したり容疑者に逃げられたりしてしまうので、とんでもない作戦ミスである。
そういう悪影響を無視して当局が「逮捕」情報を流すということは、そもそもアルカイダがアメリカの仇敵なのかどうか、誰が911事件を起こしたのか、という根本的なところから疑わざるを得ない。すでに「ハリドはパキスタン軍の秘密警察(ISI)のエージェントだった」という指摘がなされている。ISIは米軍の秘密部隊やCIAなどと、長く親密な関係を持っている。(関連記事)
▼イラク戦争とビンラディン逮捕劇
今後、このビンラディン逮捕劇が、間違った情報に基づく一時の騒動に終わるのか、それとも実際にアメリカ当局がビンラディンの「逮捕」または「死亡確認」を発表するに至るのか、それは今日(3月15日)の時点では、まだ分からない。
だが、今後もしビンラディンが「逮捕」ないし「死亡確認」されたと米当局が発表した場合、それは、そういう事実があったということではなく「アメリカ当局はビンラディンが逮捕されたことにしたいと考えて、意図的な情報操作を行うことにした」と考えた方が良い、ということになる。
その場合、なぜアメリカ当局がそんな情報操作をやりたいか、という分析をする必要がある。3月後半のうちに、ビンラディンに関して「逮捕」「死亡確認」などが発表された場合、それはアメリカのイラク侵攻との関係で発せられる情報操作である可能性が大きい。
そこで重要になるのは、アメリカの中のどの勢力がビンラディンを使った情報操作をやりたがっているか、という点である。アメリカ中枢には、イラク侵攻に対し、早期の侵攻を何が何でも挙行したい「タカ派」と、早期の侵攻を回避して「国際協調」を維持したい「中道派」がある。
ここ1−2週間、アメリカ中枢で侵攻回避の動きが高まっていることを考えると、米政権内部では中道派が主導権を握っていると思えるが、だとしたら「ビンラディン逮捕」を政治カードとして使おうとしているのは、中道派である。
▼アメリカ世論は思考停止を抜け出せるか
その場合、ビンラディンが逮捕または死亡確認されると、アメリカがテロの被害に遭う可能性が低いという方向に動き出し、危険は去ったのでイラク侵攻も先延ばしできる、という開戦回避の方向への「出口」を作れる。
アメリカでは2月に、当局が発する「テロ警報」の段階が「オレンジ」(危険度4)まで上がり、今にも911事件級のテロ事件が再発するかもしれないということで、アメリカ東海岸を中心に人々がパニック状態に陥った。このときのテロ警報は、3月1日に「逮捕」される前のハリドが黒幕となって、米本土に潜伏するアルカイダがテロ事件を起こすのではないか、という予測が当局にあったと報じられており、ハリドが逮捕されたことによって、米本土でテロが再発する恐れは減った。(関連記事)
そもそも昨今のアメリカでは、テロ警報が当局によって非常に意図的に発せられており、それは米国民を思考停止にさせて戦争支持の世論を維持することを目的にした米政府の戦略だった可能性が大きい。(関連記事)
ハリドが昨年9月に捕まっていたのだとしたら、ハリドが黒幕となって米本土にテロを仕掛けるというシナリオ自体、米当局の作り話だった可能性が強まる一方、3月1日にハリドが「逮捕」され、テロ警報が緩和されることで、米国民も思考停止を解かれ、今すぐイラクに侵攻すべきかどうか、冷静な判断ができるようになる可能性もある。米国民は、当局の作り話に振り回されていたことになる。
ブッシュ政権は今、イラク侵攻することも撤退することもできない袋小路に入っている。そこから脱するための突破口として「ビンラディンの逮捕もしくは死亡確認」が使われる可能性がある。
一方、ビンラディンを使った情報操作を行おうとしているのが戦争回避の「中道派」ではなく、好戦的な「タカ派」だとしたら、むしろ対イラク開戦のためのきっかけとして「ビンラディン」が使われることになるかもしれない。
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