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(回答先: 朝鮮半島で戦争がぼっ発する危険性はない=韓国大統領 [ロイター] 投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 18 日 20:19:02)
2003.02.17(月)13:08
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政権が金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継者として、金総書記と高英嬉(コ・ヨンヒ)夫人の間に生まれた金正哲(キム・ジョンチョル/22)を確定、公式化するための作業を開始したと分析された。
18日に発売される月間朝鮮3月号は、北朝鮮人民軍が昨年8月から人民軍将兵を相手に、金総書記夫人を偶像化する思想学習資料を入手し、報じた。
朝鮮人民軍出版社が「主体91年(2002年)8月」に発刊した『尊敬する母上は敬愛する最高司令官同志の限りなく忠直な忠臣中の忠臣だ』というタイトルの学習資料は、あわせて16ページの分量でできている。
「対内に限る」と表示されたこの資料は、しかし、「尊敬する母上」は誰なのかは明らかにしていないが、専門家らは「高英嬉であるだろう」としている。
康仁徳(カン・インドク)元統一部長官は「高英嬉に対する偶像化作業を示すもの」とし、「北朝鮮軍と労働党が金総書記の後継構図を確定したことを示す、初の資料」と述べた。
具本泰(ク・ボンテ)元統一部統一政策室長も「北朝鮮軍はこの資料を通じて、故金日成(キム・イルソン)主席の死後8年にわたる後継構図の確立のための権力闘争が終息したことを宣言している」とし、「成恵琳(ソン・ヘリム)の息子 金正男(キム・ジョンナム)を支持する労働党勢力と金正哲を支持する軍勢力の対決で、党が押されたようだ」と分析した。
▲「尊敬する母上」は高英嬉か=資料には「最高司令官同志の身元安全のために心血を捧げ、8年あまりの歳月を最高司令官同志に従って、最前線の高地に達した」と説明しているだけだ。
しかし、「最高司令官同志を最も身近で補佐し」という表現から、一緒に暮らしている人に違いない。この文書が、もし、金総書記と1974年に正式に結婚した本妻 金英淑(キム・ヨンスク)を偶像化するつもりだったなら、あえて名を隠す必要などなかったはずだ。
▲高英嬉と金正哲は誰?=高英嬉は在日同胞出身で、北送同胞(北朝鮮の帰還事業で同国に渡った在日同胞のこと)事業の始まった1960年代、両親と共に北朝鮮に渡った。1971年ごろ、万寿台(マンスデ)芸術団に入り、舞踊家として活動した。
高英嬉は金総書記と正式に結婚せず、1981年に息子の金正哲を生んだ。
金正哲に対しては詳しく伝えられたことがない。ただ、彼がスイスの国際学校で勉強した後、現在労働党宣伝部の核心要員として働いているということだけが伝わっている。
▲高英嬉に対する偶像化は過去、金貞淑の再演=康仁徳元長官は現在のような高英嬉に対する偶像化作業が、過去、金総書記が権力を掌握する以前に行った「金貞淑(キム・ジョンスク/金総書記の母)偶像化」の過程を連想させると指摘した。
康元長官は「高英嬉が人民軍が射撃を行う様子を見て、『けん銃の射撃法が気に入らない』、『動く標的を撃たなければならない』と現地指導する部分は、金貞淑偶像化の時と酷似している」とし、「北朝鮮は金貞淑が銃撃が上手いと宣伝し、後では偉大な戦略家だと称えた」と述べた。
1997年、韓国に亡命した黄長Y(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)労働党秘書も「金正哲を後継者とする計画だ」とし、「後継者は王が愛する女性の子になるはずであり、金総書記は高英嬉を最も愛しているのが事実」と述べた。
▲金総書記のその他の子女は?=金総書記は法的には1974年に金英淑と結婚したことになっている。金英淑との間には、ソル・ソン(29)という娘が一人いる。よく知られている金正男(33)は金総書記と成恵琳の間で生まれた。
金正男は2001年5月、日本に密入国して、強制出国された後、現在、中国などで滞在していると伝えられている。成恵琳は昨年、ロシアで死亡した。康元長官と具元室長は「これまで金総書記の後継者として特定されてきた金正男の運命はもう終わった」と述べた。
金総書記は金亨稷(キム・ヒョンジク)師範大学総長を務めたホン・イルチョンとも暮らし、その間に娘(金へギョン/35)がいるという噂もあるが、公式に確認されたことはない。
金演光(キム・ヨングァン)月間朝鮮記者
転載元
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/02/17/20030217000008.html