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イラクへの戦争は不必要 [ハーバード大学HPより]
http://www.asyura.com/2003/war23/msg/928.html
投稿者 通りすがれない 日時 2003 年 2 月 15 日 00:34:05:

イラクへの戦争は不必要

http://www.ksg.harvard.edu/news/opeds/walt_war_iraq_ar_013103.htm

ジョン・J・マースハイマー     スティーブン・M・ウォールト
(シカゴ大学教授・政治学)  (ハーバード大学教授・国際関係)

戦争をよくみると、歴史の歪曲と欠陥だらけの論理に依存していることがわかる。

もしアメリカが近々イラクに開戦するとすれば、とりあえずの理屈は、サダム・フセインが、国連の新たな査察体制に、ブッシュ政権が満足するような形で対応しなかったということになるだろう。しかしこの不履行は、この1年内にフセインとアメリカが衝突するに至った真の原因ではない。

衝突の深い根っこは、大量破壊兵器の使用をフセインに思い留まらせることはできないから、彼を倒さなければならないという、アメリカの立場にある。予防戦争の主張者は、たくさんの議論を展開するが、彼らの切り札は、フセインの過去の行状があまりにも向こう見ずで、無慈悲で、また攻撃的だから、WMD(Weapons of Mass Destruction :大量破壊兵器)特に核兵器を委ねるわけにはいかないという点である。彼らは、イラクへの戦争はコストがかさみ、アメリカ軍の駐留が長引き、他国との関係が微妙なものになるかもしれないと認めることもある。しかしこれらの関心事は、フセインと核兵器の組み合わせは危険すぎてとても許容できないという確信によって覆い隠されている。この理由だけで、彼は消えなければならないのだ、という。

予防戦争の反対論者でさえ、イラクには抑止は通用しないと考えているようにみえる。しかしこれら穏健派は、イラクに侵攻して支配体制を転覆させる代わりに、戦争の脅しをかけながら、フセインに新たな武器査察を認めるよう強いる方策を好むようだ。彼らの望みは、査察によって出てくる、隠されていたWMDの在庫や生産設備のすべてを抹消し、フセインがこれら致命的な武器を決して手にできないようにすることである。このように、強硬派の予防戦争主唱者も、穏健派の査察支持者も、同じ基本前提を受け入れている。つまり、フセインを抑止することはできないから、彼に決して核兵器を持たせてはならないという。

この議論には1つ問題があり、ほとんど確実に誤りだと指摘できる。フセインの過去の行動は彼を抑止することはできないことを示している、という思い込みは、歴史の歪曲と間違った論理に依存している。実際には、歴史上の記録は、もしフセインが核兵器を持っていたとしても、アメリカはイラクを効果的に抑止できることを示している、冷戦時にソ連を抑止できたように。イラクが国連の査察官に従うかどうか、また査察官が何を発見するかに関係なく、イラク攻撃のキャンペーンには薄っぺらな根拠しかない。

予防戦争を声高に求める人たちは、フセインを、常にペルシャ湾で優位を占めることに熱中している侵略者として描いている。また戦争派は、フセインは理性に欠けており、あるいは深刻な計算違いをする傾向があり、このため、明確に報復の脅しをかけたところで彼を抑止することはできないと主張する。アメリカ国家安全保障会議の湾岸事項についての前の責任者で、対イラク戦争擁護者でもあるケネス・ポラックに至っては、フセインは「その気でないのに自殺しかねない」とまで言う。

しかし事実は別の物語を語っている。フセインはイラクの政治を30年以上支配してきた。この間、彼は近隣諸国に2つの戦争を仕掛けた、1980年のイランと1990年のクエートだ。この点での彼の事跡は、近隣のエジプトやイスラエルと似たようなものだ――どちらも1948年以降いくつかの戦争を仕掛けたのだから。さらに、フセインの2つの戦争を注意深く見ると、彼の行動は向こう見ずどころでないことがわかる。どちらの場合も、イラクは攻撃され易く、また相手に弱みがあって孤立していると信じられたから攻撃に出ている。いずれの場合も、戦勝経験が限られているというイラクの戦略的なジレンマを、解消することが目的だった。ここでの説明は、フセインの攻撃性を弁護するものではなく、このような機会に戦力を用いるということは、彼は抑止できないということを論証するものではまったくないと言いたいのだ。

《イラン-イラク戦争、1980-88》1970年代、イランはペルシャ湾で最も強力な国だった。その強さの一部は大人口(イラクの約3倍)であり、また石油の備蓄だったが、同時にイラン国王がアメリカから得た強力なサポートにも由来した。この期間、イラクとイランの関係はたいへん敵対的だったが、イラクは、イランのこの地域での支配力に反抗する力はなかった。1970年代の初め、イランは絶えずフセイン政権に圧力をかけ続けた――主にイラクの、かなりの規模をもつクルド少数民族の、不穏な状態を助長することによって。1975年イラクは、最終的にイランに対してクルドに干渉しないことを認めさせたが、それはシャトルアラブ河流域の半分をイランに割譲したからこそ実現できたことで、イラクの弱さを明白にした譲歩だった。

したがって、1979年のイラン国王追放をフセインが歓迎したのは驚くに当たらない。イラクはかなりの期間、イランの革命政府と良好な関係を維持した。フセインは、イランの騒動に乗じて隣国への戦略的利益を物にしようとはせず、また以前の譲歩を反転させようともしなかった。イランは、1975年の合意条項を必ずしも完全には守らなかったのだが。一方、ホメイニ師は、イラクを手始めとして、彼の革命をイスラム世界に拡大することを決意していた。1979年の遅くまでには、テヘランはイランのクルドやシーア派の民族を刺激して、革命によってフセインを転覆させようと目論み、イランの秘密工作員たちがイラクの高官たちの暗殺を狙っていた。主にイランの先導によって、1980年4月までには、国境紛争がだんだん頻繁になってきた。

(中略)

イランとイラクは8年間戦い、この戦争は2つの敵対者にとって、100万人以上の犠牲者と少なくとも1500億USドル以上を支払うものになった。イラクは、外国からかなりの支援を受けたが、それはアメリカ、クエート、サウジアラビア、そしてフランスなどで、これらの国々は、何としてもホメイニのイスラム革命を阻止しなければならなかったからだ。この戦争は、サダムが考えた以上に高いものについたが、彼を転覆させてこの地域の支配権を得るというホメイニの野望をくじくことはできた。したがって、イランとの戦争は無謀な冒険とはいえず、重大な脅威に対する日和見的な対応だったといえる。

《湾岸戦争、1990-91》(前段を省略)

フセインが戦争を決意したのは1990年7月頃といわれているが、クエートに軍隊を送る前に、アメリカに接近してその反応をうかがった。イラクの指導者との今では有名になった会談で、アメリカ大使エイプリル・グラスピーはフセインにこう言った、「私たちは、あなたがたのクエートとの国境紛争のような、アラブ-アラブ間の紛争については、何の意見もありません。」アメリカはイラクに青信号を出すつもりはなかったろうが、実質的にそれをしたことになるのだ。

1990年8月の初め、フセインはクエートへ侵攻した。この行為は国際法の明白な違反で、アメリカは正当的に、侵略に対抗する連合軍を組織した。しかしフセインの決断は、無分別でも向こう見ずとはいえない。このケースでは、抑止が失敗したのではなく、一度も試みられなかったのだ。

しかし、いったんアメリカが原状復帰を要求した後、フセインがクエートを去らなかったという落ち度についてはどうか? 用心深い指導者なら、ぶん殴られる前にクエートを放棄しそうなものではないか? あと知恵では、この答えは明白だが、強硬路線が功を奏するかもしれないと信じるに足る根拠を、フセインは持っていたのだ。最初はアメリカが本当に参戦するかどうか明白でなかったし、ほとんどの西側の軍事専門家は、イラク軍が恐るべき防御体制を敷くだろうと予測していた。この予想は今日では馬鹿げているが、開戦前にはほとんどの人がそれを信じていたのだ。

しかし、いったんアメリカの空爆がイラク軍に深刻な損害を与えた後、フセインは、地上戦が始まる前にクエートから退却するべく、政治的解決を模索した。実際、フセインは完全に撤退するつもりがあることを明白にしたのだ。イラクを退却させて別の日に戦争が蒸し返されるのを防ぐために、当時のアメリカ大統領ジョージ・HW ・ブッシュ(現大統領の父)と彼の政府は、賢明にも、イラク軍が退却するときすべての装備を残していくよう要求した。米政府が望んでいた通り、フセインはこの条件を呑むことはできなかったのだ。

フセインのクエート侵攻が計算違いだったことは間違いないが、戦争の歴史では、指導者が見通しを誤るケースは枚挙にいとまがない。とはいえ、フセインが各選択肢を慎重に検討しなかったという証拠はどこにもない。彼は、深刻な挑戦を受けていたから軍を使ったのであり、彼の侵攻が大きな反感を惹起しないだろうと信じるに足る理由があったのだ。

また、このイラクの独裁者が、クエートからの総崩れの後も、生き延びていることを決して忘れてはならない、彼の支配体制へのその他の脅威もかいくぐってきたように。彼は今や、支配体制の40年目に入ろうとしている。もし彼が本当に「その気でないのに自殺しかねない」ような人間なら、彼のサバイバルへの直感は、もっと繊細に磨かれていると言わなければならない。

(中略)

もしアメリカが近々イラクと戦争を始めるとしたら、アメリカ国民は、説得力のある戦略的論拠が欠けていることを理解しなければならない。この戦争は、ブッシュ政権が戦うことを選択したものになるだろうが、戦わなければいけないものではない。こうした戦争が、たとえうまくいって長期的に肯定的な結果が出たとしても、必要でなかったとわかるだろう。そして悪い方に転がって、アメリカの甚大な犠牲、民間人の大量死、テロのリスクの拡大、アラブやイスラム世界でのアメリカ嫌悪の増大など、どれが出るにせよ、その立案者は更に大きい責任を負わなければならない。(完)

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