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反時代のパンセ(大量殺戮を前にして) 辺見庸
米国の横暴に憤るのに、みずからの指針ではなく、米国の正義感にまたも無意識に依存している。ノーム・チョムスキー、ラムゼー・クラーク、エドワード・サイード、バーバラ・リー、スコット・リッター、グレック・パラスト、そしてマイケル・ムーア........。彼らのメッセージに依拠し激励され権威づけられて、自らの反戦意識を確認し増幅する。反発の対象は米国、反発の正当化も米国産の言説の借用。自衛隊も米国式、市民運動も米式。換言すれば、憎むも好むも米国と言うことになってはいないか。映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で私が身を乗り出したのは、マリリン・マンソンの語りのシーンだった。「メディアは恐怖と消費の一大キャンペーンをつくりだす。このキャンペーンは人々を怖がらせることにより消費へと向かわせようという発想に基づいている。」とマンソンは言う。恐怖と消費の無限連鎖をいいあてている点で、彼の言はそのハード・ロックの質よりも秀逸である。戦争をしかける米国、命を賭してそれに抵抗する米国人。ベトナム戦争のころ、私はいっとき米国人によって見られたベトナム戦争を見て、米国人によって反対されてたベトナム戦争に反対していた。戦争を発動する者とそれに抵抗する者。それは米国の全体像を構成する一つの不思議なセットとなっているようでもある。恐怖と消費、非道と正義が拮抗し連環して米国はある。日本はその連環から抜けて自前の頭で考えるのではなく、またぞろ米国の正義を借用し消費しつつ米国への反感を強めている。ムーアの映画を見てパウエルの益体もない国連演説を聞いていたら、そんな気がしてきた。これってひとつのセットじゃないか、と。
(サンデー毎日・2003.2.23より)
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私が全くマスメディアとは関係なく過ごしながら身近で感じること、とたまたま見かけた辺見さんの記事はとても近い感じがします。日本には知恵というものが喪失しつつあるようです。
また、こうした恐怖と消費の無限連鎖は、ケインズの「悪いことは良いこと」と言う発想に似ているような気もしますが、もっと違ったかたちで日本で生産と消費の良い関係を構築できていかないのでしょうか。