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読んで良かった◎
http://www.asyura.com/2002/war11/msg/382.html
《帰ってきたよ! 》
2チャンネルに、私に関する膨大な量の投稿を発見しました。ベツレヘムで何があったのか?、川畑さんの記事が、細かく正確に事実を記しているので、UPしました。
その日、どれほど死にそうだったかは、日記をUPします。
http://members.tripod.co.jp/rikimaru_dog/index-5.html
メディアへの挑戦状 川畑嘉文
Tue, 03 Sep 2002
「真実をこの目で見てみたいんです」とリキマルさんは語る。「イスラエルへ行ってみて、メディアが伝える情報と現実との間に大きなギャップがあると 思ったんです。僕はもっと多くの真実を知りたい。それだけなんです」
リキマルという名前を見て、ピンとくる読者も多いのでは?
彼こそ、「日本人バカップル、イスラエルで救助」「平和ぼけした日本人の恥」という調子で、パレスチナでの行状が世界中に報道されてしまった人物なのだ。
しかしリキマルさんは、あの報道のほとんどが捻じ曲げられ、作られたものであると言う。
ベツレヘムで何があったか
ユーラシア大陸横断を試みている僕は、8月1日、ユーゴスラビアのベオグラードでリキマルさんと出会い、ボスニアヘルツェゴビナのサラエボまで一緒に旅をした。
リキマルさんの旅は2001年11月9日に始まる。日本からインド、ネパール、エジプト、ヨルダンとまわったリキマルさんは、2002年4月14日にイスラエルに入った。
リキマルさんがイスラエルで感じたことは、「自分の知識と真実との間に、大きな相違がある」ということだった。イスラエルを訪れるまで彼は、「イスラエルはユダヤ人国家で、ユダヤ人だけが生活をしている」と思っていた。しかしこれは誤りで、「町にいる多くの人間はパレスチナ人で、警察と軍を掌握するユダヤ人が暴力的に町を統治しているだけ」だった。
リキマルさんは痛感したという。「真実を確かめるには、自分の目で見てみるしかない」と。
4月17日、リキマルさんは、激戦地となっているベツレヘムへ行くことに決めた。ホテルのオーナーやジャーナリストからは、「あそこは大丈夫だよ」と言われた。ベツレヘム行きのバスも通常通り運転していると言う。
リキマルさんを乗せたバスが、ベツレヘムの手前まで行ったところで、パレスチナ人の運転手が「これ以上は行けない」と言う。そこからリキマルさんは、徒歩でベツレヘムに向かった。
途中、銃声をたびたび聞いた。イスラエル軍の戦車も何台か通過していく。そのたびに彼は、横の畑に隠れた。「戒厳令が敷かれているので、イスラエル兵は誰であろうと撃ってくる」と聞いていたからだ。
交差点で戦車と遭遇した時は、近くのバス停留所に飛び込んだ。しかし道は狭く、巨大な戦車が彼の身体をかすめるように通り過ぎていった。その時は、さすがにもう終わりだと思ったという。
しかしリキマルさんは、それでも前進していった。
ジャーナリストたちとのやり取り
聖誕教会から数百メートル離れた地点に、国連の活動拠点があった。そこを越えたリキマルさんは、7、8人のジャーナリストたちに遭遇した。彼らは、挨拶もなしにリキマルさんの写真を撮り始めた。
「どこから来た?」とジャーナリストたち。
「日本」とリキマルさん。
「ここで何があったか知っているのか?」
「知っている」
「どうやって来た?」
「エルサレムからバスに乗ってやって来た」
「どの道を通って来た?」
リキマルさんは『地球の歩き方』に掲載されている地図を見せた。
「何しに来たんだ?」
「見に来た」
「危ないと思わないのか?」
「ここが一番危ないところなのか?」とリキマルさんは聞き返した。
するとジャーナリストたちは、防弾チョッキとヘルメットを指差して言った。
「この現場を見てどう思う? 名前は?」
「リキマル」
「どのくらい旅をしている?」
「6カ月ぐらい」
「ここから先は行けないぞ」
「でも、僕は行くよ」
「グッドラック」
この後、リキマルさんは聖誕教会までの約150mを進んでいった。その後ろをTVクルーがついてくる。リキマルさんと一緒にいた女性は、これ以上は危険だと考え、この地点に残った。
聖誕教会までの約150mは、近くにいた子供たちが案内してくれた。リキマルさんによれば、その様子もTVクルーが撮影しているはずだが、報道されてはいないようだ。「聖誕教会近辺は危険地帯に違いない」と考えていたリキマルさんだが、そこにも子供たちがいて、人々が生活を営んでいた。
聖誕教会のそばには、イスラエル兵士がいた。兵士たちはリキマルさんを見つけると銃を向け、「ゴーアウト」と警告した。彼は「これ以上進むのは無理」と判断し、ジャーナリストたちと出会った地点へ戻った。
しばらく休憩をしていると、イスラエル兵がやってきて、リキマルさんやジャーナリストたちの身分証明書をチェックした。「おまえは何をやっている?」と兵士に尋ねられたリキマルさんは、「歩いているだけ」と答えた。そして、「今度おまえを見つけたら警察に引き渡すぞ」と言われたという。ここには警察組織がないことを知っているリキマルさんは、拍子抜けした。
ベツレヘムを出る時、リキマルさんはジャーナリストたちに、町の外まで一緒に車に乗せてくれるよう尋ねてまわった。しかし、どのジャーナリストにも拒否されてしまう。彼と連れの女性の2人分のスペースは十分あったにもかかわらずだ。そのためリキマルさんたちは、また歩いて戻るはめになってしまった。
本当の被害者は誰か
リキマルさんによれば、これがベツレヘムで本当に起こったことだ。しかし、まったく違った形で報道されてしまった。彼は、聖誕教会周辺がいかに緊張していたかを知っていた。そして、ジャーナリストたちから助けられてもいない。その反対に、むしろ、見捨てられた感がある。
リキマルさんは、虚偽の報道の被害者となったのだ。
リキマルさんのベツレヘムでの行状が報道された後、某出版社が開いた対談で評論家たちが、「平和ぼけの代表者」「ゲーム感覚なんじゃないか」「こんなやつは撃たれて死んだほうがマシだ」と彼のことを語っている。これらに対してリキマルさんは、「こんなことを言う人間こそが平和ぼけしている」と話す。「僕は実際に撃たれた人も見たし、彼らの痛みが分かる。もしそれを間近で見た人間ならこんなこと言えるはずがない。同じ日本人として悲しい」
僕は、この記事の中でリキマルさんのことを「被害者」と書いた。リキマルさんにも「虚偽の報道の被害者になったんですね」と感想を伝えた。
すると彼はこう言った。「確かに僕は、メディアに事実無根のことを書かれた被害者かも知れません。でも本当の被害者は、真実を伝えようとしないメディアからの情報しか得られない読者です」と。