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政党への反感がたかまり自民党支持率が20%にまで落ちた状況を考える。そして自民党の最大派閥だけで自民党の過半数をしめているとする。この場合、この派閥のボス一人の一存で、だれが自民党総裁となるか、決めることができる。
この自民党が衆参両院でそれぞれ議席数を48.5%を占めているとする。野党の弱小2政党(例えば公明党と保守新党)の両議院の合計議席数数の割り合いが1.6%だとする。これらを足すと50.1%となり、これら3党で与党を組めば、与党だけで常にどんな法案とおすことができる。つまり自民党最大派閥のボスが,この2つの弱小政党それぞれに閣僚ポストをやるから,与党になってほしいと話をもちかける。そのさい、自民党に反対投票するなら内閣改造で、おまえたちの閣僚ポストははずす、宗教政党に対する課税をする、創価のボスを証人喚問する。もちろんそうしたおどしすかしを含んだうえでのことだ。
こうなると事実上、自民党最大派閥のボス一人だけで総理大臣を決定できるうえ、いかなる法案も通すことができる。つまり、与党三党の政党支率合計がせいぜい20%強(現在公明党は1.9%,保守新党は0.1%しか支持率がない)、つまり国民の8割が与党に賛成を表明していない状況でも、このボスの一存で、いかなる法案もとおすことができる。1億人が反対することであっても,この1億人より自民党のこのボスたった一人の方が、決定力が大きいということになる。これは事実上独裁政治にほかならないのではないか。せめて、自民党のうちの最大派閥2つあるいは3つのそれぞれの派閥の親分が談合すれば、あるいは最悪でも創価のボスと保守新党のボスをふくめ4,5人が合意あるいは談合すれば、通常党議拘束と派閥内拘束があるため、仮に実際は自民党議員全員、公明党議員全員、保守新党全員が反対する法案であってもこれらボスタたちだけでいかなる法案も通過させることができることになる。つまり野党、民主党、社民党,共産党、およびボス以外の与党議員が事実上すべて反対しても、これらボス4,5人だけで、いかなる法案も通過させることができる。万能の力を持つ。
こういう状況だと世界権力の中枢から見ればこの4,5人の連中を操作すれば,事実上日本を完全に操作できる。この連中にアメとムチを与える。おどしすかしで駆け引きする。スイスの銀行の秘密口座に10億円送金してやる、ボス連中のスキャンダルを暴いてやる、創価の大学をアメリカから閉鎖する、あるいはかつての佐藤栄作のように、あるいは宗教人ツツ司教のようにノーベル平和賞受賞にはたらきかけてもいい、などとだ。
こうなると、実は世界権力は日本を支配することは何の困難もないということだ。
つまり、政党政治、派閥制度(共産党のように党官僚制度でもいいが)、党議拘束制度、過半数議決制度が並列的に存在する場合、実はほんの数人のボスで万能の力を持つことができるという意味で,実は独裁制度として機能してしまうことが可能だということ。民主主義という美名だけが人々をこの独裁を受け入れるマジックワードになってしまうということだ。
おそろしいのは、国内文脈では独裁となるが対外的文脈では,世界権力から容易にコントロールされる余地を作っている,という点だ。世界権力が独裁化している場合、この権力の独裁によって日本は蹂躙されるということが避けられない事を意味する。
つまり、政党政治,派閥制度,党議拘束制度,過半数議決制度という諸制度を根本的に変革しないかぎり、国内おける少数独裁は不可避であり、民主主義は有名無実化し、かつ海外の政治権力,世界権力に完全にコントロールされる制度的余地を生んでしまう。今重要な事は,個々の政策の賛否ではなく、このような政治システム全般の欺瞞性をどう制度的に克服するかなのではないか。
このままでは国民参加の政治体制は存在せず、日本の固有の文明的文化的価値観や日本人としての自己決定性を保持することができない。真の危機はここにあるのでないか。
もっといえば、これは民主国家を名乗る諸国でも,大なり小なり同じだろう。つまり、国民参加型の政治が実質的に保障されている国は存在せず。事実上,世界権力の圧制に組み込まれてしまっているのではないか。民主主義が問題なのではなく、民主主義という美名によるトリック,つまり事実上国民参加を阻み、少数独裁を許すトリッキーな制度設計に問題がある。
庶民のなかで民主主義を呪詛する人がいる。勘違いすべきでないのは、民主主義というものが実は依然として制度的に実質保障されていない歴史段階に人類はあることなのだ。
彼らが呪詛すべきなのは、いわゆる民主主義でなく、この欺瞞性に満ちた、少数独裁、世界権力独裁をゆるす制度的欠陥、制度的空隙なのである。