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02/11/20---Washington Times “Conspiracy of silence?” By Arnaud de Borchgrave
http://www.washtimes.com/commentary/20021120-75841664.htm
(粗訳のため、不明の点は原文を参照ください。)
<前略>なぜCIAは、先の12月9日にトラボラからビン・ラディンが逃亡して以来、連続する11か月の間、彼の動き追跡した反アルカイダである唯一のパキスタンの部族指導者を無視したのか。
死んでいるか生きているかビン・ラディンを見つける彼らの追跡で、CIA工作員は、その部族の態度が明らかでないアフガニスタンとパキスタンの山岳地帯の国境にまたがる部族長の忠誠を買うために現金で数百万ドルを分け与えた。ひとつの紛れの無い手抜かりがあった。つまり、評判が高く全国的に有名な人物である600,000人の民族の忠誠を集める、部族の指導者のことである。彼のペシャワール近くにある日干しレンガ造りの住居は質素である。彼は冷戦時代の気風を持った元マルクス主義者で、金銭に興味を持たない。この記者の良いニュース源、彼の情報は、予知能力があり、常に正確でした。彼の要求で、私たちが、彼の名前を明らかにしないことに合意した。
2001年11月の終わりに、この族長が共通の友達経由で私たちと連絡をとった。彼はトラボラ山岳地帯にビン・ラディンがどこにいるか、部族の人々が知っていたと語った。彼は、私たちの好きなように部族の偵察兵と数頭の馬を与えることに合意した。そして12月11日に、米国の爆撃からの「アフガニスタンのアラビア人」生存者がうまく逃れると予想される、トラボラの南側のTirah谷へ、私たちは馬に乗って出発した。私たちが旅に出た直後、連絡係りは私たちに追いつき、「あなたが身代金のために、ほとんど確実に誘拐される」ので、私たちに降りるように助言した。
この国の普段着を着て、目立ちやすいパキスタンのアメリカ人と2人の護衛を含む私たちの一行は、国境の別の小道へ向かって谷を避けて迂回した。私たちの帰りに際して、私たちは部族の指導者に会うために立ち寄った。彼は、私たちがそこに着く2日前の12月9日に、ビン・ラディンが馬に乗ってTirah谷を通って確かに現われた、と私たちに告げた。彼と約50人の一団は、地方の部族の一員に馬を譲って、2時間離れた、ペシャワールへ四輪駆動者とスポーツ汎用車で移動した。
北西フロンティア州のこの首都で、ビン・ラディンは、彼の呼吸器と腎臓疾患の面倒を見たイスラム教徒の医者を含む何十万人もの支持者によって彼自身が囲まれているのに気が付いた。パキスタンの相互軍用情報機関(ISI)は、彼がペシャワールに着いたことを知っていた。しかし、おそらく、この事実はムシャラフ氏に報告されなかった。大統領は、インタビューで、常にビン・ラディンがトラボラで死んだ、と信じると語っている。最近のパキスタンの選挙運動中に、ペシャワールでビン・ラディンの「解放者」のポスターと「米国は、帰れ」のプラカードが、政教の一団によって行なわれた集会で振り回された。
部族の指導者によれば、この反米で、親アルカイダの350万人のスラム化した都市が、路地から路地へしらみつぶしに捜索されなかった理由は、大量殺戮を誘発する恐れであった。ムシャラフのレベルで、ビン・ラディンを追求するのをいやがることは、一旦ビン・ラディンが生死にかかわらず捕らえられたならば、米国はパキスタンに興味を失い、そのポスト9月11の経済援助の公約を破るだろう、という恐れだったかもしれない、と彼は推測した。現在パキスタンの反米主義の多くは、破れたソビエトが1989年のアフガニスタンから撤退した後に、米国から課された外交、経済、および軍事の制裁から生じている。
米国の情報機関は部族の指導者の名前と評判に気づいていたが、彼と連絡を取らなかった。国防次官ポール・ウォルフォウィツは8月4日に彼の名前を記録し、彼がそれを調査するだろうと述べた。族長によれば、7月に、ビン・ラディンは、アラビア海に開かれた1300万人が広がる海港都市カラチへ移動した。彼は11月前半にカラチでビン・ラディンを見失った。カラチで働く族長の仲間は、イエメンを含むパキスタンとアラビア半島の間の水域を往復する数千ものダウ船のひとつで彼がパキスタンを去ったかもしれないと報告した。 <中略>
何か月も、米軍とCIA工作員は、パキスタンのアフガニスタンとの西側国境に沿った山脈でパキスタンの部隊と作戦を展開していた。そのパキスタン人とアメリカの両方に敵意のある地域に、彼らは、ビン・ラディンが隠れていたのではないか、とうすうす気づいた。彼らが、著名なパキスタンの部族の指導者で、米国、英国および他の多くの国々を旅行した経験のある人を無視した理由は、ミステリーのままである。 <後略>