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2003/02/26 12:06
関東大震災の発生直後にまとめられた国の被害調査報告の中で、ある報告書が行方不明のままになっている。地域ごとの建物の倒壊率などをまとめた「地変調査」の資料だ。見つかれば、新たな地震が起きた時の被害想定に重要な役割を果たすのは間違いない。震災から80年の今年、研究者たちが所在探しを始めた。
関東大震災の被害は旧内務省などが調査したが、25年に発行された「震災予防調査会報告」が最も詳細な基礎的資料とされる。
しかし、全6冊のなかで、地震学者にとって関心の高い「地変調査」の項目は1ページ半だけ。文中では、調査を担当した農商務省地質調査所(現産業技術総合研究所地質調査総合センター)が「報告は起草中、地質調査所の調査報告の参照を望む」とし、別冊の「関東地震調査報告」を見るよう紹介している。
関東地震調査報告は同調査所が独自に出した報告書。報告は2巻あるが、目次には「全6巻」と書かれ、何らかの理由で3巻以降の4冊が発行されなかった。この4冊分の原稿である関係資料が未発掘の資料だ。
1、2巻は東京、埼玉、千葉などの調査が記載されている。目次によると、3巻には三浦半島や神奈川県北部、東京南西部、山梨県の調査、4巻には神奈川県南部や静岡県東部など、5巻には千葉県や神奈川県の土地の隆起現象、山梨県山間地の被害など、6巻には所長による調査概要が載る予定だった。
なぜ3巻以降が発行されなかったのか。
関東大震災の研究を続けているゼネコンの鹿島の武村雅之・地震地盤研究部長は「行政改革が原因」と指摘する。「地質調査所百年史」によると、24年に「大規模な行政整理」が行われ、63人の職員が31人に減った。3巻以降の執筆の担当者まで決まっていたが、発行寸前に職員削減による混乱で頓挫したようだ。
資料は散逸したという説がある一方、45年5月の空襲で都内にあった庁舎が焼けたため、焼失説もある。しかし79年に川崎市から現在の茨城県つくば市に移転する前、書庫で見たという証言もある。
地質調査総合センターの加藤碵一・地球科学情報研究部門長は「旧庁舎の書庫で見た記憶がある」と話す。青焼きの地図やガリ版刷り資料、手書きに赤インクで修正したファイルなどだ。ただ、資料を管理する地質情報管理室は「見つからない」としている。
武村さんは国会図書館や大学を訪ね、センターの知人にも協力を求めるなどして所在を探している。「調査報告は大字ごとの建物全壊率などがあり、詳細な被害状況や揺れの程度を調べるのに役立つ。大きな被害があった神奈川県部分があれば、将来の地震対策を考える上で貴重だ」
同センターで本来の管理場所とは別の所に埋もれているか、当時の辞めさせられた職員の家に残されているか……。残る可能性にかけ、探索作業を続けるという。
転載元
http://www.asahi.com/national/update/0226/019.html