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(回答先: Re:現状の日本官僚システムについての疑問ですが・・ 投稿者 マルハナバチ 日時 2003 年 3 月 16 日 21:13:35)
マルハナバチさん、こんばんわ。
>状況に不適応な官僚システムは、失敗の責任を取らない事を、利権的に防壁化したあ
>り方が原因のひとつかと思うのですが、なぜ失敗した官僚に責任を取らせられないの
>ですか?(初歩的ですが政治経済を学ばなかったので理解していません)
“理念”(政治学)としていえば、民主制で官僚が責任を取るのは汚職や能力の欠如です。
官僚は、内閣の構成者である大臣の指示を具体化したり、大臣が判断するための情報を提供することが職務です。
ですから、失政があったときは、所轄大臣及び内閣総理大臣そして立法や予算承認の権限を持つ国会議員の責任になります。
しかし、“現実”は、大臣が能力欠如といったほうがいいのか官僚のほうが能力が勝っているといったらいいかわかりませんが、大臣が政策を判断する基礎となる情報を官僚が取捨選択しています。
たとえば、官僚ははじめからB案を大臣に選択させようと考え、A、B、Cの3案を示し、それぞれのメリット・デメリットを説明します。その内容は、B案しかないなと思わせる内容になっているので、普通の大臣であればB案を選択します。
そして、B案を正式に政策とするためには、予算措置や立法が必要になります。それらも、議院内閣制ですから内閣の与党が多数決で通します。
責任論理に無頓着な政治家(大臣や国会議員)は、どういういきさつであれ自分が判断し自分たちが同意したものであるにも関わらず、失敗を犯したという自覚を持たないようです。(自分たちが主体的にその政策を決めたわけではないという出発点の反映です)
そして、失敗の原因を、自分のいい加減な判断や能力の欠如に求めるのではなく、「思ってもいなかった変動」や「国際情勢の変化」に求めがちです。
さらには、「バブル崩壊」のような大失態をしでかしたときは、「誰も予測できなかった」とか、「誰が総理でもできない」(小泉首相のデフレ解消に関する発言)と“不可知論”や“自己能力過信”で逃げます。
(エリート意識を持つ人は、ひとよりも思考力が優れていると過信していますから、自分が失敗したのだから他の誰だって失敗していた、自分じゃなきゃもっと酷いことになっていたと勝手に自己弁護します)
国会議員の最後の逃げは、自分は無理や勝手で国会議員になったわけではない、自分を国会議員に選んだのは有権者だというものでしょう。
官僚は、最初に説明したように、実態は自分たちが決めたものであっても、制度を遵守してそれを政策化している限り、失政を責任を負う必要はありません。
(まともな官僚であれば、自責の念や道義的責任を感じるとは思いますが)
能力と責任感が欠如した政治家を基礎とした民主制と法的には政策決定権限者ではない“優秀な”官僚機構が合体した統治システムは、無責任が横行し、最後は主権者である国民に責任が回されることになります。
国民という特定の存在があるわけではないので、結局は、“1億総懺悔”、みんなが悪かったでしゃんしゃんになるというわけです。
>まぁ、北朝鮮はあの通りですから別としまして、民主主義を標榜する他の国でも、官
>僚には責任を取らせ難いものなんでしょうか。(なんか方法無いのか?なんでこうな
>るんだ?と思っている一般市民は多いのではないかと思っています。)
官僚に責任を取らせるためには、政治家に責任を取らせる制度や風潮をつくるしかないと思っています。
そうすれば、政治家がより能力を高めて官僚の言いなりになることが減少するはずです。
国民が選ぶ政治家を通じてしか官僚を制御するしかないのが民主制です。
(専制や独裁制であれば、有能な人が頂点に立てばその力で統御されることになります。もちろん、悪質な人が頂点に立てば、とてつもない災厄が生じることにもなります)
政治的エリートがあまり責任を取らないのはどこの国でも同じです。
それ以前に、ある失政が、人的ミスかどうかを判断するのも政治的エリートですから、責任問題が表立つことはまれです。
しかし、薬害エイズで当時の首相が殺人罪で裁かれたフランスや金融危機で大統領の責任問題が正面から取り上げられた韓国のほうが「統治者の責任」についてはきちんとしています。
「終わったことは仕方がない」、「悪気があってやったわけではない」、「次から気をつければいい」、「そこまで責任を追及するのはかわいそう」などといった雰囲気がけっこうある日本は、政治家や官僚の天国だとも言えます。
あれだけの犠牲者を出しほとんどの国民を大災厄に巻き込んだ挙句占領支配に至った「大東亜戦争」の“敗戦責任”さえ問われていないのですからね。