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「武藤氏自身は、自民党橋本派との間に政界人脈があることをおくびにも出さないが、日銀副総裁としての武藤氏の今後の動向を占う意味で、そうした人脈があること決して忘れてはならないだろう−−」
旧大蔵省有力OBが、こう言ってみせる。この有力OBが言う、武藤氏が持つ“自民党橋本派との間の政界人脈”とは、以下に紹介するような人脈のことを指す。
その人脈とは、武藤氏の義理の父親、橋口収氏に連なる政界人脈のことを言う。
橋口氏は1973年6月から1年間、旧大蔵省主計局長を務めた実力者で、主計局長を最後に大蔵省を退き、以降、旧国土庁事務次官(初代)、公正取引委員会委員長を歴任した人物だ。
「橋口氏は、旧大蔵省事務次官のポストを巡って、後に国鉄総裁に転出する高木文雄元主税局長との間で激しい争奪戦を繰り広げたことがあります。この時、橋口氏のバックに付いたのは、福田赳夫元首相。一方の高木氏を全面的にプッシュしたのは、田中角栄元首相だったのです。結局、軍配は高木氏サイドにあがるのですが、この激しいバトルは“角福代理戦争”と呼ばれ、今でも省内での語りぐさとなっているほどです」(前述の旧大蔵省有力OB)
事務次官ポストを巡る抗争劇ではまさに一敗地にまみれた格好の橋口氏だったが、その後発足間もない旧国土庁の初代事務次官に転出したのである。
「この時、初代国土庁長官に就任したのが、金丸信元自民党副総裁だったのです。橋口氏にとって国土庁への転出は、その後の政界人脈を形成していく上で大きな転機となったようです。いずれにしても、橋口氏はこの国土庁事務次官時代に、“金丸−竹下(登元首相)ライン”との間に親密な人脈を築いたのです」(前述の旧大蔵省有力OB)
橋口氏は、その後公正取引委員会委員長を経て広島銀行頭取に天下るが、その就任披露パーティーには大蔵大臣経験者の竹下氏が駆けつけ祝辞を述べるなど、その親密ぶりを周囲に強烈にアピールし、まさに関係者の度肝を抜いてみせたのである。
「一方の武藤氏はその当時、主計局主計官として省内では徐々に頭角をあらわしつつあった。特に建設、公共事業担当の主計官としてもまれた経験はその後、大きな糧となったはずだ」(別の大蔵省OB)
しかし武藤氏のスゴイところは、そうした有力な人脈があることを周囲に全くと言っていいほど悟らせないことだ。
「今回の日銀トップ人事に関して言えば、自民党サイドが最も過敏に反応すると思われた武藤氏の副総裁就任がスンナリ、いとも簡単に決まったのも、そうした“人脈”が有効に作用したからだろう」(財務省幹部)
小泉官邸に強い影響力行使する一方で、“抵抗勢力”の牙城とも目される橋本派(かつての竹下派)にも太いパイプを持つ武藤氏だが、まさに“陰のキーパーソン”と呼ぶにふさわしい存在だ。
「その武藤氏が、竹中平蔵経財・金融相に対して強い不信感を持っていることは間違いない。したがって、竹中人脈に連なる岩田一政氏が副総裁に就任したとはいえ、福井、武藤両氏の前では、岩田氏の存在は無きに等しい。つまり竹中大臣は日銀に対して影響力を発揮できないだろう。従って今後の日銀の金融政策を読む上での最大のポイントは、福井氏と武藤氏のスタンスの違い、特に政界の意向を背景に武藤氏がどの様な形で福井氏と日銀事務方と対峙するかにあると言っていいでしょう」(財務省幹部)
とにもかくにも、武藤氏の動向には要注意だ。
2003/3/4