現在地 HOME > 掲示板 > 国家破産22 > 709.html ★阿修羅♪ |
|
「一昨日(2月26日)の衆院財務金融委員会で日銀の“業務委員会”に関する質問が出たが、これには日銀サイドも内心ではドキドキだったのではないか。かつて副総裁まで務め、常に日銀のセンターラインに位置していた福井俊彦氏が日銀総裁に就任したことと合わせると、政府−−特に財務省サイドの日銀に対する警戒感が今後強まっていくことになるのではないか−−」
日銀有力OBがこう指摘してみせる。
この“業務委員会”の存在は対外秘の扱いとなっており、速水優日銀総裁の国会答弁によれば、「副総裁を中心に理事が当面の課題や政策でやるべきことを決めている−−」という目的を持った組織だ。
「建前では、日銀の最高意思決定機関は、“政策委員会”と規定されており、そのメンバーは総裁と2人の副総裁、そして6人の審議委員によって構成されている。またこの“政策委員”の議事録は一定の期間を経た後に公表されることになっている。つまり、こうしたシステムが整っていることで、日銀の意思決定のプロセスに対して透明性が確保されていることになるといえるだろう。ところがその一方で、“業務委員会”が存在するということは、その運営しだいでは、意思決定プロセスが二重構造化しかねない危険性をはらんでいるともいえるし、“政策委員会”そのものが形骸(けいがい)化しかねない−−」(自民党国会議員)
実を言うと、この“業務委員会”の源流は、旧日銀法下の90年にさかのぼることができる。
その当時も日銀の最高意思決定機関は今と同様に“政策委員会”と規定されていた。この“政策委員会”のメンバーは、合計7人の政策委員によって構成されていたが、このうち2人は政府から派遣された政府代表委員によって占められていた。
「この2人の政府代表委員のうち1人は、旧大蔵省から派遣されていたのですが、この委員はまさに旧大蔵省のスパイとでも言うべき存在だったのです。当時の政策委員会は議論の内容については非公開。したがって議事録そのものも、正式なものは作成していませんでした。ところが旧大蔵省内では堂々と議事録が回覧されていたのです。このことに危機感を持った日銀は、“裏政策委員会”とでも呼ぶべき会合を組織したのです」(日銀有力OB)
この“裏政策委員会”のメンバーは、政府代表委員を外した5人の政策委員(総裁を含む)に加えて、日銀プロパーの副総裁、政策担当理事の合計7人。
「実は、“裏政策委員会”が発足した当時の日銀副総裁が、福井氏だったのです。この“裏政策委員会”のそもそもの発案者は、福井氏だったと考えてもらっていいでしょう」(日銀有力OB)
この“裏政策委員会”の存在は徹底して保秘がつらぬかれ、発足から数年間にわたってその存在が旧大蔵省に気がつかれることはなかったという。
「そして現在の業務委員会が、この“裏政策委員会”の延長線上に位置していることは間違いない。そして財務省において、“スーパー事務次官”と称された武藤氏が副総裁に就任したことによって、その役割は強化されるとみるべきだろう」(日銀有力OB)
2003/2/28