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最近、私は「カンボジア戦記」という本を読み返している。
これは「革命」の名の下に多くの国民を死に追いやった
ポル・ポト政権が成立した1975年から、
91年のカンボジア和平成立までをレポートしたものである。
今なぜカンボジアなのかと思われる方もいるだろう。
しかし、今の日本の状況はポル・ポト時代のカンボジアに
あまりに酷似しているのではないだろうか。
そしてポル・ポトの狂気は竹中平蔵にそっくり受け継がれている。
75年に政権についたポル・ポトは「革命遂行」の名の下で
約4年間に数十万とも数百万とも言われる国民を
虐殺、強制労働による過労、栄養失調等で死に追いやっている。
中でも官僚、医師、エンジニアなどの知識階層については、
それだけで「反革命分子」とされ徹底的に抹殺された。
彼の論理の特徴はまず市場原理による資源配分を否定し、
国家が必要な産業(彼の場合は農業)を決定した上で
不要とした産業を潰し、無理やり国民を農業へと移したことだ。
もちろん、農業だけで国民を養っていけるなどというのは妄想にすぎず、
経済はそれでガタガタになり餓死者もでるのだが、
「革命」のためには死者いくら出ても仕方がないとされた。
また、その「革命」を遂行する手段としては、
「反革命分子」を排除することが大切であるとされた。
そして、さらには排除すること自体が自己目的化して、
「革命」に不要とされた人々を殺害し抹殺することが
すなわち「革命」を進めていくことと同義とされていった。
また、「革命」の美名のもとに国民は重労働を強いられたわけだが、
そもそもの経済理論がデタラメな上に
「反革命分子」が次々と抹殺される縮小均衡の中で
国民がどんなに働いても経済が上向くはずもなく、
経済は疲弊し、多くの国民が過労や栄養失調で
次々と命を落としていった。
それでも彼は独善的な「革命」路線を変えることはなかった。
しかし、そもそもそんな彼がなぜ強権を握り得たのであろうか?
彼は「共産主義」という当時流行の思想を標榜し、
「階級敵」を攻撃する手法で大衆のルサンチマンに訴えたこと、
また、シアヌーク殿下という日和見主義だが国民的人気のあるカリスマを
前面に押し立て大衆の反発をかわす作戦をとることで
当初は大衆の支持を得ることに成功してきたのだ。
もちろん、彼の正体が明らかになってくるに従い、
国民の支持は次第に彼から離れていった。
しかし、いったん実権を握った者を引きずりおろすのは
そう容易なことではない。
結局、79年のヘン・サムリン政権樹立まで
ポルポト政権は約4年間に及び、
数十万とも数百万とも言われる国民が命を落とし国土は荒廃した。
そしてその後も混乱は続き、日本もPKOで参加した91年の和平まで
延々と内戦が続いていくことになる。
こうして見てくると、今日の竹中の思考・行動パターンは、
ポル・ポトのそれと酷似してることに気付くだろう。
これは明らかに「極左」の系譜である。
決して米国流合理主義の流れにあるものではない。
中国の文化大革命やスターリンによる粛清、
また最近注目を集める北朝鮮に見られるのと同様、
常に左翼のいきつく先にある、ドン詰まりの「極左」である。
この流れがわかれば、若い頃左翼カルトにはまり
未だにその尻尾を引きずり続ける連中が跋扈するマスコミが、
竹中に傾倒する流れも理解できる。
例えて言えば、彼らがイタコとなってポル・ポトの亡霊を
現代の日本に呼び覚ましてしまったといえるだろう。
しかし、「極左」路線で幸福になった国はないということは
歴史が証明している。
それは所詮カルトでしかなく、いずれ必ず破綻に至り、
常に国民に大きなツケだけを残しているという歴史から学ぶべきだ。
「極左」カルトに変質してしまった「構造改革」は捨て去る以外にない。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwhh1899/page163.htm