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The Globe Now: 世界を不幸にするIMF
諸国民の富を使って「市場原理主義」を押しつけ、失
敗しても責任を問われない不思議な国際機関。
■1.世界の貧困の原因は?■
2001年のノーベル賞経済学賞を受賞したジョゼフ・スティグ
リッツは、1997年に世界銀行でチーフ・エコノミスト兼上級副
総裁としての勤務を始める前夜、記者会見でこう抱負を述べた。
経済学者としての現在の最大の挑戦は、拡大している現
代の貧困の問題に取り組むことだと思っている。一日1ド
ル以下で暮らしている人びとは、世界で12億人いる。一
日2ドル以下の人びとは28億人だ。世界人口の45%を
上回る。彼らのために何ができるか? 貧困のない世界と
いう夢を実現するために何ができるのか? せめてもう少
し貧困のやわらいだ世界を、という夢なら叶えられるの
か? [1,p47]
世界の貧困に挑戦するという、まさに経済学者としての責務
にスティグリッツは真っ正面から取り組もうとしたのである。
しかし世界銀行でこの問題に取り組んでいくうちに、彼は驚く
べき発見をする。
それが難しい責務であることはわかっていたが、まさか
発展途上国の直面している主要な障害が、人工的な、まっ
たく不必要なもので、しかも(ワシントンの世界銀行の)
通りの向かい側に本拠をかまえる姉妹機関のIMFにある
とは当時、思ってもいなかった。[1,p47]
世界の貧困と戦うためには、それを作り出しているIMFと
戦わねばならない、そう考えてスティグリッツがまとめたのが、
「世界を不幸にするグローバリズム」[1]である。今回はこの
本にしたがって、スティグリッツの訴えを聴いてみよう。
■2.アジア通貨危機■
IMFの正式名は、International Monetary Fund、国際通
貨基金。1930年代の大恐慌の原因となった経済政策の大失敗を
繰り返さないために国際金融システムの安定を確保する事を目
的として、1945年12月に設立された。その活動の中心は国際収
支に関する問題を抱える加盟国に信用や融資を提供し、調整と
改革の政策を支援することで、2002年6月時点で88カ国に対し
約880億ドル、10兆円規模の融資をしている。[2]
問題を抱える国に融資を行う機関がどうして貧困を作り出し
ていると、スティグリッツは言うのか? 1997年のアジア通貨
危機を例に見てみよう。この年の7月2日、タイのバーツが一
晩にして約25%も急落した。それまで大量に流入していた投
機資本が一斉に、流出し始めたのである。タイではこの年、国
内総生産(GDP)の7.9%に相当する額が流入から流出に
逆転した。
投機家の手口はこうだ。まずタイの銀行に行って240億バ
ーツ借りる。もとの相場は1ドル=24バーツだったので、こ
れを10億ドルに換えることができる。そして1週間後にバー
ツが1ドル=40バーツとなると、6億ドルを240億バーツ
に換えて、銀行に返済する。4億ドルが自分の手元に残る。わ
ずか1週間、自己資金ゼロで、4億ドルが手に入るという魔法
である。そして大量にバーツを売り浴びせれば、タイ政府は買
い支えられず、バーツは確実に安くなるのである。
通貨危機は、マレーシア、韓国、フィリピン、インドネシア
と広がった。失業率はタイで3倍、韓国で4倍、インドネシア
では10倍に跳ね上がった。GDPは大きく落ち込み、98年に
はタイで10.8%、韓国で6.7%、インドネシアで13.1
%下がった。それにつれて貧困層も拡大し、韓国の都市部では
3倍、インドネシアでは2倍となった。
IMFの目的が、「国際金融システムの安定を確保する事」
だとすれば、こういう通貨危機を防げなかったこと自体が、I
MFの失敗と言えるだろう。しかしスティグリッツは、IMF
はこの危機をさらに拡大した、と指摘する。
■3.IMFの口出し■
まずIMFは先進各国からの援助も含めた1千億ドル(12
兆円)以上もの救済資金を提供して、危機に瀕した国々の為替
相場を維持させようとした。投機資金がその国の通貨を大量に
売ってドルに換えようとしても、外貨準備が十分にあれば耐え
られるだろうとIMFは考えていた。
しかし、為替相場維持の効果は一時的なものであり、投機資
本の集中攻撃にあっけなく相場は下落してしまった。また援助
資金は、欧米の銀行の貸付け返済に回されたので、その国への
支援というより、欧米銀行への援助となってしまったのである。
さらにIMFは融資に対して、物価上昇率や成長率、失業率
など、多い時は100以上もの貸付け条件を設定し、その上こ
れは30日間で、あれは90日以内に、と厳密な達成期限を設
定する。その中には金融危機と関係ない項目も含まれている。
たとえばインドネシアに対しては、食料とパラフィン油(貧困
層が調理に使う燃料)への補助金廃止を要求した。これなどは、
経済政策というよりも社会政策であって、金融危機とは何の関
係もない。
たとえて言えば、銀行が金回りが苦しくなって個人商店に対
して、「こんな経営状態で子供のおやつに金を使うのは問題だ、
おやつをやめさせることを条件に融資してやる」というような
ものである。とんだ内政干渉だが、融資をしてもらえなければ、
店がつぶれるというのでは、無法な条件も呑まざるをえない。
■4.高みの見物■
IMFの融資条件が本当に危機脱出のために有効ならこうい
う口出しも許されようが、スティグリッツはその内容が誤って
おり、危機を逆に拡大してしまった、と言う。
IMFは、為替相場を維持するためには、外国資本の流入が
必要であり、そのためには金利を引き上げろ、と要求した。そ
れも25%以上にも。これは単純明快な正しい理論である。高
金利による当該国の企業倒産を考えに入れなければ。
通貨危機に襲われたアジア諸国では、企業は株式による自己
資本よりも、銀行などからの借り入れに頼っていた。したがっ
て金利の上昇は企業経営に甚大な影響を与える。金利が25%
にもなったら、投下資本に対してそれ以上の利益を出せない企
業はやっていけなくなる。
当時、アメリカでは、連邦準備銀行が0.5%ほど金利を上
げようとして、クリントン政権はそれによる景気後退と失業率
上昇を恐れていた。もしIMFが米国に25%もの高金利を要
求したら、クリントン大統領は、IMFが米国経済の破滅を企
んでいる、と非難しただろう。(もっともIMFの主導権を握
っているのはアメリカなので、そもそもこんな要求をするはず
もないが。)
しかし、融資を受けるためにアジア諸国はある程度、IMF
の要求を聞き入れなければならなかった。その結果、インドネ
シアでは全事業の約75%が経営難におちいり、タイでは銀行
融資の50%近くが焦げついた。いくら高金利でも、貸付先が
いつ倒産するか分からないような国に海外資本が流入するはず
もない。
スティグリッツはIMFに方針を変更するよう訴えた。この
まま高金利を続ければ、どんな悲劇が起こるか分からないとも
指摘した。返ってきた返答は、「あなたの正しさが証明された
ら、そのとき方針を変えましょう」。IMFが高見の見物を決
め込んでいる間に、タイやインドネシアや韓国の国民が長年汗
水垂らして築き上げた企業や商店が、次々と倒産していった。
■5.ついに暴動発生■
IMFはまた金融機関の体質を問題にして、自己資本比率
(使用総資本に対する自己資本の割合)の基準を直ちに満たす
か、それが出来ない銀行は閉鎖するよう要求した。自己資本比
率を高めるには、新しい資本を株主から集めるか、融資を減ら
すしかない。経済が下降している中で新しい資本を集めるのは
難しいので、新たな融資を断ったり、貸付先企業に返済を迫っ
た。その結果、ますます多くの企業が倒産し、銀行側も不良債
権が増えて、体質はますます悪化した。
インドネシアでは16ほどの銀行が閉鎖され、さらに多くの
銀行が閉鎖されるかもしれない、という通告が出された。預金
者たちは自分の預金を守ろうと、国営銀行に乗り換えたため、
残っていた民間銀行もたちまち顧客を失った。
スティグリッツの「どんな悲劇が起こるか分からない」とい
う警告は、98年5月のインドネシアでの暴動となって現実化し
た。数万人が暴動に加わり、多数の商店、銀行が略奪・放火さ
れ、約30カ所で火の手が上がった。
IMFは230億ドルを提供したが、それは為替相場を支え
るためと、外国の投機資本を含む債権者を救済するだけであっ
た。インドネシアの貧困層への食糧と燃料の補助金はそれより
もはるかに少額であったが、徹底的にカットされ、その翌日に
暴動が起きたのである。暴動は、投資対象としてのインドネシ
アの信頼性をさらに傷つけ、いっそう外国資本を遠ざけること
になった。
■6.IMFの言うことを聞かなかったマレーシア■
IMFの言うがままとなって、壊滅的な打撃を受けたインド
ネシアとは対照的に、隣国マレーシアのマハティール首相はま
ったく独自の行動をとった。1ドル=3.8リンギットに固定
し、外国資本の引き上げを12ヶ月間、凍結した。IMFのエ
コノミストは、そんな規制を始めたら外国からの投資は激減し、
株価は下落して大変なことになるだろう、マレーシアは根本的
な問題に対処するのを先延ばししている、と非難を浴びせかけ
た。
一方、スティグリッツ率いる世界銀行のチームは、マレーシ
ア政府に協力して、直接的な資本取引規制よりも、国外に流出
する資本に税をかける出国税方式への転換を提案した。税金な
ら段階的に規制を調整できるからである。
この方式は順調に機能して、マレーシアは一年後、約束通り、
出国税を撤廃した。規制によって投機資本の攻撃から通貨を守
りつつ金利は低く抑えたので、企業の倒産も少なく、IMFの
処方箋にしたがったタイやインドネシアなどよりも下降は浅く、
回復は早かった。その後、経済の安定性が評価されて、外国か
らの投資はむしろ増えたのである。
■7.ぶちこわされた日本の救済提案■
97年秋、日本は「アジア通貨基金」の創設に1千億ドルの提
供を申し出た。危機に見舞われたアジア諸国が必要としている
景気刺激策に資金を提供するためであった。これが実現してい
れば、アジア諸国はIMFの要求する緊縮策をとらなくとも、
必要な資金を得られ、さらにそれを景気刺激策に用いることに
よって、インドネシアが陥ったような壊滅的な打撃は避けるこ
とが出来たであろう。スティグリッツは言う。
日本がIMFの行動に強く不賛成の意を示していたのは
広く知られるところだった。私は何度も日本の上級官僚と
会談していたが、彼らはそこでIMFの政策にたいする疑
念を表明していた。それは、私自身の疑念とほとんど同じ
だった。[1,p167]
しかしIMFとアメリカ財務省はあらん限りの手を使って、
日本の提案を握りつぶした。日本の提案が通れば、それはまさ
にIMFとアメリカのリーダーシップをゆるがす脅威になるか
らだった。IMFは各国に市場競争を強く訴えていたが、自分
自身が競争にさらされることは好まなかったのである。さらに
日本のアジアでのリーダーシップに反対する中国も日本案潰し
に加担した。
しかし事態が悪化するに従って、IMFとアメリカ財務省も、
東アジアの不況を無視できなくなり、日本は再度300億ドル
の提供を申し出て、今度は承認された。だがアメリカはそれで
も資金は景気刺激に使われるべきではない、企業と金融の再構
築に使われるべきだと主張した。それは、実質的にアメリカを
含む外国の債権者を救済しろ、という事だった。スティグリッ
ツは言う。
アジア通貨基金のぶちこわしはいまでもアジアで恨まれ
ており、多くの役人が怒りをこめて私にその話をしたもの
だ。危機の3年後、東アジア諸国はついに結集してアジア
通貨基金にかわるものをつくりはじめた。今度はひそかに、
もっと穏健なかたちで制度づくりがなされ、名称もあまり
害のないように、創設が決まった場所であるタイ北部の都
市の名をとって「チェンマイ・イニシアティブ」と名づけ
られた。[1,p168]
■8.「民主主義に反する姿勢」■
政府の規制を悪とし、すべて自由な市場に任せるべきだとい
うIMFの「市場原理主義」はアジアだけでなく、アフリカ諸
国や南米、旧共産主義諸国においても悲惨な結果をもたらし、
特に貧困層の生活を悪化させた。そこでの「決定はイデオロギ
ーと誤った経済学の奇妙な融合にもとづいて下され、ときにド
グマが特定の人々の利益を厚くおおい隠しているように見受け
られた」とスティグリッツは指摘する。
IMFの幹部の多くは金融界出身であり、またそこに戻って
いく。アジア危機の際にIMFで大きな役割を果たしていた副
専務理事のスタンリー・フィッシャーは、退任するとすぐにシ
ティ・バンクを傘下にもつ巨大金融会社シティ・グループの副
会長に収まった。その取締役会長ロバート・ルービンはクリン
トン政権の財務長官で、IMFの政策形成に中心的な役割を果
たした人物である。スティグリッツ曰く「フィッシャーは言わ
れたことを忠実に実行して、十分にその報酬を得たというわけ
だろうか。」
IMFは諸国民から集めた資金を使って、危機に陥った国に
異論の多い政策を押しつけ、それが悲惨な結果を招いてもその
責任を問われない。そこでの議論は密室の中で行われ、その決
定が「特定の人々の利益」のために行われているという疑いが
持たれている。それに対して貧しい人々は暴動を起こすよりほ
かに、抗議する術を持たないのである。スティグリッツの言う
ように、IMFの姿勢は「そもそも民主主義に反する」と言う
べきであろう。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(071) ビル・トッテン氏の警鐘
階級搾取の行われるアメリカ社会
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog071.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. ジョゼフ・スティグリッツ、「世界を不幸にしたグローバリズム
の正体」★★、徳間書店、H14
2. IMFの概要
http://www.imf.org/external/np/exr/facts/jpn/glancej.htm