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アメリカはスーパー横綱か
モンゴル出身の朝青龍が横綱となる一方、満身創痍の国民的ヒーロー貴乃花が、「すがすがしい気持ちだ」と語りながら引退をした。フランスのシラク大統領から、ねぎらいのメッセージが届いたそうだ。私たち日本人からすると、実に見事な引き際の美学であった。地位や権力、あるいは異性に対する短期的な無限の執着と、長期的な無限の諦めが表裏一体となった構造を、日本人は「いき」と呼ぶ。その反対概念は「ヤボ」であり、無限の執着だけの人を言う。ついでながら、アメリカを見ていると、常に優勝を義務付けられ、引退することの許されないスーパー横綱を連想してしまう。
今度の対イラク戦もまた、アメリカにとっては絶対に失敗の許されない戦いだ。中東全域の支配を目論んでいる邪悪な独裁者サダム・フセインを征伐し、中東の民主的な新秩序を確立するため、覇権国家が軍事力を行使することをためらうべきでない、ここで狐疑逡巡したらアメリカ帝国は崩壊に向かってしまう、という思い込みがあるのだろう。まさしく正念場である。
ブッシュ大統領年頭教書では、戦争開始の決意が述べられた。短期勝負であるにしても、一体どのような戦争になるのだろうか。米英連合軍か、多国籍軍か、米軍兵士は8000人とも言われるサダム親衛隊と市街戦を交えたら、どのくらい犠牲者が出るのか、空爆をやりすぎるとイラク人死者はどれくらいに増えるのか、軍事情報革命(RMA)下の新兵器システムをもってしても、戦争は犠牲者なしにはありえない。
また、ポスト・サダムの占領体制は、GHQ型か、国連型か。日本の協力が求められるとすればまさに、復興支援。金銭的にはODAを使うとしても、PKO部隊は使えるのか、今の状況では悩ましいところだ。日本はすでにイージス艦も出してしまっているし、日米間では戦費・復興費ともに今の時点では要請はない。
金正日のおねだり兵器
それにしても金正日のしたたかさには恐れ入った。韓国大統領選の結果、太陽政策がより眩しくなったら、突然、サングラス。本音隠して瀬戸際外交である。
米韓連携の乱れをつき、実に狡知にたけた策略を持ち出した。韓国にしてみれば、北朝鮮の万を越える火砲が一斉に攻撃してきた時のダメージを、まず考えなければならない。アメリカにとっても、北への先制攻撃によって得られる戦果と、北の反撃によって生じる被害を考量すれば、何十万人の死者と何百万人の難民を出す第2次朝鮮戦争という選択肢がないことは一目瞭然だ。北は通常兵器による抑止力をかねてから持っているわけだ。
また北の核開発は「脅威の取引」みたいなところがあって、北東アジアを支配する意図などというよりは、食糧や重油や経済支援の「おねだり兵器」とでも言った方がいいかもしれない。しかし、金王朝の体制護持が目的とは言え、常軌を逸した交渉カードであり、軍事バランスから見ても不均衡をもたらすものだから、核開発を諦めることが、すべての対話の大前提だ。ついでながら、わが小泉総理は拉致問題打開のため、北朝鮮に対する何のレバレッジも持たないプリコフスキー氏を頼んで、見事空振りであった。
メガバンクのドタバタ劇
日本では毎年恒例となった「3月危機」は、起きないと思う。なぜなら、日本はもう既に危機に突入してしまっているからだ。竹中金融再生プログラムに基づく特別検査は1―3月に行われる。それ以前の通常検査においてすら、過小資本行や債務超過になりかねない銀行の出る恐れが、報道された(日経金融新聞1月8日)。
2階建ての持株会社を3階建ての金融グループにして、公的資金ならぬ「法的資金」による公的優先株の配当原資を確保しようとしている姿は、同情を誘う。系列の第2地銀に吸収合併される背後に不良債権の怨霊を感じると言ったら、言いすぎだろうか。なりふりかまわぬ資本増強策も、相変わらず身内に頼む仲間資本か、逆に外資に超優遇条件で応じてもらうかだ。昨年、「竹中プランは、外資に邦銀を売り渡すものだ」と散々悪口を言われた。その竹中氏に抵抗を試みたメガバンク頭取達の選んだパートナーが、外資だったというのも皮肉なものだ。国有化され経営責を任追及されるより外資に身をゆだねるほうが、はるかにましということなのだろう。
外資サイドから言われることは、「邦銀が不良債権の美味しいところは塩漬けにして離さない」ということだ。外資が高利の優先株を買い、その上「もうかる」不良債権にありつけるとするなら、まさしく熟したサクランボのつまみ食い。「邦銀を外資に売り渡す」竹中プランの狙い(?)は、大手行頭取達の、真冬にもかかわらず、飛んで火にいる何とやらで、着実に軌道に乗りつつあるように見える。
生保は、昭和14年に作られ、7年前に廃止された予定利率引下げ制度を復活させることが、目下焦眉の急となった。生保の破綻前再生手続というわけだ。日本の生保問題の厄介なところは、銀行との持ち合い資本が膨大にあり、生保発行の劣後債が分類債権や破綻債権なってしまうと、その引当のために銀行の体力が持たなくなることにある。また、保有ドル債の行方にも影響が出てくる。まさしく、生保の破綻前処理も銀行サイドの金融再生とワンセットで行なう必要がある。単独再生は認めるべきでないし、契約者の利益をカットする以前に銀行の拠出している基金や劣後債をカットするべきだ。
閻魔大王でなく阿弥陀如来が必要
一方、産業界では今度作られる産業再生機構入りを逃れようとする動きが、流通・ゼネコンなど過剰債務業界において顕著に出てきている。業界大再編の真価の問われるのはこれからだ。産業再生機構は、裁判所の破綻処理手続と違い、シャッターを開けておいたまま行う破綻前処理手続きだ。一度死んで蘇る再生という点では、司法手続と同じである。民事再生法において過度の単独再生が乱発され、裁判所にはより厳しい判定能力を持った閻魔大王が求められる。しかし、産業再生機構は、まさしく現世の延命ではなく、生産性の向上や競争力の強化がなされる極楽浄土における蘇りをはかる阿弥陀如来が必要だ。
旧憲法下の1946年、マッカサー指令によって行われた「新旧分離」再生策は、戦時債務の返済不能に端を発し、預金の強制切り捨てを伴う究極的なものだった。企業再建整備法や会社経理応急処置法によって損失処理の手順を決め、大量・一括・強制的に新旧分離勘定を作ったのだ。今回、国債のデフォルトに至らない民間過剰債務の処理とはいうものの、少量・個別・任意の手法がどこまで効果を発揮するか、アリバイ作りの改革に堕することのない運営が必要である。
政府と国民が危機認識を共有すべし
産業と金融は一体で再生しなければならない。残念ながら、竹中プログラムと産業再生機構の戦略的ミスマッチは依然続いている。金融サイドの痛みは激しくなっている。年度末を控え、新しい日銀総裁の初仕事は、インフレ・ターゲットではなく、ETF買い取りによって投信会社の先物売りヘッジを巻き戻す株価対策である。しかし、それは昨年同様一過性の延命策に終わる。
「ダメだダメだと言って自信喪失させるのがいけない」というようなことを、小泉首相はよく言う。しかし、繁栄した国家は数々あれど、繁栄し続けた国家はひとつもない。この国が既に10年以上も前から衰退のトレンドに陥っていることの危機認識を、政治家と国民が共有すべきである。
日本はアメリカ頼みの景気回復が頓挫した上に、ドル暴落リスクに見舞われると、ひとたまりもない。拡張財政とマネタイゼーションを同時並行でやりながら、産金一体再生を最優先とした構造改革を着実に進めていくことが必要だ。米欧がバランスシート不況に直面し、右往左往する中で、日本はやるべきことがはっきりしているのだ。