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(回答先: 財務省官僚はインフレターゲットの無効性は知っているはず 投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 05 日 17:22:56)
徳川吉宗の「享保の改革」と小泉首相の「構造改革」
デフレがまさしく貨幣的現象であるこ とを示している
2003年2月4日 火曜日
昨年末頃から、日本のこの深刻なデフレの克服策として、金融政策への注目度が急速に高まってきた。もとより、デフレとは一般物価の下落であり、金融政策とは一般物価の安定化を目的とした政策であるから、デフレを克服しようと思えば、まずは金融政策を用いる以外にはないことは、あまりにも明らかである。その意味では、金融政策ではなくて「構造改革」や「不良債権処理」をデフレ対策として位置付けてきたこれまでの政府の方針の方が、よほど異常だったのである。
徳川吉宗の時代には、吉宗が「享保の改革」と呼ばれる緊縮政策を実行したことが原因で、厳しいデフレが生じている。しかし、「元文の改鋳」と呼ばれる通貨供給拡大政策を実行したとたんに、デフレは嘘のように止まり、経済情勢が顕著に好転したことが知られている2)。デフレとはあくまでも貨幣的現象であり、「グローバル化」なるものとは無関係であることを示す史実といえよう。上記の学生の経済学的センスが、このデフレ革命を唱えるエコノミストよりもはるかに上に思われることだけは確かなようである。
この大不況期の経験は、デフレがまさしく貨幣的現象であるこ とを示しているのである。というのは、この19世紀末は、金本位制が世界的に拡大し た時代だからである。金本位制の下では、各国の通貨供給量は常にその保有する金準 備の制約を受けるので、経済成長によって貨幣需要が拡大したとしても、それに応じ て貨幣供給を十分に増加させることができない。その場合、通貨供給の伸び率が実質 経済成長率よりも低ければ、物価は傾向的に下落していくことになる。19世紀後半に 世界的な長期デフレが生じたのは、まさしくそのためである。この推論は、この長期 デフレの終焉が、1890年代に入ってからの新たな金鉱脈の発見(南アフリカ、アメリ カ、オーストラリア)とほぼ重なっていることからも裏付けられる。
おそらく、多くの人々が構造的デフレ論に感化されてしまうのは、単にその人々が十分な経済学的ディシプリンを持ち合わせていないからであろう。すなわち、無知のゆえであろう。しかし、問題はより根深いものであるかもしれない。なぜならば、「デフレには耐えるしかない」という考えを人々に浸透させることが自らの利益になっているような集団は、確実に存在するからである。利害は人々の無知さえも利用するのである。
(野口旭の「ケイザイを斬る!」 )
ドイツの宰相ビスマルクは「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉がありますが、小泉・竹中政権は自らの経験でしか学べないようだ。小泉内閣が発足した頃、橋本内閣の失敗を繰り返すなと警告しましたが、その教訓を学ぼうとしなかった。財政再建を目指す緊縮政策が、税収の落ち込みで余計に赤字が増えるということは、橋本内閣のときに起こった事である。だからこそ景気回復なくして構造改革は出来ないのです。
小泉内閣初年度の緊縮財政が税収の落ち込みを招いた事から、小泉首相もようやく自らの経済政策の誤りに気付いたのです。愚者は経験からしか学べないのだ。しかしながら小渕政権の財政出動による景気対策も限界が来ている。山や海岸をコンクリート付けにしたところで、景気は長続きしない。財政出動するにしろやり方を変えなければなりません。
以前にも江戸時代の徳川吉宗の「享保の改革」について書いたことがありましたが、野口旭教授もこの事に触れている。当時の侍社会は米本位制だった。ところが米の増産により、米が値崩れして侍の所得が減ってしまった。侍たちは生活が困窮し多額の借金に悩むことになった。米の生産性が向上して経済規模が拡大したのに、通貨が金本位制だったためにデフレが起きたのです。
侍や町人たちの人口=需要が一定なのに、米の供給が増えたからデフレギャップが生じたのです。米の増産分だけ通貨も供給しなければデフレで物の値段は下がることになる。米の生産を抑えるわけにいかないから、通貨の供給を増やして米の値下がりを防ぐことで侍と農民の経済を保つことが出来た。侍が倹約をして、農民が困窮しては経済が成り立たなくなります。平成においてはサラリーマンが倹約をして、生産企業が赤字で「失われた十年」と言っているのと同じだ。
財務官僚も日銀官僚も歴史をもっと勉強して、通貨とは何かを知るべきだ。国債を発行して公共事業をしても、通貨はプラスマイナスゼロであり、通貨供給にならない。通貨を増大するためには日銀が国債を買い取るか、日銀が株や土地を買い取ることしか通貨供給できない。江戸時代には幕府が農民達から改鋳した小判をばら撒いて米を買い取り、農民の生活を安定させ、米価を上げることにより侍の生活も安定させた。
宮沢元総理や日銀官僚はデフレギャップについての認識がないのだろう。日銀の国債引受=ハイパーインフレと言う認識しかないのだ。戦後の生産設備の破壊と人口の増加がインフレギャップを生み、需要に供給が追いつかない時代が続いた。しかし最近は需要より供給がオーバーしている。人口もこれからは減ってくる。さらに供給力が増え続けているのに日銀は「不胎化」と称して通貨供給を絞り続けた。だから「失われた十年」が生じた。
宮沢元総理や日銀官僚は東大を出た秀才のはずである。ところが経験のないことは認識できないようだ。まさに「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言うことだ。
日本のデフレギャップの怪 経済コラムマガジン