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BNPパリバ証券会社・経済調査部チ−フ・エコノミストの河野龍太郎さんは前回のWeekly Economic Reportで、インフレ抑制のコストは大きいと述べた。その上で、「インフレを放置するコストとは何だろうか」と問題提議する 。明らかにハイパー・インフレーションは問題である。しかし、戦後の先進国が経験した物価上昇は、そのような極端なインフレではない。一般にインフレは大きな害悪をもたらすと信じられているが、「インフレ時代におけるインフレへの不満の大半は、実はインフレそのものが原因ではないことが多かった」と語る。
<実質所得の持続的低迷は、生産性上昇率の低さを反映> 例えば、よく聞かれたのが「物価が上がって、暮らし向きが一向によくならない」といった不満である。つまり、実質所得が増加しない、もしくは減少しているということ。だが、長期的に見て実質所得が上昇しないのであれば、それはインフレによって目減りしているからではない。「実質所得の持続的な低迷は、生産性上昇率の低さを反映している」。そして、生産性上昇率が低いのであれば、それは資本蓄積の停滞や平均的な労働者のスキルの劣化が原因であったりする。70年代、80年代のアメリカの実質賃金は低迷したが、インフレはその原因ではなかった。
<インフレヘッジ・コストよりも高いメニュー・コスト> インフレ率が上昇すれば、インフレヘッジのために、保有現金を最小に抑え、残りは利子のつく銀行預金にするため、銀行に頻繁に通うというコストはある。経済学者はこれを靴底コスト(シューレザー・コスト)と呼んでいる。頻繁に銀行に行け ば靴底が減るからである。あるいは、インフレによって、製品価格の変更のたびに、販売相手と価格交渉をしたり、メニューを書き換えるコスト(メニュー・コス ト)が発生する。これもインフレのコストである。しかし、「先進国が戦後経験した程度のインフレであれば、靴底の減り具合はほとんど問題にならなかった」。また、 同じように、価格を引き上げることで得られる利益よりも、メニュー・コストの方が大きく、価格を据え置くケースも多かった。メニューを書き換えないから、相対価格の調整の代わりに数量調整がもたらされ、それが不況の原因になっていると いう理論もある、と言う。
<インフレの害悪は、インフレ率の高さ自体ではな> インフレの真の問題については、経済学者の意見が比較的一致しているようである。インフレの害悪とは、「インフレ率の高さそのものではなくて、予期しないインフレが企業や家計の意志決定をゆがめ、経済効率を悪化させる点である」と言う。世の中には、多くの長期契約がある。銀行貸し出しが典型的な例である。ほとんどの経済主体はリスク回避的であり、不確実性を嫌う。このため、インフレ率の変動が大きけ れば、銀行はリスク・プレミアムとして貸出金利を高くするだろう。その結果、貸し出し需要は低下する。資金が十分にあるにもかかわらず貸し出されないとすれば、経済の効率性は損なわれる。企業にとっては、事業計画を立てるにも、インフレ率の変動が大きければ長期的な計画の立案が困難になり、リスクテイクをあまりしなくなる。ただ、「こうした状況においては、インフレ率の高さも問題になる」。インフレ率が高ければ、その変動幅も大きくなるからである。これらは、「デフレが実質賃金や実質金利の調整を困難にし、資源配分を歪めることと共通する」と言う。ただし、デフレの場合は、わずかであってもこうした問題が生じるが、マイルドなインフレであれば、こうした問題は生じない。また、税法のほとんどがインフレの影響を考慮していないため、インフレが課税システムを歪めるリスクもある。
<3%〜4%の安定したインフレ率はほとんど無害> しかし、ブラインダー教授の指摘したように、先進国のインフレの害悪はそれほど大きなものではない。同じようにクルーグマン教授も、「経済分析から判断する限り、3%ないし4%の安定したインフレ率はほとんど無害である。10%の率でもわず かな対価を要するにすぎない」としている 。これまで、中央銀行がゼロインフレを目指すことは、あたかも標準的な経済学がそれを要求しているかのように思われがちであった。しかし、実際のところ、「多くの中央銀行が採用した反インフレ的な金融政策は、理論的というよりも、むしろイデオロギーとしての色彩が強かったように思われる」と言う。