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企業と人−「破たん」から学んだこと−
第27回「巨大な窮鼠は誰を噛むのか〜危険満載のメガバンク攻防戦」(その1)
(アローコンサルティング事務所 代表
箭内 昇氏)
最終更新日時: 2003/02/03
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メガバンクの昨年末からの動きは異常だ。3月期末が近づくにしたがって大技、荒業を打ってくるさまは、これまでひたすら問題先送りしてきたと同じ銀行とは思えないほどであり、「窮鼠猫を噛む」の感がする。しかし、問題はなぜメガバンクが「窮鼠」になったのか、噛みつかれる「猫」は誰なのかということだ。
乾坤一擲の金融庁発表
メガバンクが本当の「窮鼠」に変身したのは、昨年11月8日、金融庁が過去の銀行検査内容について発表したときだろう。長銀破綻以降実施した過去2回の大手銀行検査において、銀行の自己査定が大甘だったことが露見したからだ。
特に99年度から2000年度にかけて実施された第1回目の検査では、銀行の自己査定は当局の査定より不良債権額で約36%、貸し倒れ引当必要額では実に約47%も下回っていた。これは平均値であり、50%以上下回っていた銀行が15行中それぞれ5行もあった。
マスコミの扱いは地味だったが、この金融庁発表は、メガバンクの経営者にとってメガトン級のダブルパンチだったはずである。
第1のパンチは、夫唱婦随でやってきたはずの金融庁から突然三行半を突きつけられたという衝撃だ。バブル崩壊以降、馴れ合いの銀行検査、甘いディスクロージャー、税務・会計上の特例付与そして大盤振る舞いの公的資金注入と、金融当局は一貫して銀行を理解し、支援してくれた。
もちろん、金融当局は過去の行政ミスを指摘されたり、在任中に面倒な仕事を背負い込みたくないという官僚本能で行動したのだろうが、結果的には銀行と同床異夢の二人三脚の関係を築いてきた。特に、指揮官であった柳沢伯夫前金融担当大臣は、大手銀行はすべて健全銀行と認定して2回目の公的資金を投入した責任者でもあり、任期中一貫して「健全銀行」を擁護した。
しかし、昨年10月に柳沢大臣からバトンを受けた竹中平蔵新大臣はいきなり政策を180度転換し、ハードランディング路線を突っ走った。大手銀行はあわてて自民党有力者や金融庁守旧派を抱きこんで必死に抵抗し、金融再生プログラムの骨抜きなど一定の成果を挙げた。だが、そこに竹中大臣が打ち込んだ乾坤一擲の一撃がこの金融庁発表だ。
この発表は、金融庁にとっては、銀行の甘い査定を黙認してきたことを自己批判するものであり、柳沢前大臣時代では絶対ありえなかった話だ。
それだけにメガバンクの経営者は、当局との間で長く続いた同床異夢の時代が終わったことを痛感し、突然羅針盤を失って嵐の中で漂う難破船の船長のような強い不安に襲われたはずである。巨大なネズミは隠れ場所を失ったのだ。
後の時代から振り返ると、この金融庁の発表は銀行に対する護送船団行政が完全に終焉した象徴的な転換点になっているような気がする。
国有化と銀行経営者の悪夢
メガバンクがこの金融庁発表で窮鼠と化したもうひとつの理由は、経営責任追及の手が急迫してきたことだろう。金融庁との蜜月時代が終わった以上、竹中大臣の国有化戦略は急速に現実化する。そうなれば、この金融庁発表で過去の自己査定が大甘だったことが露見した以上、外部調査が入って粉飾決算などの疑惑を追及する可能性が高いからだ。
長銀では破綻後、金融再生法の規定によって外部調査が入り、その結果3人の旧経営者が刑事告発された。要は粉飾決算ということである。
長銀は、日本リースなど親密先に対する貸出債権について「銀行が最後まで支援する」ことを理由に、自己査定で不良債権から外した。しかし、第1審の東京地裁は、当局の基準に従えば不良債権に分類すべきであり、引当不足のまま処理した決算は粉飾決算だと断罪したのである。
今回の金融庁発表は、他の大手銀行もこの長銀と同じ穴のむじなだった可能性を強く示唆している。少なくても引当不足は否めず、有価証券報告書虚偽記載の疑いは強い。
民事責任も同様だ。長銀旧経営者は、関連会社などに対する追加融資が「返済可能性のない先への融資であり、銀行に損害を与えた」として損害賠償を請求されたが、当時類似の融資案件はどの大手銀行にも山のようにあったはずだ。
メガバンクの経営者は、長銀旧経営者に投影した自分の姿を見て、悪夢にさいなまされているに違いない。
99年に長銀旧経営者が逮捕されたとき、新聞記者などから銀行界の反応を山ほど聞かされた。それは「愚かだ」「気の毒に」「運が悪い」など揶揄、同情の気持ちの一方、「これで自分たちは助かった」という安堵の声が入り混じったなんとも複雑なものだった。当時の銀行マンであれば、長銀経営者に対する厳しい指弾が、銀行界に問題先送りを戒める一罰百戒の天誅であることを感じていたからだろう。
しかし、その後華やかなメガバンク誕生で危機感を薄めた銀行界は、再び隠蔽、先送り路線を走った。そして、金融庁から二人三脚の紐を突然外された今、なんとしても国有化を回避し、悪夢が正夢にならないよう必死の逃亡劇を展開しているのである。
大型増資という「窮鼠」の一策
そして窮鼠の逃亡劇は、奇手奇策の前座から大型増資の本舞台に移った。増資計画の経済面からの評価は専門家に任せるが、筆者はもっとベーシックなところで大きな懸念を持っている。
最大の問題は、1兆円という金額や4.5%という配当率もさることながら、増資と裏腹の関係にある再建計画が見えないということだ。確かに90年にシティコープが破綻の危機に瀕したときジョン・リード会長がサウジの王子に引き受けてもらった優先株は13億ドル、配当率11%という大胆なものだった。
しかし、当時ニューヨークに駐在していた筆者は、リード会長のアドバイザーの一人から、彼がいかに再建計画作りに精魂を傾けたかを聞いた。リード会長はその再建計画を携え、さらに元イングランド銀行総裁と投資銀行家のコンサルタントを帯同して王子を訪問した。
夜の10時から開かれた会議で、リード会長は自ら再建計画を説明し、王子からさまざまなシミュレーション作成の要求が出ると、2人のコンサルタントが徹夜をして翌朝7時には完璧な答えを出した。王子からの出資の背景には、周到な計画と準備があったのである。
これに対して今回のメガバンクの増資計画は奇手奇策の延長線で出てきたものであり、綿密な再建計画に裏付けられているとは到底思えない。
メガバンクの増資を懸念するもうひとつの理由は、取引先からの信頼が急落している中で、権力と腕力で推進しようとしているところに危うさが見えることだ。
米銀だけでなく、日本の銀行も昔はがんばった。終戦直後、政府が企業に対する戦時補償を打ち切ったため倒産が続出し、銀行も巨額の不良債権を抱えて9割もの減資に追い込まれたことがあった。
このとき、三菱や富士など大手銀行は自己資本比率10%の確保を目指し、47年8月から1ヶ月という期限を切って、全行員が炎天下の中を山間僻地の取引先まで出向いて増資キャンペーンを展開した。増資は成功したが、取引先も銀行再建が日本の再建に直結すると確信して積極的に協力したのだろう。
しかし、今回の増資はほとんどの取引先が引き受けに消極的だ。もちろん最近の銀行株大幅下落で大きな損失をこうむったなどの経済的な理由もあるが、それ以上に銀行不信が根強いことが大きい。貸し渋り、貸し剥がし、内部抗争、隠ぺい工作、個人債務者いじめなど、銀行の企業倫理は地に堕ちた。企業は、銀行が今のような経営姿勢のまま再生しても、それが日本再生につながるという確信が持てないのである。
それでもメガバンクは融資と絡めた増資キャンペーンを展開し、最終的には目標を達成し、3月危機を切り抜けるだろう。しかし、再建計画もなく、取引先の信頼も回復しないまま真の再生ができるとは到底考えられない。喉もと過ぎて熱さを忘れたメガバンクは、いずれ旧来型ビジネスやカルテル体制に回帰していく可能性が高い。幸か不幸か、日本は銀行貸出残高がGDPに匹敵するという完全な銀行大国であり、銀行が再生しなければ日本経済も復活が難しい。
こうしてみると、巨大な窮鼠に噛まれるのは竹中大臣でも金融庁でもなく、結局は国民ということになりそうだ。「個人資産が1400兆円を持った時代があった」と過去形にならないよう祈るのみである。
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窮鼠の証拠隠滅工作
実は、筆者が巨大な窮鼠で密かに恐れることのひとつに、内部記録の隠滅がある。読者は驚くだろうが、MOF担と銀行破綻を体験した者の目には、現実問題として映るのだ。
日本の銀行には昔から強烈な隠蔽体質がある。筆者がそれを最初に体験したのは70年代後半、最年少で企画部つまりMOF担部署に配属されたときだ。あるとき、大蔵省検査(MOF検)が2週間後に入るという事前情報を得るや、企画部は関係各部に特定の重要書類を別保管すべしという指令を飛ばした。
企画部自身も大量の対象書類を抱えていたため、若い筆者は張り切って力仕事に精を出した。キャビネから大量のファイルを抜き出してダンボールに詰め、本店地下3階という初めて踏み入る地底のような場所に運び込んだ。そこは、地下2階の床のタイルを開くと現れる秘密の空間だった。
ほとんどが業務計画や役員会関係の書類だったので、上司に理由を聞くと「行内での議論など大蔵省に知られたくないし、頭取の諮問機関である常務会など存在すらしていないことになっているんだ」とのこと。部長や室長から命令があったわけでもなく、おそらくMOF件に伴う事務処理のひとつとして、前身の勧銀時代から引き継いできたのだろう。
当時から、どの銀行もMOF検の日程を探るのに躍起だったが、その背景には資産査定の準備もさることながら、こうした特殊工作の時間も必要だったのである。
それから約20年後、長銀が凋落のテンポを速めていった90年代後半の大蔵検査では、あろうことか融資本部は過去営業部店に配布した本部資料について、破棄あるいは改ざん後の資料に差し替えるべしとの指示を出した。
さいわい筆者が部長を勤めていた営業部には該当資料がなかったが、大きな違和感を覚えると同時に、「クリーンさが売り物だった長銀が、こんなことをするのか」という漠然とした恐怖感に襲われた。
この偽装工作は後に発覚して当局の処分を受けたと記憶するが、大手銀行といえども追い込まれれば、組織防衛のためには何でもするということを実感した事件であった。
それから数年たって長銀は破綻し、前述のとおり旧経営者は刑事、民事で責任を追及された。そのとき、検察筋やマスコミから「長銀は几帳面に克明な記録を残しすぎた」という話を皮肉交じりに聞かされた。経営会議や常務会など正式な役員会はもとより、円卓会議的な非公式役員会や本部長クラスの会議にいたるまで克明な発言記録が残されており、それが責任追及の格好の材料になったのだという。
確かに筆者も、企画室長を務めた2年間は事務局として常務会の議事録を作成した。こうした議事録は一応当事者にも回覧されるが、ほとんど誰も読まずに判を押す。その記録がそっくり残っていたのだ。
この話はマスコミを通じて広く銀行界にも伝わった。ある大手銀行の経営者は、記者に対して「長銀はアホだ」と言い放ったという。なぜつぶれる前に処分しなかったのかという意味だろう。メガバンクの経営者が国有化の手が間近に迫ったとき、「長銀の轍は踏むまい」と記録を隠滅しないと誰が言い切れるだろうか。
証拠隠滅は日本の銀行だけではない。96年、ナチスによって虐殺されたユダヤ人遺族が預金引き出しを拒否されたとしてスイスの銀行を訴追する事件が勃発した。いわゆるホロコースト問題だ。このとき、スイス最大の銀行だった旧UBSは、密かに関係書類を廃棄処分しようとして発覚した。警備員のマイリに通報されたのである。旧UBSは厳しい国際的非難にさらされ、急速に没落してあっという間に格下の旧スイス銀行に買収された。
古今東西、銀行業界は密室体質であり、それだけに舞台裏では何でもできる特殊な世界なのである。
筆者の推測では、大手銀行はすでにメガバンクの誕生前に不都合な資料をかなり処分したはずだ。合併相手に恥ずかしい過去をのぞかれることほど不利益なことはないからだ。
こうした行為は、トップが指示するわけではなく、組織防衛の本能で自然発生的に始まるところに怖さがある。
このうえ、メガバンクが合併後の記録まで隠滅したのでは、「失われた10年」の実態は永久に封印されてしまう。巨大な窮鼠は歴史まで噛んでしまうかもしれないのだ。メガバンクに警備員マイリがいることを祈るのみである。
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