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「天下は財なきを患(うれ)えずして、人の以て之れを分かつなき患(うれ)う」(管氏)
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意味は次のとおり――「国家に財産が足りないということは、さほど心配すべきことではない。現在ある財産をいかに公平に分かつかということに心を配るべきだ」(諸橋轍次『中国古典名言事典』より)
最近の政治は平等より自由を重視している。平等より豊かさの追求を尊重している。しかし、依然として平等は大切である。
経済活動においては自由な競争は尊重されなければならない。自由競争の結果、勝者と敗者が生まれる。これは必然である。自由経済主義者は政府が敗者を保護することを社会主義だとして拒否する。失業者になるのもホームレスになるのも自己責任だとして政府の介入に反対する。しかし私は、敗者がこの社会で生きるすべを失ったときには、政府は介入し、保護すべきだと思う。
英紙『フィナンシャル・タイムズ』2003年1月7日号に“ Two-speed Japan”と題するデビッド・ピリング氏の評論が掲載された。副題は「平等主義モデルが壊れ、勝者と敗者の分断が始まる」。このなかに私の発言が引用されている。1カ月ほど前、同紙の取材を受けたときの発言である。次のとおり。
「政治評論家・森田実は、小泉の勝利は(日本国民と自民党の)間違いの結晶だと言う。首相は『平等社会を壊し、階級社会を導入しようとする』と氏は言う。小泉氏はそうすることで、日本に深く根づく『和』――千年つづく調和とコンセンサスへの信頼―― という概念を覆そうとする」。(この発言の意味を少し説明したい――小泉首相を日本国民が支持してきたのは大いなる錯覚によるものである。国民もときには過ちをする。とくにマスコミが一斉に意図的に誤った報道をしたときには国民の判断力は乱れ異常になる。国民は小泉首相が新たな時代の創造者になるとの巨大な錯覚を抱いたのである)。
「森田氏は、日本は簡単に過去を捨てられない、と主張する一人。『私は、(小泉)改革を進めようとする人々は日本社会への希望を捨てた人々だと思う。彼らは、日本は低いところまで落ちたため、立ち上がり、米国のようにならなければならないと考える』と氏は言う。『だが、日本はこのようなビジョンに反乱するだろう』と氏は警告。『これが日本人の中に深い亀裂を引き起こすだろう』(上記の私の発言のうち「改革」とは正確には「小泉改革」と記すべきである。私はインタビューでは「小泉改革」と発言した。これ以外の引用にはとくに問題はない)。
日本は「和」を尊ぶ国である。助け合いと調和の国である。小泉改革支持者は、この「和の文化」を壊さなければ日本は成長しないと考えている。ピリング論文の冒頭に「日本は『敗者天国』――個人の勝利を嫌う国――』とのメリルリンチのジェスパー・ユール氏の発言が紹介されている。だが、これは日本に対する極端な偏見である。日本では敗者が勝者と同様に扱われていることはない。このような極端な偏見にもとづいて米国型グローバルスタンダードが合理化されている。
小泉改革が実現しなければ――すなわち、勝者と敗者の分断(日本社会の二極化)が実現しなければ――日本は衰退するとの見方も、また、過度の偏見である。逆に、小泉改革が進める不平等の拡大を許せば、失業者は増え、その結果、犯罪が増える。日本社会の安全が崩壊する。社会の安全を失って混乱した国が成長するはずがない。日本的な和の風土を否定し、米国型グローバルスタンダードに変えてしまおうと考えている人々は、実は日本社会を破壊し、日本経済を米国巨大金融資本の餌食にしてしまおうとしているのである。
地方では、日本の優れた伝統である「和の社会」を守ろうとする動きがすでに始まっている。日本社会を二極化しようとの小泉内閣の動きに対する警戒感が地方で広がっている。健全な日本社会の伝統を守ろうとの意識が着実な広がりを見せている。日本社会二極化政策の信奉者は小泉首相とその側近、一部の勝ち組経営者、米国で教育を受けた学者とエリート官僚だけである。驚くべき愚行である。
日本的「和の社会」をどう守るか――私たちは、この問題を来るべき4月の統一地方選挙での最大の中心テーマにしなければならない。選挙を通じて、米国型グローバリズムの節度なき賛美者を政治の場から追放する第一歩にしなければならないと思う。平等思想をばかにする傲慢な政治家、官僚、学者を政権の座から一掃すべきである。