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「いかに長く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題である」(セネカ=古代ローマの哲学者)
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政治家の評価は「長さ」で決めてはならぬ。何をしたか−結果で評価すべきである。
小泉首相の政治が口先のみの「丸投げ政治」と言われるのは、小泉首相に明確な理念と目的意識が欠けているからである。人気取りが自己目的化している。マスコミでの人気者を集めて委員会をつくり、自民党と対決させて人気を煽る。しかし肝心なことは進まない。最初は華やかだが、明確な結果は出ない。最後にはしぼんでしまう。小泉政治が「竜頭蛇尾」政治といわれるゆえんである。繰り返すが、この原因は小泉政治に明確な理念と目的意識がないところにある。
これに対して、小泉政治批判者の亀井静香前政調会長や堀内光雄総務会長らには明確な論理と政策がある。マスコミは小泉首相の煽動に乗せられて、これらの政治家を「抵抗勢力」などと呼び、「小泉=善、抵抗勢力=悪」のイメージを振りまいているが、これほど愚かなことはない。
亀井氏は「不況や経営困難のために自殺者が出ても平然としているような政治は間違った政治だ。生命は一度失ったら取り戻すことはできない。政治家は不況のために自殺者が急増するような政治は改めさせなければならない」と主張する。これは正しい。それだけではない。政治家は国民の傷みを自らの傷みとして受け止めなければならない。『孟子』にも「民を視ること傷むが如し」とある(政治家は民に対して深い同情心を持たねばならない、の意)。
堀内光雄総務会長は、アメリカ的グローバルスタンダード導入の行き過ぎを強く批判している。日本の良き伝統と文化を維持しつつ、国際化に対応すべきだと主張する。現に進行中の小泉改革は「行き過ぎたアメリカ化」である。政府が歴史・風土・文化・伝統を軽視し、国家権力をもって強引に変えようとすれば、社会は混乱する。堀内総務会長は「摩擦や紛争」ではなく「調和」の道を選ぶべきだと説いている。この主張は正しい。これは明確な政治理念にもとづいた主張である。
大切なのは真面目で誠実な論争である。小泉首相は理念をもって行動すべきである。
野党の側にも同じことがいえる。菅直人民主党代表や小沢一郎自由党党首らは「野党結集」を強調する。たしかに野党が結集すること自体は悪いことではない。良いことだ。
しかし「何のために」がない。「景気回復のために」野党結集をするのか、それとも「小泉流構造改革を推進するため」なのか――明確でない。私は「小泉改革は日本を破滅させる」と考えている。だから目的が前者なら支持するが、後者なら国民に害をもたらすので反対する。目的意識が不明確な野党結集は無意味である。
昨年末、民主党を離党し、保守新党を結成して代表に就任した熊谷弘氏に対して、野党幹部は口を揃えて非難攻撃を加えたが、これにも一言、言わねばならない。熊谷弘氏は、いま小泉内閣が政策転換をして景気浮揚策をとらなければ日本経済は破滅するとの危機感を強く持ち、そのためには円安政策をとるべきだと主張、これを断行させるために与党に転じた。批判覚悟の方向転換である。マスコミでは「野党から与党に変わったのはケシカラン」との声一色だが、もっと大事なことがある。それは、日本国民を経済危機から救うことである。熊谷氏には明確な目的意識と政策がある。実行力がある。もしも熊谷氏が代表をつとめる保守新党がこの主張を下ろして小泉政治に完全に同調するようなら、その時は国民から厳しい批判を浴びることになるだろう。
マスコミのなかには真の国民の味方が誰か、をわかっていない者が少なくない。日本を破滅させるおそれの強い小泉改革に無批判に追随する姿勢を改めてもらいたい。2003年前半の日本の中心的政治課題は、「小泉政治の否定」である。
2003年を、小泉政治を終わらせ、日本経済再生の一歩を踏み出す年にしなければならない。政局転換の一日も早い実現が求められている。
その前に、国会は日本の金融をむりやり破壊して、貸しはがしを促進している竹中金融相を不信任すべきである。これは通常国会が開会したら直ちに実行しなければならない。野党が小泉政治と本気で対決する意思があるなら、通常国会冒頭に「竹中大臣不信任決議案」を衆議院に提出すべきである。