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http://www.ubenichi.co.jp/skiji/2002/tmo/index.htm
生まれかわる中心街、中央町3丁目街なか再生事業スタート
〜調和の街並みへルールづくり〜
宇部市中心市街地活性化基本計画に基づく、中央町3丁目地区の街なか再生事業が、いよいよスタートする。第1期工事として2月から銀天街から南側の約0・3ヘクタールで建物の解体・整地作業に着手。4月から土地区画整理事業とともに、借り上げ型市営住宅を含む共同化住宅や個別住宅などの建築工事が始まる。買い物客を集める前に、まず商業者自らの快適な居住空間を作ることが基本コンセプト。これまで二の次にされてきた住環境に注目。住む人が使いやすい住宅づくり、まちづくりから着手し、買い物客、市民が利用しやすく、心安らぐまちに仕上げようと腐心している。昨年末には中央地区再開発推進協議会(吉野喜代杜会長)の下部組織として、中央町3丁目街づくり第1地区が組織され、意見を集約。今月末までにまちづくり協定になる12か条のデザイン・ガイドラインも決定する。すでに一度は中央町を離れていた商業者も、再生事業に合わせ、再び住居を3丁目に戻そうと計画している人もおり、人を大切にしたまちづくりのつち音が聞こえ始める。3丁目地区の各商店は今月下旬、事業着手を前に銀天街とタイアップし、最後の大売り出しとフリーマーケットを計画している。(2002.1.1)
人通りのほとんどない中央銀天街のアーケード内
まず、商業者の住環境整備
中央町3丁目地区は、戦前は商店街というより繁華街に隣接した住宅地という形態だった。ところが、1945年(昭和・年)の宇部大空襲で焼け残ったことから、戦後の復興期はやみ市として人を集めるようになった。昭和年代から諸N代の高度成長期には、宇部新川駅や中央バス停から沖の山炭鉱や宇部興産などの工場群に通う人々でごった返し、近在一の繁華街・中央銀天街を形成した。
宇部の多くの市街地は空襲で焼け野原と化したことから区画整理が進み、常盤通りをはじめ道路建設も、地方都市としては異例の規模で整備された。こうした社会基盤整備のなかで取り残されたのが、焼け残った中央地区。道路幅は狭く、駐車スペースもなかったことから、現在の車社会に対応できなかった。
商業面では、高度成長の全盛期には「客が勝手に来てくれる」状態で、“殿様”商売がまかり通り、逆に近代化が遅れた。とくに小野田サンパークなど郊外の大規模店舗が出現し始めた昭和剩N代半ばから、急速に買い物客の流れが変わり、取り残されてしまった。150店以上あった銀天街は、今や歯抜け状態で、「シャッター通り」として全国的に有名になる不名誉な状況。アーケードの改修も買い物客の引き戻しには、役立たず、焼け石に水だった。
関係者らの会議も熱が入る
なかでも街にとって痛手だったのが全盛期、銀天街でもうけて郊外に立派な家を建てることが、商業者のステータスになったこと。それまで商売第一で、住環境は二の次だったが、住宅ブームで郊外に住まいを建て、中央町離れが加速。
国勢調査によると、中央町3丁目の人口は1970年(昭和45年)には540人だったが、95年(平成7年)に204人と激減しており、現在の人口はわずか66人。1ヘクタールD当たりの人口密度は50人で、宇部市の平均人口密度と比べても少なくなっている。
こうした背景から、街なか再生事業の構想は、まず商業者が快適に住めるまちづくりが第1に上げられ、ついで市民も憩える商店街づくりへと発展させようという住民の願いが事業の支えとなっている。
一階を店舗、二階以上を住居に
中央町3丁目の街なか再生事業は、土地を市が行う区画整理事業で行い、建築物は民間の自力。ただし共同化を図り1階部分を店舗、2階以上を住居とするなど、優良建築物等整備事業や借り上げ型市営住宅制度など各種の補助制度を活用し、定住人口の回復を図る計画。総事業費は約21億円。
事業範囲は大和駅前店跡地から中央銀天街をはさみ、旧太陽家具本店跡地周辺までの約1・2ヘクタール。富士パーキングや宇部信用金庫西新川支店、ホテルリンクスなど、鉄筋コンクリートの建物は移転・改築で、時間・費用ともかさむため、計画から除外された。
地区内の権利者は土地所有者が35人、借地権者が20人、テナントが19人。住居13戸、店舗と住居20戸、店舗26戸の計59戸で居住者は66人。事業計画では、商業施設と都市型住宅が複合した商業地としており、完成時の計画人口は、借り上げ型市営住宅・戸分を含め約300人、人口密度でみると1・当たり250人を想定している。
市が行う区画整理による道路整備は、外周となる市道が拡幅されるほか、地区内部を東西に走る2路線は、中心市街地にふさわしい魅力的な空間とするため、歩行者に対する安全性、利便性、快適性に配慮した歩車共存型。幅員約6〜10M。さらに、にぎわいの場、憩いの場となるように広場3か所を設置する。歩車共存型の道路は、景観に配慮して舗装。カギ型に南北に伸びる広場も景観・環境に配慮し植栽する。地区内の道路沿いの電線類は地中化する。
土地区画整理事業を施行するため、市は一昨年から都市計画の種類、土地の区域を市都市計画審議会に諮り、都市計画決定。ついで道路や広場など公共施設の位置や規模の設計概要、施行期間、資金計画など土地区画整理事業計画、換地案を策定し、土地区画整理の施行規定を、昨年の3月議会にかけて条例化。昨年夏までに土地区画整理事業計画と実施計画を併行して作成し、県の認可、国の承Fを受けた。
事業・実施計画が決まったことから、地元との調整作業に入るとともに、昨秋には街なか再生事業の推進母体ともなる土地区画整理審議会(河村泰輔会長人)を立ち上げ、換地計画に伴う評価基準や仮換地の指定などに着手した。
建物については、地元住民が整備するが、1階部分を店舗、2階以上を住居とし、協調化、共同化を図ることで国の補助が受けられる優良建築物等整備事業があることから、市はこの国の補助制度を活用するため、新たに市優良建築物等整備事業補助金交付要綱を制定した。
優良建築物等整備事業は、調査設計計画費、土地整備費、共同施設整備費などを、国が3分の1、地方公共団体が3分の1(県と市がそれぞれ6分の1ずつ)の補助をする。一般的には総建築費用の10%から20%相当の補助となっており、種類は▽優良開発型(共同化タイプ、市街地環境形成タイプ、マンション建て替えタイプ)▽市街地住宅供給型(住宅複合利用タイプ、優良住宅供給タイプ)▽耐震型の3種類がある。
河村会長は「先進地といわれるまちを視察したが、印象として残ったのはきれいな街並みではあったが、人が少なかった。ぜひ人を集めるためのまちづくりを手がけてほしい。商店の上に商業者や市民のための住宅を乗せるのが、宇部の特長であり、商業者自らが空き地にいすやテーブルを設置するなど、環境面にも気を使ってほしい。いまの時代、中央町では大量販売は無理。質のいいもの、鮮度のいいものを取りそろえ、自らお客を取り戻す工夫をしてほしい」と話した。
建物を建設する地元は、中央地区再開発推進協議会が主体となって検討を進めてきた。元山口大学工学部教授の藤本昌也さんを総合的なプロデューサーに、市、宇部商工会議所のTMO(タウン・マネジメント事業)とも連携を取り、地元の推進員・人や個店、家主、共同棟建設予定者、土地所有者らと調整しながら作業を進めている。
これまでに共同棟を予定している人は4棟23人で、2階以上に借り上げ型市営住宅30戸を計画。また、3丁目地区のランドマークともなる旧太陽家具本店跡地も、同社が独自に地上14階、地下1階の高層建築物を建設する。このなかには借り上げ型市営住宅も50戸を予定している。
住民らが実行組織
さらに現在のところ、土地区画整理事業は3ブロックに分けて実施することから、対象となる旧太陽家具本店跡地周辺の中央銀天街から南側の住民らで組織する中央町3丁目街づくり第1地区を立ち上げた。
組織は総務、建設、商業、自治会の4部会で構成。総務は事務局、会計、広報などを所管。建設は街づくり、建物(共同化)、同(個建て)を担当。このうち街づくりは、街並みガイドラインを策定するなど住民や市民の優しいまちづくりを進めるためのプロデューサー役を務める。商業は一般商店、サービス業、テナントの3部門で調整を図る。
今後、中央銀天街から北側部分の地域を整備するときは、中央町3丁目街づくり第2地区、同第3地区を順次立ち上げる。
街並みにルールづくり
まちづくりのメーンとなる「良好な街並みづくりのためのデザイン・ガイドライン」は、今月中に正式策定されるが、これまでの案としては、
▽第1条汪O壁(街全体で共通の素材を採用)
▽第2条汢ョ根(統一感のある美しい家並みをつくるため、視覚的効果のある一定こう配を持たす
▽第3条泄ワ装(道路や広場に面する敷地内空間は、連続して一体的な広がりを感じられるように。舗装材は耐久性に優れ、時間経過とともに味わいが出てくるもの)
▽第4条氓Oロット形式の沿道型建築配置(建物はできる限り街路に沿って建てる。建物の間はすき間を作らず、できるだけ壁同士を接近させる)
▽第5条泄ヌ面後退と公開空地(公共空間に面する部分は、一定以上壁面を後退させ、ゆとりのある公共空間を作る)
▽第6条泓路地空間(敷地内の空き地をできる限り裏側に集め、通り抜けのできる共用の裏路地空間を作る)
▽第7条气|ルティコ(列柱廊形式、商店街沿いは1階部分をピロティー空間に柱の並ぶポルティコ型の建物形式とし、街路と店舗の中間領域をつくる)
▽第8条气oルコニー(洗濯物が街路景観を壊さないように、サンルーム形式を採用する)
▽第9条汳梼ヤ場(商店街沿いに駐車場を設けない)
▽第10条汪ナ板(街全体の統一感に配慮し、店舗ごとに工夫を凝らした個性的でアートフルなもの。強い光線や音の出るもの、けばけばしいデザインのものは使わない)
▽第11条泓ホ化(街路景観を豊かなものにするため、窓辺に花を飾ったり、屋上をガーデニングする)
▽第12条汪Xづくり協議会(個々の建物の実施設計段階で、ガイドラインに沿ったものか検討し、デザイン調整を図る)
が検討されている。
具体案としては、外壁は個店が漆喰(しっくい)壁に。共同棟はコンクリートの打ちっ放しだが、型枠のコンパネの代わりに、スギなどの間伐材を使った特殊型枠を用いて表情のある壁とし、ウレタン樹脂系の塗装を施し、陶器のような質感に仕上げる。
屋根材は中国地方特有の石州がわらを用い、赤褐色系の色を主体する。舗装材は最近人気の高いインターロッキングをあえて使わず、れんがや自然石が検討されている。
個性生かし攻めの商売を
中原文具店店主 中原 浩之さん(38)
生まれも育ちも中央町。中央銀天街の全盛期は先代の時代であり、「子どものころの記憶は、ただ行き交う人が多かっただけ。p年あまり前に店を継いだころには、すでに一時のにぎわいはなく、右肩下がりの状況だった」という。
中原文具店の中原浩之さん
中央銀天街の役員も務めるが、「いま、この町は商業地として機能していない。商店街で催しを企画しても、参加しない会員もいるし、旗振り役ばかりが目立ち、悪循環の繰り返しになっている。住民の意志がくみ入れられるような街づくりをしたい」と力を込める。
今回のまちなか再生事業について「町内の高齢化も進んでおり、お年寄りのなかには、区画整理することで、自分の土地は削られるし、他人が入って来るという不安も聞きますが、地元から声が出て、国や県、市の補助金も出る今しかないと思い、建て替えを決意した」と語る。
中原さんは隣の叔父とともに、4階建て(一部5階建て)の共同棟を建設する計画。1階に店舗と貸店舗、2階と3階に借り上げ型市営住宅7戸(中原さん分は6戸)、4階(一部5階)がオーナー住宅となる。共同棟は外観は一体的だが、厳密には別の建物。もちろんエレベーターや廊下部分は共用。
「隣と協調性は取るが、世代交代したときのことを考え、あえて一つの建物にせず別の建物にした」という。
2月には建物の解体工事に入り、約1年かけて建設する予定。
「借り上げ型市営住宅にすることで、返済のめどが立った。多少痛みはあるが、やるしかない」と言い切った。
新しいまちについて「これまでは流れのなかで、守りの商売しかできなかったが、新しい店では商品を絞り込み、個性を生かせる攻めの商売をしたい」と語り、「中央町という地名を大切にし、ぜひ市民に『街なかも捨てたもんじゃないな』と言わせたい」と期待を込めた。
消費者の支援得たい
ナガト画房店主 千田 秀穂さん(65)
1979年に開業し・年。看板業を営むかたわら、まちづくりのリーダーとして東奔西走する。今回のまちなか再生事業でも、吉野会長、時広健次・事務局長とともに、市や商工会議所など行政、関係機関と地元住民との橋渡し役として尽力している。
「借地権者だが、地権者以上に中央町という土地にはこだわりがある。地域の輪も残り、住んでいくには快適な場所だ。向こう三軒両隣といった地域コミュニケーションがあるのが魅力」と話す。
ナガト画房店主の千田秀穂さん
店を開業する前は、今をときめくユニクロの柳井等・ファーストリテイリング社長の指南役として、ファッション業界のイロハを指導するなど、同社発祥の地でもある中央銀天街への愛着は人一倍強い。
看板業という商売の裏方から地元商業を見つめる。「いまだに高度成長期の『客は来てくれるもの』という考えが残っている。消費者に支持される店づくり、時代にあったまちづくりをしなければならない」と語る。
第1期工事として着手する銀天街周辺は食料品や一般物販が中心、第2期工事となる旧桜町筋は飲食店などサービス業中心へと、青写真を描く。「3丁目に不足しているのは、デリカ(総菜)関係。銀天街と旧桜町筋をつなぐカギ型の路地に、こうした店ができると、新しい客がつきそう」と、構想を練る。
千田さん自身は隣人と共同化を計画。1階を店舗とし、2階、3階を住居にと考えている。1階の店舗は将来、店をたたんだとき、サービス業にも貸せるように、事前に水回り設備を充実させる予定だ。
「個建てにすれば、周りに気兼ねもないが、まちづくりの観点から協調した建物にした。多少借り入れは必要だが、ほかに移ってもリスクを伴う。長年住んでいるまちで商売を続けたい」という。