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イラク攻撃に象徴される米英支配層のイスラム世界に対する軍事行動を伴った介入については“天然資源の略奪”といった陰の目的がそこそこ公然と語られているが、それはことの本質を見誤る捉え方だと考えている。
ブッシュ政権(米国)は“天然資源の略奪”を行わなかったから、「正義の戦争」だったのだという見方にもつながりかねない。
(天然資源の支配という目的があることは認めるが、略奪とは異質のものである)
中東地域の油田を露骨に略奪するような行動をとれば、広範な反対勢力を生み出し、米英の軍事介入は失敗に帰すことになる。
油田はイスラム国家の国有でもアラブ人の私的所有でもかまわないし、それのほうがスムーズに金儲けができることくらい米英支配層は理解している。だから、ことさら軋轢を生むことになる略奪は行わない。
(原油などについてはその取引ができればいいのであり、それなりの利権をアラブ人(国家)に落とすことはやぶさかではないと考えているはず。そう考えていなければ、米英支配層は、歴史から何も学んでいない心底愚かな集団ということになる)
米英支配層の真の狙いは、原油そのものではなく、原油代金を中心とした中東のマネーを支配することであり、イスラム世界を欧米的経済システムのなかに完全に取り込むことである。
これまでも、武器購入代金などで還流(巻き上げ)をはかったり、イスラムで許されている投資による還流を期待してきたが、イスラム法の壁により中東世界のマネーを支配することはできなかった。
ご存じのように、イスラムでは利子の取得は禁じられている。もちろん巧妙な仕組みで利子取得行為と言える金融取引も行われているが、剥き出しの利子取得は避けている。(添付する記事内容を参照)
マネー支配としてはほとんど価値がないアフガニスタンから始まった「対イスラム戦争」は、イスラムの価値観と法を分離する、すなわちイスラム多数派国家の“政教分離”をめざしたものである。
イスラムは心の問題の範囲に押し込め、経済活動を律する法を中心とした統治は欧米的概念(価値観)に置き換えるというのが、今回の「対イスラム戦争」の目的である。
イスラムの中心でありオイルマネーの中核である中東地域の統治構造を、イラク攻撃を突破口として改編したいと考えているのが米英支配層である。
もちろん、マネー支配という真の狙いは覆いが被され、“民主化”という空虚な美名が大義名分として打ち建てられることになる。
米英が展開している「対イスラム戦争」は、世界経済支配層(国際金融家)が世界を獲得するための「最終決戦」なのである。
イスラム世界の金融取引を欧米化しない限り、グローバリズムは達成されないのである。
※ 欧米が資金不足に陥っているなか、余剰資金が溢れているのは日本と中東地域である。国際金融家が利益を拡大していくためには、日本と中東の金融を支配する必要がある。それを、日本は「竹中プロジェクト」で、中東は軍事介入による政治改編で達成しようとしている。
近代経済システムでは、金融を支配するものが経済社会全体を支配することになる。
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『ニューズウイーク日本版1・1/8』は、P.32〜33でイスラム世界の金融問題を特集している。
P.33:「イスラムにとって銀行とは何か」
論者はムシュタク・バーカー氏(イスラミック・バンカー誌編集長)
『イスラム金融ビジネスの成長を疑うなら、欧米の巨大金融機関がやっていることを見るといい。
シティバンクやメリルリンチ、ゴールドマン・サックスといったグローバル金融大手は、イスラム法にのっとった金融ビジネスで数十億ドルの資金を集めるようになった。シティバンクとUBS銀行はすでに、イスラム金融専業の子会社をバーレーンに設立している。
〈中略〉
だが細かな統計がないイスラム金融の世界では、現状を正確に把握するのもむずかしい。イスラム金融ビジネスの市場規模は2000億ドルとも、その倍ともいわれる。
〈中略〉
しかも、規制は不透明で気まぐれだ。中東のイスラム銀行で働く西側のある銀行家によると、2001年に着任したとき、金融関連の法規制はまったく未整備だったという。
これこそイスラム金融ビジネスのアキレス腱だ。イスラム教徒以外の関係者は、イスラム法にのっとった統一基準がなぜできないのか理解に苦しんでいる。イスラム法には解釈の異なる四つの学派があるが、金融や投資に関する基本理念は一致している。それでも大半のイスラム国家は、体系的な法整備を進められずにいるのだ。
〈中略〉
最大の問題児はサウジアラビアかもしれない。イスラム法を基礎にした法体系があるのに、この国にはイスラム銀行法がない。銀行法を作れば、厳密にはイスラム法に反する利子収入に基づく銀行業の存在を、暗黙のうちに認めることになるからだ。
皮肉なことだが、イスラム金融ビジネスを発展させるのはイスラム国家の主導権ではなく、西側金融機関との連携かもしれない。
たとえば、イスラム教国の金融当局が集まるイスラム金融サービス理事会の設立に決定的な役割を果たしのは、IMF(国際通貨基金)とBIS(国際決済銀行)だった。2002年11月に発足した同理事会の使命は、グローバルなイスラム金融の実現へ向けて国際的な基準を確立することだ。
欧米の金融機関との提携は、隔絶され、不透明なイスラムの投資文化を根本から変えるのに最大の貢献を果たすかもしれない。そうなれば、市場規模が本当に拡大しているのかどうかぐらいはわかるようになるだろう。
』
P.32:「敬虔な信者だって儲けたい」
タイトルのニュアンスとは違って、イスラムは儲けることを禁止していない。
儲け方と儲けた金の使い方を規定しているだけである。
『イスラム法の戒律にのっとった投資ファンドの設立などやめようと思ったこともあると、投資会社ナビスのニコラス・ブロイは言う。
〈中略〉
通常の融資もできない。厳格なイスラム教徒は、利子収入に基づく金融業を認めないからだ。
〈中略〉
「イスラム法に反しない投資に対する需要はきっとあると思った」と、ブロイは言う。
そう思ったのは、ブロイだけではない。イスラム教徒の資金力に目をつけたイスラム金融ビジネスがいま拡大している。
〈中略〉
HSBCやスタンダート・チャータード、BNPバリバといった西側の大銀行も、中所得層から大富豪まで、豊かなイスラム教徒向けに多彩な金融商品を提供している。
〈中略〉
イスラム金融ビジネスがいちばん進んでいるのは、イスラム法を最も現実的に解釈するマレーシアだ。利子収入を得ることはできないが、規制や会計基準、法令遵守体制なども整備されている。
マレーシアの金融セクターの益%を占めるイスラム金融機関のサービスは、普通の金融機関とそっくりだ。
〈中略〉
たとえば、ある顧客が家を買おうとしているとする。イスラム銀行は家を自ら購入し、利益を上乗せして顧客に転売する。顧客はその代金を分割払いで銀行に返済する。結局、固定金利で住宅ローンを借りたのと同じことだ。
「表面的には同じでも、本質は違う」と、マレーシアのイスラム銀行の幹部、イスマイル・ワン・ユソーは言う。「イスラム法に従えば、融資の見返るに利子を取ることはできない。だが、売却益を得ることはできる」
もっとも、これは解釈の一つにすぎない。イスラム銀行のあるべき姿については、イスラム世界でも大きく意見が分かれる。トルコでは「銀行」を名乗ることさえはばかられ、「特別金融会社」という名称を用いているほどだ。
〈中略〉
パキスタンの銀行家シャヒド・ハサン・シディキは最近、次のように書いた。「イスラムの金融システムは、イスラム全体の価値体系の中で位置づけられるべきで、利子収入さえ得なければいいというものではない」
そうした考えに従えば、イスラム金融機関は、社会経済的な正義や富の公正な分配といった価値に資する存在でなければならない。利子を利子に見えなくするような小手先の手段を否定し、取引に伴う利益も損失も、両方の当事者が分け合う方法を妥当とする。
〈中略〉
97年のアジア金融危機のとき、イスラム銀行は普通の銀行にはない強みを発揮した。「イスラム銀行では、預金の利子は銀行の利益を分配する形で支払われる。危機のときには高い利子を払わなくてすみ、破綻を避けられた」と、インドネシア銀行イスラム銀行局のダダン・ムルジャワンは言う。
時と場合によっては、利子以上のものにも関心を払ったほうが賢明なのは確かだろう。』