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北朝鮮の外交も保守新党の結成も「読み違い」から始まった
多くの国民も「読み違えた」のではないか小泉流構造改革
今年最後の発行なのに、ひどい風邪にやられ咳と痰とで胸が痛い。
大阪まで取材に出掛けた際に取り付かれたらしい。
少し雨に濡れて寒気がしたが、「たいしたことはあるまい」とたかをくくっ
て仕事をした。これが悪かった。どうやら体調を読み違えたようだ。
北朝鮮もひどい「読み違い」をしているように見える。
保守新党も同調者の数を「読み違え」てスタートとした。
そもそもは民主党鳩山前代表が、政権受け皿新党発足のタイミングを「読み
違えた」ことから、政界のミニ流動化が発生した。
24日、03年度予算の政府案が閣議決定したが、結局何ひとつ改革の方向
性を反映していない、「財政悪化継続予算案」になってしまった。
収入(歳入)に対する借金の割合(国債依存度)は、44.6%と過去最悪
になり、これでは「日本沈没」に向かって、少なくとも財政上は全く歯止めが
かっていない。
公共事業も道路建設も、予算上は微減だが、ムダな支出を削っただけで工事
量はこれまでどおりという、“手品”を財務省がやって見せてくれたことで、
抵抗勢力も顔が立ったわけだ。
おかげで、復活をめぐる丁丁発止も全く見られず、自民党総務会も白けっぱ
なしだった。
◆03年度予算案の後ろには「変えたくない」人々の姿がみえる
「このままでほんとにいいのか?」という、多くの国民の心配をまるで他人
ごとのように、与党の政治家(とくに利権に群がる族議員)は自分の身の安全
が図られたとホッとしているようだ。
だが、これってメチャ「読み違い」ではないの?
筆者の「読み違い」は、自分で責任を取れるからいいが、政治的、国際的
「読み違い」は影響が大きすぎる。
小泉首相は、10年後には財政の基礎的収支(プライマリー・バランス)の
黒字化(家計で言えば、収入から生活費を差し引いた黒字化)を達成するとす
ると公約しているが、改革初年度の予算がこんな状態で、果たして達成可能と
「読んでいる」のであろうか。
景気刺激に役立たない公共投資は思い切って減らし、この国の国際競争力を
高める技術開発、起業支援、雇用の受け皿づくりにシフトするといった方向性
はごく僅かしか見えない。
その陰には、経済音痴の小泉政権を鼻先であしらい、旧来の予算配分を微調
整するだけで問題を先送りしようとしている財務官僚の高慢な顔が透けて見え
る。
そこにはまた、ケインズ型の景気刺激策によって、経済成長が回復できると
思い込んでいる学者とつるみ、既得権にしがみつく抵抗勢力の政治家と官僚の
姿も重なる。
◆経済政策の主流にはなり得ない円安誘導を掲げる保守新党の単細胞
そこにこんどは、円安誘導を標榜する熊谷代表に率いられる保守新党が登場
する。デフレ現象の真因を理解せず、デフレ退治には円安しかないというよう
な単細胞な脳みそが与党に加わったら、この国の経済の國際競争力はますます
回復しにくくなる。
財務官僚を筆頭に、学者、政治家の「読み違い」が相乗効果をあげて政策に
反映されたらどうなるか?
「日本沈没」の時期が早まるだけに違いない。その責任は誰が取れるのか。
かつての景気後退期に徹底的な円売り介入で男を上げた“ミスターYEN”
の元財務官・榊原英資慶大教授すら、「為替相場は結果だけ。経済政策の主役
にはなり得ない」という。
「(かつてのドル高での)停滞期の米国は、金融、情報・通信などの戦略産
業を育て、為替や通商政策を総動員して日本をたたいた。このままでは国がも
たないという壮絶な危機意識からだ。今の日本にそれがありますか」と苦情を
呈するのは、96〜97年に通産審議官を務めた細川恒氏。
いまこの国で総合的にやるべきことはたくさんある。
だがそれが既得権に迫ったり、自分の立場がぐらつくことになると抵抗勢力
に変わる。それが今のこの国の姿だ。
◆構造改革のゴールは平均賃金の引き下げによる國際競争力
12月11日、ロンドン・チャタムハウス(王立国際問題研究所)で日本経
済の講演を終えた渡辺修・日本貿易振興会(ジェトロ)理事長に、英国会議員
から質問が飛んだ。「日本の経済力からみて円は高すぎないか」
「その通り。自動車や電子など、競争力のある産業だけをみた相場です。為
替が適正水準になり、平均賃金があと2割下がれば、相手が中国だろうがどこ
であろうが日本は負けません」と言ったという。
そうなのだ。目標は実にハッキリしているのだと思う。
問題は、一定の水準まで平均賃金が下がるまで待つのか、それとも、自ら努
力して近づけるかの違いだけなのだ。
小泉首相のいう「構造改革」とは、その痛みを、実は最初から意味していた
はずなのだが、国民にはハッキリ言わなかった。
そこには、この国の政治家共通の“公約の仕方”があったわけだ。
いざという場合の“逃げ道”が用意されたうえでのアドバルーンだったと考
えれば分かりがいい。
そこに多くの国民の「読み違い」が生じる余地があった。
◆たとえ「読み違い」があっても、もうあと戻りできない構造改革
保守党のさきの代表野田氏が、ひとりで自民党に復党するのか、しないのか
と大騒ぎ騒ぎし、「結局、彼は党員同志と支持者を裏切った」と評論したマス
メディアがあった。これも「期待」からの「読み違い」だった。
良く彼の発言を調べてみれば、一度たりとも「個人的に復党はしない」とは
言っていないのだ。
彼ほどの政治家なら、現実に復党したときどういわれるか、始めから考えて
発言しないわけがない。(元大蔵官僚の野田氏の言動について本誌がほとんど
触れたことが無いのは理由があったからだ)
多くの国民は、騙されたわけではないが、構造改革の期待と中身を「読み違
え」ていたのではなかろうか。
だがしかし、現実問題として、構造改革をすすめなければどのような結果に
なるのか。もはやあと戻りはできないはずだ。
「読み違え」たとしても、あのとき国民が直感した「構造改革の必要性」は
間違ってはいなかった。
この国の経済が国際競争力を回復し、円の國際化も含めて、アジアの平和と
安定が近づくことになるのであれば、「構造改革の流れ」に、来年はみんなで
“竿をさして”みようではないか。