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小泉政権の「総合デフレ対策」批判-3-  金子勝はオルタナティブなのか  [革共同JRCL機関誌かけはし2002.12.9号より]
投稿者 あっしら 日時 2002 年 12 月 18 日 14:59:07:


★ 左派系金子慶大教授を左派が批判しています。
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 竹中=小泉の「総合デフレ対策」が陥った出口なき政策的袋小路は、第二次大戦後に形成された現代資本主義が、その歴史的生命力を使い果たしつつあることの無残な表現である。労働者人民は、資本主義経済を再生させようとする無益な努力に陥ることなく、新自由主義的な犠牲の押しつけを拒否し、資本主義に変わる「もう一つの世界」をめざす世界的な運動の一翼としての闘争的オルタナティブをつかまなければならない。

オルタナティブ不在の論理

 現在、小泉や竹中の「市場原理主義」的路線に対する、もっとも精力的な批判者として登場しているのが金子勝である。金子は沈滞し切っている講壇マルクス経済学者とは対照的に、テレビや週刊誌などのマスコミにとどまらず、雑誌「世界」、市民の新聞「ACT」、「労働情報」などの左派メディアなどにも、「左派系の論客」としてしばしば登場して健筆と弁舌をふるい、数多くの講演で小泉や竹中をののしりまくっている。
 小泉や竹中を罵倒するその語り口の歯切れよさと痛快さは、大衆運動の閉塞状況に置かれた活動家にとって一種のカタルシスとなっており、左派の中でも熱烈な金子ファンは多い。もちろん、金子の善意と現状への危機感は疑いない。しかし、金子の意図は結局のところ、最悪の金融危機の進行を何とかして食い止め、日本資本主義をその危機からとにかく救い出して、つぎのバブルに乗れる状況を作り出そうと願うものに過ぎない。金子の論理には、新自由主義をむき出しにしたグローバル資本主義そのものに対するオルタナティブは最初から存在しないのである。この核心をしっかりとつかまなければならない。
 その骨格は、今日の小泉=竹中=木村剛路線と全く同様の「不良債権=諸悪の根源」説に立って、竹中らの認識の甘さを糾弾し、より一層の「不良債権処理の加速」を要求するものである。したがってそれは、前回までに指摘した竹中プラン以上の「倒産ラッシュ創造路線」にほかならない。
 金子の主張を真に受けて、たとえば「ACT」や「グローカル」などの左派メディアにも、「大量の公的資金を一挙的に強制注入し、不良債権処理を加速せよ」という無自覚な倒産ラッシュ要求がしばしば登場している。金子の主張は歴史的危機に陥った現代資本主義との闘いに大きな混乱を作り出しているのである。金子勝は労働者人民にとってのオルタナティブではないことをはっきりさせなければならない。

竹中以上の倒産ラッシュ路線だ

 金子はこの数年間、小泉や竹中の不良債権処理政策があまりにも遅過ぎ、中途半端だと批判し続けてきた。融資の査定を徹底的に厳格にして不良債権の全容を明らかにし、数十兆円の公的資金を強制注入して十分な引当金を積ませ、一気に処理すべきだと主張してきたのである。
 金子の方がより一層、強硬であるということだけで、この主張それ自身は竹中平蔵が現在、銀行や与党主流の反対を押しきって推進しようとしている「不良債権処理の加速」政策とほとんど変わらない。銀行経営者の責任を問えと声高に主張しているところが、何となく小泉=竹中路線への「反対派」的なイメージを作り出しているだけである。
 もちろん金子は、「不良債権をすべて直接償却して、債務を抱えた企業を全部つぶしてしまえ」とはっきり主張しているわけではない。金子は、「銀行に十分な引き当てを積ませ、それを背景に、採算部門を中心とする再建計画を着実に進行させていく」べきだと述べ、企業再建に力点があるかのように見える主張を展開する。
 金子は言う。「厳格な債権査定と十分な引き当てがないまま……不良債権を市場で倒したりして行けば、本格的な企業再建に取り組めないまま、企業全体が生き残れずに破綻して被害を大きくしてしまう……。引き当てがないまま不良債権を倒していくと……その数倍の貸し渋り・貸しはがしが生ずる。そして、それによる急激な信用収縮がデフレをもたらすのだ」(「日銀は死んだ――もう先送りは止め、真の不良債権処理を急げ」『世界』02年11月号)。
 「筆者がずっと主張してきたように、特別立法によって公的資金枠を六十兆〜七十兆円に復活し、強制注入すべきだ。同時に、銀行経営者の責任を厳しく追及する立法措置が必要だ。……厳罰適用なくして厳格な債権査定はあり得ない……。大量の公的資金を投入して引き当てを積み、それを背景にして企業に資金が流れるようにしてやるべきだ」(「公的資金を強制注入し企業に資金を流せ」『エコノミスト』02年11月19日号)。
 それでは、十分な引き当てを積んでいれば銀行は破綻しかかった企業の再建を支援するのだろうか。たとえばある銀行が、「要注意先」の債権を「査定の厳格化」によって「破綻懸念先」に評価し直し、七〇%の引当金を積んだとする。するとその銀行は事実上、当該企業に対する融資が不可能になってしまうのである。
 銀行は金融庁の厳しい指導によって「収益力の強化」に駆り立てられている。そして、株価の低落と不良債権処理で減り続ける自己資本の不足を少しでも改善するためには、これまで繰り返し解説してきたように、強力な資産圧縮=貸しはがしが不可欠である。
 公的資金を注入されて自己資本を増強されたとしても、状況は全く変わらない。収益力を高め、利益を上げ、一刻も早く公的資金を返済して、国有化の圧力から逃れようとするからである。このような状態に置かれた銀行に、倒産で貸し倒れになる可能性が「懸念」される企業に融資を継続できるわけがないし、支援のための金利減免なども絶対にできるわけがないのである。
 竹中が「米国流」だとして導入を決定した、融資先企業が将来生み出す価値を予測して現在の価値を計算する「ディスカウント・キャッシュ・フロー」(DCF)が、下に向かって一直線のデフレ・スパイラルの中にある日本で適用されれば、大多数の企業への融資の査定が格下げになることは避けられない。しかも担保となる地価も下落に歯止めがかからない状況になっている。そのような状況下で「破綻懸念先」企業に融資の継続や拡大を頼み込まれ、それに応じるとすれば、担保物件の抜本的積み増しや金利の極端に大幅な引き上げを要求せざるを得ないだろう。
 もちろんそんな要求に応えられる「破綻懸念先」企業はない。したがって、個別の引当金を積まれた企業は融資を受けられず、いずれにせよ倒産に追い込まれることになるのである。また、今日の資本主義社会で、自らが「破綻懸念先」に認定し巨額の貸し倒れ引当金を積んだ企業に、その銀行がなおも融資を継続したりすれば、背任で株主代表訴訟を起こされるだろう。すなわち金子の提案は結局のところ、小泉=竹中の「倒産ラッシュ創造路線」を徹底的に強化せよというものにほかならないのである。

なぜ企業に資金が流れないのか

 金子も竹中らと同様に、「不良債権の重しがあるから銀行が金融仲介機能を果たせず、企業に資金が流れない」という論理で、「不良債権処理の加速」を要求している。
 しかし銀行から企業に資金が流れないのは、「不良債権の重圧」のせいではない。経済企画庁が、国内には八十六兆円の需給ギャップがあるという試算を発表したのは九九年であった。GDPの五分の一近くにもなる巨大なこの需給ギャップは、今日も全く解消されてはいない。
 世界の自動車産業の生産能力は年間七千万台に達しているが、需要は五千万台でしかない。二千万台分の生産能力が過剰である。IT産業も、前回触れたようにアメリカの光ファイバー通信網の設備稼働率がわずか五%というような、すさまじい過剰設備が積み上がっている。大規模な価値破壊としての世界恐慌が現在進行中なのである。
 過剰設備に加え、産業の「空洞化」が猛烈な勢いで進んでいる。たとえば、SONYや東芝など、日系資本のテレビ生産台数は五千六百万台(二〇〇一年)で、まだ世界全体の四三%を占めている。ところが日本国内での生産台数はわずか二百万台で、その三%に過ぎない。VTRでは、日系資本の企業による生産高が世界の六八・五%を占めるが、日本国内での生産はわずか一・四%となっている。日本の製造業は、いまや「世界の工場」となった中国へ雪崩を打って生産移転を進めている。
 過剰生産能力と生産の海外移転のために、日本国内の設備投資は冷えきっている。大企業製造業の二〇〇二年度の設備投資計画は前年度比九・二%の大幅減となっている。深刻化し続ける大不況の中で、過剰設備と過剰債務にあえぐ大企業は、新たな借金で設備投資するよりも、債務の返済に全力を上げている。そして借金の継続や拡大を求めているのは、竹中と金子が異口同音に要求する「不良債権処理の加速化」によって融資を打ち切られ、倒産に追い込まれる企業群ばかりなのである。
 「不良債権処理を一気に行えば、企業に資金が流れる」という主張は、竹中と同様の幻想にほかならない。不良債権を処理して収益力を強化しようという、私的資本としての銀行の論理からすれば、貸したい企業には資金需要はなく、融資を打ち切ることを要求される企業からだけ資金需要があるという状態になっているのである。

現代資本主義と銀行の役割

 アメリカン・スタンダードを信奉する市場原理主義者たちや、それをそのまま受け売りするマスコミは、バブル崩壊後の不良債権の泥沼に沈み込む日本の銀行を、「規模は大きいが、中身は薄く収益力もない『ウドの大木』だ」とあざけり、アメリカの銀行の「収益力の高さ」をほめたたえてきた。
 ところで、欧米の金融機関の「収益力の高さ」とは、金融投機能力の高さ、すなわちデリバティブをはじめとする「カジノ資本主義」における金融賭博の腕の良さにほかならない。
 第二次大戦後に形成されたフォード主義的拡大再生産システムが行き詰まり、再生産過程に入り込めない膨大な過剰資本が生み出された。その過剰資本に自由な投機の場を提供しようとするものが、アメリカが主導した国際的な「金融自由化」であった。それによってラテンアメリカやアフリカで累積債務危機が作り出され、飢餓や貧困が深刻化し、世界各地でバブルが作られては崩壊し、その度に倒産の波や大量失業を生じさせてきた。
 資本主義的金融活動は、再生産過程と結びついたものであるはずだった。金融収益としての利子は、生産活動が生み出す剰余価値の一部である。したがって本来、金融収益が増大するためには、生産規模が拡大し、価値増殖過程が拡大していくことが必要である。
 しかし、再生産過程に入り込めない過剰資本が獲得しようとする金融収益は、再生産過程の外側から、より一層多くの剰余価値をかすめ取ろうとするものである。そしてマスコミやブルジョア経済アナリストがほめたたえてきた欧米金融機関の「収益力の強さ」とは、このような金融賭博による剰余価値かすめ取り能力の高さにほかならない。
 タイのバーツ切り下げに端を発した九七年のアジア通貨・金融恐慌を引き起こした下手人として、ジョージ・ソロスなどのヘッジファンドが槍玉にあがった。しかし九八年のIMFレポートは、アジア通貨・金融恐慌を引き起こした国際的金融投機の「主力プレイヤー」はヘッジファンドではなく、実は欧米の大手銀行や証券会社(投資銀行)であったことを明らかにしている。
 九八年のロシア金融恐慌を契機にして、アメリカの大手ヘッジファンドLTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)が破綻した。LTCMは大口投資家から集めた二十二億ドルを担保に銀行から借り入れた千二百五十億ドル(約十六兆八千億円)で証券を購入、さらにそれを担保にデリバティブなどの金融投機を重ねていた。
 契約したデリバティブの想定元本は一兆二千五百億ドル(約百七十兆円)にふくれ上がっており、それが全面的に破綻すれば同社を通じて投機活動を行っていた世界の金融大手各社が巨額の損失を被り、国際金融危機が一挙的に深刻化することは不可避だった。
 このため米ニューヨーク連邦準備銀行が直接乗り出して、最大手投資銀行メリルリンチやゴールドマンサックスなど十五の金融機関に総額三十五億ドル(約四千七百億円)を出資させ、倒産を防ぐ救済策をまとめた。LTCMにはヨーロッパや日本の大手金融機関も巨額出資をして金融投機を行わせており、それぞれ巨額の損失を被った。
 そして当時、日銀速水総裁は国会で、「日本の大手銀行も一行あたり百三十兆円のデリバティブ取り引きを行っているので、破綻させれば内外に巨大な影響が出る」と証言した。LTCMのデリバティブ取引額に匹敵する金融投機を、日本の大手行すべてが行っていたのである。
 不正な経理操作と金融詐欺が露呈して衝撃的な巨大倒産事件を引き起こしたエンロンやワールドコムなどの犯罪を食い物にしていたのは、JPモルガン・チェースやメリルリンチなどのアメリカの最大手金融機関であった。
 このように、国際的巨大金融機関が「かすめ取り能力」としての「収益力」を高め、国際的投機の場で勝ち抜く能力を高めようとすればするほど、金融資本は寄生性を深め、大衆収奪的性格を深め、資本主義の再生産過程にとってさえ、より一層の破壊的作用を及ぼすようになっていくのである。
 これが、歴史的生命力を使い果たしつつある現代資本主義の支配者としての金融資本の現実である。暴力団を使った地上げまでやって土地のバブルをあおり、株のバブルをあおりまくり、それが破綻した結果として生じた日本の不良債権問題は、そのひとつの現れにほかならない。

金融投機規制と金子の展望

 文藝春秋社の右翼月刊誌『諸君!』11月号で金子勝が、竹中の金融政策プロジェクトチームの倒産ラッシュ路線最強硬派・木村剛と対談を行っている。そこで金子は日銀や政府の不決断をののしりまくって不良債権処理の断固たる推進を主張し、木村とすっかり意気投合しているのだが、金子の結論が極めて興味深い。
 金子は言う。「アメリカのバブルは崩壊し、世界中で投資銀行が不振にあえいでいる。そうした中にあって、道義性を持ち、相対的に一番沈まずにいれば、国際社会における交渉力は失わない。有り余ったマネーは、自然とこちらに流れてきます」。
 金子はベストセラーとなった著書『長期停滞』(ちくま新書)で言う。「世界中で経済成長率が低下傾向を強めていくとすれば、ますます余剰なマネー(過剰流動性)が発生し、行き場を失っていくだろう。……世界的に資産価格が低下すれば、急激な信用収縮を避けるために世界中でマネーが一層ジャブジャブの状態になる。……投機マネーは安定的な落ち着き先を失い、絶えずミニバブルを求めてさまようだろう」(94頁)。
 誤解の余地はない。金子は、「たえずミニバブルを求めてさまよう投機マネー」が、投資銀行という国際投機機関を通じて「自然とこちらに流れてくる」こと、すなわち日本でバブルが再び起こることを願望していると、木村剛との対談ではっきり語っているのである。これが彼の展望である。
 繰り返すまでもなく、世界的な金融自由化とグローバル化のもとで、金融資本の野放図な投機によって世界各地に「投機マネー」が流れ込み、次々にバブルが作られては崩壊してきた。そしてその度に倒産の波や大量失業が生じ、何百万人の労働者が職を奪われて生活を破壊されてきた。
 だからこそ、すべての国際的金融取り引きに課税することによって破壊的な短期の投機的資本取り引きを減少させ、厳しく規制しようとする「トービン税」の要求が広がってきたのである。グローバル資本主義の新自由主義的暴力と対決して労働者人民の生活と権利を守ろうとする、ATTACをはじめとする世界の反グローバリゼーション運動は、トービン税の実現を要求し、国際的金融投機に対する徹底した規制を要求している。
 しかし金子の主張には、破壊的作用をもたらす金融投機を厳しく規制すべきだという要求は全く出てこない。もちろんトービン税への言及もない。今日の大資本の企業金融は、メインバンクを通じた間接金融から社債の発行などによる直接金融に転換しており、金融資本にとって主要な蓄積の手段は、金融市場・証券市場・外国為替市場・商品取引市場にかかわる金融投機になっている。トービン税によって国際金融投機を徹底的に規制されたら、金融資本はほとんど干上がってしまうだろう。
 金子は、日本に「国際的投機マネー」が流れ込むことを願っている。だから金子は、公的資金を投入して銀行から不良債権の重しを取り除くことだけを要求し、金融投機の規制は要求しないのである。不良債権の重しを取り除かれた大銀行は、これまで以上に金融投機にのめり込み、社会経済への破壊的暴力を発揮するであろう。
 労働者人民の生活と権利をグローバル資本主義の暴力から守ろうとする闘いにとって、このような国際金融投機機関と化した私的金融資本としての銀行を再生する必要はない。金子の展望は、新自由主義と対決する労働者人民の闘争的オルタナティブとむしろ対立する。

どんなオルタナティブが必要か

 先に引いた『諸君!』の座談会で金子勝と木村剛は、不良債権の重圧があるために銀行は貸し渋りと貸しはがしを強めており、資金を求める中小企業と個人に資金が回らないと嘆いている。しかし、中小企業と個人に資金を回すために、私的金融資本としての大銀行を再生する必要は全くない。
 九八年十月の「金融再生国会」で、小渕政権は「貸し渋り対策大綱」を決定した。政府系金融機関の新たな融資枠二十兆円の設定、全国の信用保証協会の補助金の積み増しなど、計四十兆円である。この措置によって、貸しはがしに苦しむ中小零細企業の倒産は一時大きく減少した。
 ところが銀行はこの「貸し渋り対策」を、自分たちの資金回収=貸しはがし促進のために活用した。融資資金を回収する代わりに、融資先にこの制度を利用させた。資金繰りに苦しむ中小企業経営者に代わって、全国の自治体窓口で銀行自身が無担保信用保証枠の申請書類を数十件もまとめて代行申請していたのである。申請者の実に三分の二が金融機関であった(朝日新聞98年10月16日)。
 すなわち、中小企業に資金を流すためには直接、政府系金融機関を強化すれば良いのであり、さらに銀行による猛烈な貸しはがしを防ぐための、債務のリスケジューリングを行えば良いのである。銀行に巨額の公的資金を投入する必要はない。
 また、利潤追求を目的としない地域の協同組織金融機関としての信用金庫・信用組合を、行政が保護し支援しなければならない。ところが小泉政権は全く逆に、利潤追求組織としての私的大銀行と全く同じ「厳格な査定」を信金・信組に機械的に適用し、経営の安定しない中小企業へのフレキシブルな融資を否定し、信金・信組もろとも無数の中小企業を破綻に追いやっているのである。
 個人が最も大きな資金を必要とするのは、家の購入である。小泉政権は低金利・長期の住宅資金融資を行ってきた住宅金融公庫を解体し、私的大銀行の利潤追求のための住宅ローンに変えようとしている。住宅金融公庫の解体を許さないのは当然だが、持ち家政策を根本的に転換し、良質な公営住宅によって居住の権利を保障する政策に転換すれば、個人が多額の住宅資金を必要とすることもない。
 学資や老後の介護費用などについても同様である。国際的には奨学金は通常、返済不要が常識であり、ヨーロッパでは、大学の授業料も無償であるところが多いのである。すなわち、居住、医療、教育など基本的人権にかかわる社会的サービスに対する公的責任を強化していくことによって、個人が多額の資金を私的大銀行から利子を負担して借入る必要はなくなるのである。
 求められているのは、経済社会に破壊的暴力を振るう投機機関と化した私的金融資本から不良債権の重圧を取り除いて救済することではない。トービン税を実現することなどによって、金融資本の破壊的暴力としての投機による利潤追求を徹底的に規制することである。
 過剰債務に苦しむ大企業は、銀行と同様に経営責任を徹底的に問いつつ債務のリスケジュールを行い、産業構造も含めた社会のあり方を根本的に転換する中で、再編あるいは解体の方向性を確立しなければならない。
 めざすべきなのは、居住、医療、教育などの基本的人権にかかわる公共サービスや、ヨーロッパ並みの無期限の失業保障や失業扶助、そして新たな雇用を、社会が責任を持って保障する体制である。金子が不良債権処理のために銀行に投入せよという数十兆円の公的資金は、そのような社会にむけて根本的に転換するのための原資として、積極的に使われるだろう。
 中小企業同友会は、「社会的に要請されている望ましい分野」に資金が「円滑に供給」されているかどうかを定期的に調査し金融機関の「公共性」を確保することを監督機関に義務づける「金融アセスメント法」の制定を求める運動を全国で展開している(山口義行『誰のための金融再生か――不良債権処理の非常識』ちくま新書)。巨大金融資本にのみ奉仕する今日の金融政策の変更を求めるこのような運動も当面、非常に重要である。

反グローバリゼーション運動へ

 現在、労働運動や市民運動に求められているのは、世界でますます大きなうねりとなりつつある反グローバリゼーション運動との国際的連帯を強化しつつ、新自由主義に反対し、労働者人民の生活に対する社会の公的責任の強化を求める力強い大衆運動を作り出すことである。
 大量失業と野宿者の激増、過労自殺と介護殺人が多発するような、むき出しの新自由主義的な社会のあり方から、根本的に転換しなければならない。小泉=竹中=木村=金子の主張する公的資金投入による不良債権処理の加速は、今日の社会的危機と生活破壊を促進する役割しか果たさない。
 九五年にバブル崩壊で破綻に直面した住専への公的資金投入が問題となった時、それに反対する大衆集会が各地で開かれ、「金融投機失敗のツケに税金を使うな」と叫ぶ市民の国会デモが何度も行われた。
 しかし現在、銀行への公的資金再投入に反対しているのは、議会内では日本共産党だけになっている。市民運動も労働運動も沈黙している。このような否定的状況作り出す上で、金子勝が果たした政治的責任は大きい。
(12月2日 高島義一)

(「金融機関の無償国有化と労働者管理を」というわれわれのスローガンとの関係は、紙数の関係で省略した。本紙98年10月26日、11月2日、11月9日号に連載した「銀行救済――六十兆円投入が意味するもの」を参照してほしい)。

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