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国際社会では時折、中国の崩壊論が出てくる。その根拠は極めて単純で、中国は多くの深刻な問題点を抱えているためである。確かに、中国経済は多くの問題を抱えている。おそらく中国で問題点を見つけるのは難しくない。しかも、中国の問題点は極めて複雑である。それは二種類の問題点が混在していることによる。一つ目は、中国は発展途上国であり、東南アジアやラテンアメリカと同じような経済、社会、政治問題を抱えているということである。例えば、「三農」(農業、農村、農民)問題、貧困問題、失業問題、所得格差問題、法制度の不備、市場経済の歪み、腐敗問題などがこれに該当する。もう一つは、経済移行期国家の問題点である。このような問題点は、計画経済から市場経済へと移行する国々と似ており、国有企業・国有銀行の問題、計画管理、政府の許認可制度、行政システム、法律などの問題がこれに属する。
このため、中国では、発展途上国と経済移行期国家両方の問題が錯綜している。さらに、中国は13億の人口と広い国土を有しているため、何でもすぐに世界一になってしまう。不良債権の規模は世界一で、失業者、レイオフされた者、所得格差も世界一である。たとえ世界一でなくても、最も多い国の一つに挙げられる。
中国の問題点の難しさが分かれば、これらの問題を短期的には解決することができず、長い時間を費やさねばならないことが分かる。中国の改革はすでに20年を経過したが、もし50年で問題を解決することができれば、数百年をかけて市場経済を構築した欧米に比べ優秀であると言えるだろう。
問題解決に長期的に取り組んで行く心構えがあれば、中国にとってチャンスはどこにあるのか、なぜ中国は比較的平穏な改革と成長を実現できたのかなど、問題点を冷静に観察、分析することができる。中国経済の問題点を探すのは難しくない。逆に、なぜこれほど深刻な問題を抱えていても崩壊せず、しかも近い将来も崩壊する様子なく高成長を続けられるのか、という問題に答える方が難しい。また、問題解決の糸口はどこにあるか、という点も重要である。海外の研究者は「中国は問題を抱えている」というところで研究を終わらせても構わないが、中国の経済学者は問題解決の糸口を探さねばならない。中国の問題は我々自身の問題なのである。
中国の抱えている2種類の問題、すなわち発展途上国の問題点と経済移行期国家の問題点が交錯することによる特殊性は、問題を難しくする反面、中国の平穏な改革と経済成長を支えてきた。
ロシアや東欧などの移行期国家は、改革の当初から工業化と国有化の水準が高く、国有企業の従業員数は全人口の90%を占め、すべての人々が社会福祉を享受していた。しかし、中国の状況は違っていた。
改革当初、中国の人口の80%は農業に従事しており、基本的に中国は農業社会であった。当時、中国の一人あたりGDPは100ドル前後に過ぎず、社会福祉を享受していた人口も20%以下であった。つまり、中国で社会主義の恩恵を受けていたのは20%以下の人々で、農村人口は本当の意味での社会福祉を受けたことがなかったのである。
中国は、高度化した工業、国有経済がなかったため、改革を相対的に実施しやすく、所得の増加や経済成長も達成しやすく、発展の過程において体制改革を実施することができた。また、政府の政策による改革への後押しもあり、中国は「問題を抱えながら成長し、成長していく中で問題を解決する」ことを可能にした。以下では、いくつかの問題点を分析することにより、中国が問題を抱えながら成長できた背景を説明する。
もちろん、中国が抱える問題点は、一夜にして解決可能なものではないため、危機の可能性は常に存在する。そして、中国は問題を抱えていても崩壊しなかったため、「崩壊論」が常に出てくるのである。我々中国人の仕事は、「崩壊論」を宣伝して回るのではなく、中国が崩壊しないように改革を推進させることである。
課題1〜所得格差〜
中国の所得格差はますます拡大している。そして、都市部でも国有企業の労働者がレイオフされ、社会貧困化の問題が露呈し、犯罪率の上昇など社会の不安定化の兆候が出ている。
経済学では、貧困の概念として「絶対的貧困化」と「相対的貧困化」の2つがある。
「絶対的貧困化」は動態的な指標で、ある人の現在の所得がどんなに高くても、実質的には過去の所得水準より低くなっていることである。ここで注意しなければならないのは、絶対的貧困化は「絶対貧困」ではないということである。「絶対貧困」は一部の人の所得が基本的な需要を満たさない状況を指すものである。これに対し、「絶対的貧困化」は、たとえ高所得者であっても、現在の所得が過去より低ければ、経済学では絶対的貧困化が発生したと見なされるのである。
「相対的貧困化」も動態的な指標で、ある人の絶対的な所得水準は高まっているものの、社会全体において他の人と比べると、その所得の伸び率が低く、高所得者との格差が拡大することを指す。中国では、多くの人がこの状況におかれている。農民や労働者は、近年、生活水準が向上してはいるが、ほかに所得の増加率がもっと速い人がいるため、相対的に自分たちが貧しいと感じている。
ある意味で、相対的貧困化は、改革と発展にとって避けて通れない段階である。改革の目標の一つは、過去の絶対的平等主義を改めることであり、所得格差の拡大は必然的な結果なのである。海外の人が中国の所得格差の拡大を批判する時、これが中国が改革を実施した必然的な結果の一つであることをおそらく考えてはいない。格差の拡大は普通であるが、格差が大きすぎると調整する必要がある。しかし、所得格差の拡大という過程そのものを否定してはならない。多くの人が格差の拡大を嫌っているのは、汚職・腐敗を格差拡大の根源と考えているからである。ただ、中国の場合、汚職・腐敗をすべて撲滅しても、現在の発展や改革の段階において所得格差の拡大は避けられない。もちろん、われわれは、貧困化の加速に歯止めをかける措置をとらねばならない。相続税や所得税の累進課税を検討して金持ちの人に少し多目の税金を払ってもらい、社会に貢献してもらったり、貧困層に対し委譲交付を実施したりすることなどが特に重要である。
相対的貧困化よりも注意しなければならないのは、「絶対的貧困化」の問題である。経済学では、ある社会において大多数の民衆の絶対的所得水準が常に上昇し、広範囲の絶対的貧困化が発生しなければ、社会の基本的な安定は維持される。ただ、これは純粋に経済要因のみで考慮した場合であり、腐敗や公正などの他の要因が加われば問題は複雑になる。
現在、中国社会の各階層において、農民は最も苦しく貧しい階層である。しかし、彼らの所得の絶対水準は必ずしも低下しているとは限らない。農産品価格の下落により農民の所得の伸び率は低下し、ここ数年で純粋な農民所得は若干減少したが、多くの農家では、出稼ぎ者さえいれば非農業所得、ひいては全体の所得が増えているのである。
それでは、中国で所得の低下が最も大きいのはどのような人であろうか。それは、都市部のレイオフされた労働者のうち、まだ仕事が見つからない人たちである。
過去数年間、中国では2500万人の国有企業の労働者がレイオフされた。大手の集団所有制企業のレイオフされた者も加えると、その数は4000万人にも達する。しかし、中国では大量のレイオフによる大きな動乱は起きていない。その背景には、経済が持続的に成長しているため、一部の人は再就職でき、政府もある程度の社会保障対策を打ったことがある。もう一つの重要な要因は、これらの人々が感じている絶対的貧困化の度合いが彼らの所得の変化ほど激しくないということである。
30歳台のレイオフされた労働者は、たいてい解決方法を見つけることができるが、40、50歳以上の人たちはなかなか難しい。しかし、40、50歳台の年代の人たちは、60年の大飢饉を経験しており、文化大革命の時も農村に下放された経験をもち、物不足の時代を知っている世代である。時代背景が違うため、そこから得られた主観的な感覚も違っている。つまり、一部の人は収入が以前の1000元から500元に減ったとしても、全体の生活水準は20年前に比べ向上しているため、現実に対する反発がそれほど強くないのである。
現在の中国では、絶対的貧困化が存在していないのではなく、ただその規模がまだ小さく、社会全体の反発も深刻な状態にはなっていないだけなのである。
過去に実施された一種の「早期退職制度」は良い方法ではないと考える。私の提案は、国有企業の45歳以上の従業員について、政府が彼らの社会保険料を全部負担することである。そうすれば、この人たちの人件費は30〜40%安くなるため、再就職しやすくなる。再就職できない人については、政府は彼らの基本的な生活の維持と将来の安定(年をとれば養ってもらい、病気になれば面倒をみてもらう)を保証するための失業給付を行う。このような政府支出により、歴史的な問題を一度で解決することができ、問題を一世代だけにとどまらせることができるのである。
課題2〜都市と農村の格差〜
都市と農村の格差は、「三農」(農業、農村、農民)問題に反映されている。「三農」問題の根源は、中国の限られた土地に多すぎる人口、しかも大半が農業人口が集中しているところにある。
中国の耕地は国土の7%を占めるにすぎない。近代的な農業技術、農薬を使えば、それほど多くの労働力は要らないため、中国の膨大な農民の生産活動を支えることができない。中国の農業が現在、集約的生産を実施することができないのは、技術を持っていないのではなく、過剰の人口が存在しているため、土地が農民の最後の社会保障機能の役割を果たしているからである。
中国のWTO加盟により、もはや農業で農民の収入を増やすことは難しくなった。このため、農民問題の突破口は農民でなくなることである。これは中国の数千年にわたった問題であるが、今は解決のチャンスが巡ってきた。ここ2年間、農民の収入が伸びているのは、農民が農業から転出し、非農業産業で新たな雇用機会を得たためである。
この挑戦はどの位の規模であろうか。郷鎮企業と都市部に移転した農業人口は、1.5〜2億人に上ると推計される。農業を主とする農村労働力は4億人が残る。この4億人は、今後も転出すると考える。人口の増加が加わると、今後40〜50年間、4〜5億人の農民が農業から転出しよう。これはすなわち中国の工業化と都市化の過程である。もし中国がより多くの非農業の雇用機会を作り出すことができれば、農民は基本的に農業から離れることができる。これにはおそらく40〜50年がかかる。
このような状況の中、中国には世界の製造センターになるという選択肢しか残されていない。また、世界の製造センターになるという見方は、中国を見下すことであり、中国は科学技術センターになるべきと考える人もいる。しかし、たとえ中国が科学技術センターになったとしても、製造センターでなければならない。そうでなければ、数億人の農民は都市で何をすればよいのか。それはエンジニアではなく、やはり製造業である。おそらく全世界の製造業が中国に移転しても、中国の労働力をすべて吸収することはできない。委託加工によって、中国は地代や税収を獲得し、農民の収入が増えることで農民の死活問題は解決される。
このため、中央政府は決して労働集約型産業を排除してはならない。企業は農民の就職問題を考える必要がなく、事業の営利性だけ考えればよいが、農民の問題は最終的に中央政府の問題になる。産業高度化という提案は考え直すべきである。産業構造の拡充の方が良い。高いレベルの産業を発展しても、低いレベルの産業は捨ててはならず、全部中国に残した方がよい。そうすれば産業の高度化を通じてより多くの人の就職問題を解決することができる。
課題3〜地域格差〜
中国の地域格差は深刻であるが、中国の崩壊の原因とはならない。
第一に、現在の中国では分裂の動きがない。今は、おそらく中国の歴史上、最も統一が望まれている時期である。後発地域は先進地域の資金や技術、市場を利用したいと考えている一方、先進地域は後発地域の労働力と市場を利用しようとしている。市場メカニズムの働きにより、各地域の市場は能動的あるいは受動的に一体化するのである。二年前、香港は中国大陸との経済開発区の共同開発に興味を示さなかったが、現在は積極的になっていることがその好例である。
また、中国の内陸部と沿海地域の間の人口移動は、地域格差の縮小を促進する。将来、中国の地域格差が縮小することがあれば、人口移動がきっと大きな役割を果たしているに違いない。沿海地域の経済は、出稼ぎ労働者によって創出された富(いずれ内陸部へと還流する)を除くと、GNPの規模はきっとGDPよりも小さくなる。逆に、内陸部は、出稼ぎ労働者による富(沿海からの流入)を加えると、GNPは増える。
西部開発の問題についても、政府の政策を正しく認識しなければならない。一部の人は、西部の高速道路を走る車が少なく、深セン、上海の高速道路を走る車が多いことを理由に、西部開発の資金の効率が低いと主張する。その意味は、西部の道路建設に投入した資金の収益率が低いため、政府は高い収益率の地域に資金を投入すべきであるということである。
しかし、本来、収益率の高い沿海地域の道路建設は民間投資に任せ、政府資金は収益率が低く民間投資が行われないところに投入すべきである。政府資金の目的は、収益最大化を追求するのではなく、公共財を提供し、公平な社会を作り出すことにある。政府は西部のインフラ整備に投資し、西部の投資環境を改善することを通じて、市場により多い選択肢を与えるとともに政府の責任を果たし、国民全員に公共施設を提供することができる。
もちろん、政府の投入があっても、青海や甘粛などの内陸部の省の経済は依然として沿海地域の省のような規模には追いつくことができず、格差は引き続き存在することになる。しかし、このような格差は、我々の力だけで解消できるものではない。我々が解消できる地域格差は、一人当たり所得という意味での格差だけである。多くの人が先進地域のGDPと後発地域のGDPを分かち合えば、一人当たり所得は均等になる。しかし、かつて一国のすべての地域の経済規模あるいは絶対的な発展水準の均等を実現した大陸国家はないのである。
輸送コストや地理的位置付けは、重要な経済発展の要因である。中国全体の経済発展を図る時には、この点を考えねばならない。解決できない世界の南北問題と違い、中国の東西格差問題は、一つの国の中でのことであり、解決可能である。南北問題は国と国との間の問題であり、国際間の自由な人口移動が難しいためである(「人材」は移動可能だが、労働者はビザ発行を拒否される)。
課題4〜金融問題〜
海外で中国の金融問題について議論する時、主に2つの対象がある。一つは中国の銀行が抱える不良債権で、もう一つは政府債務である。しかし、実際には、この2つの状況は異なる。
最近発表された数字によれば、中国の国有銀行の不良債権は対GDP比で26〜27%である。しかし、資産管理会社に移管された1.4兆元を入れれば(回収された部分を除くと1.3兆元)、その比率は40%にもなる。中国が抱えている銀行の不良債権の規模は、おそらく世界最大であると考えられる。日本のエコノミストによると、銀行の不良債権に悩んでいる日本でさえ、不良債権は対GDP比で6%〜11%である。
興味深いのは、これほど多くの不良債権を抱えているにもかかわらず、中国の銀行は経営を続けており、取り付け騒ぎも起きていないばかりか、銀行預金は増え続けていることである。現在、中国の銀行預金の規模はすでに8兆元を超えている。さらに、中国は年率7〜8%の経済成長を維持しており、金融危機は発生していない。これらを考慮すると、中国の金融問題については、より広い視野で観察しなければならない。
中国の銀行が抱える不良債権は、ある意味で国債である。なぜなら、国有銀行に対する国有企業の債務には、政府の介入によって形成されたものが多く含まれているからである。国有企業の運営を維持するために国有企業に与えた補填である。このため、これは「準国債」である。この点については、海外の分析も経済理論による分析も賛成している。このため、最終的には国が責任を負うことになる。では、この「準国債」の規模は一体どのくらいであるのか。次にこのことを見てみる。
発展途上国の中でも中国は政府債務が最も低い国の一つである。積極的な財政政策(年間1500億元の特殊国債発行)が4年間続いても、国債の対GDP比率は16%に過ぎない。この数字は、世界で最も低い水準である。欧州連合条約(マーストリヒト条約)では、ユーロ圏への参加基準の一つとして、政府債務の対GDP比が60%を超えないことを要求しているが、イタリアの政府債務の対GDP比は90%にも達している。日本はさらにひどく、140%にも上っている。
中国において、銀行の不良債権が多く、政府債務が少ないのには歴史的な背景がある。80年代半ば以降、中国は「撥改貸」(企業資金を財政供与から銀行貸出に変える)政策を実施したため、政府は国有企業に資金を供与しなくなり、初期投資や補助金がすべて銀行融資で賄われるようになった。一方、中国は、長い間供給不足の経済状況が続いていたため、国債発行などを通じた経済に対する財政の調節機能が働いていなかった。この結果、国債発行残高の対GDP比は低くなっているのである。
銀行の不良債権と国債を合わせても、中国の債務規模は相対的にそれほど大きくない。海外からの借り入れを加えてみよう。アジア通貨・金融危機の教訓から、巨額の海外からの借り入れ(韓国の短期の借入額の対GDP比は約40%、タイは30%)は金融危機を誘発する大きな原因である。中国の海外からの借入額の対GDP比は15%と比較的低く、そのうち短期商業債務の比率は1%に過ぎない。
銀行の不良債権、政府債務、海外からの借り入れはすべて国の債務であり、最終的には社会全体で償還されることになる。3つの合計は、中国のGDPの60〜70%に相当する。長期債務を除くと57〜58%になる。この水準は、一応は警戒水域内にあり、コントロール可能な水準でもある。
このため、中国は多くの銀行が不良債権を抱えていても、それが大きな金融リスクにはならずに済んだのである。もし、中国で金融危機が発生すれば、それはアジア通貨・金融危機のような外部リスクによるものではなく、内部リスクによって誘発されるであろう。すなわち、銀行が巨額の不良債権を抱えているため、融資に慎重にならざるを得ず、クレジットクランチ(貸し渋り)が発生してしまうのである。実際、これが96年以降のデフレの要因にもなっている。
対外収支のリスクに関しては、経済学の観点から見ると、中国は保守的過ぎる。中国の貿易黒字は年間200億ドルを超え、経常収支が黒字を計上する一方、資本収支でも海外からの直接投資が増え続けている。この結果、外貨準備は増え続け、すでに2500億ドルにも達している。経済学の観点から見ると、発展途上国は資金不足国であるため、これほど多額の外貨準備を抱えていることは理屈には合わない。多額の外貨準備は、金融面での保険の役割を果たしているだけである。
中国の多くの金融問題は、体制面の要因によるものであり、これが今後の改革の重要なポイントである。
何よりもまず、中国の金融システム改革が大幅に遅れている。中国は、ほぼすべての競争分野を民間に開放したが、銀行セクターだけは政府の厳しい統制下に置かれている。一方、国有企業は徹底的な改革が行われておらず、依然として銀行の主要融資先となっている。そのため、生産と雇用を創出するセクターに資金が流れず、生産しないセクターが過大な金融資源を占有しているのである。
現在、中国の非国有企業はGDPの約70%を生み出してはいるが、融資の30%しか受けていない。一方で、国有企業はGDPの30%しか生み出していないのに、70%の金融資源を使っているのである。そして両者の差が40%の不良債権に反映されているのである。このような非合理的な資源配分システムは、資金の配分の歪みや非効率性をもたらしている。また、資本市場は、当初から国有企業のための資金調達の場であり、民間企業には資金調達の手段を提供していないのである。
このような多くの問題を抱え、中国の金融改革をどのように進めていけばよいのであろうか。国有銀行の不良債権の増加を抑えながら、経済成長を維持する一方、金融資産を活用する新たな成長分野を探せば、現在の不良債権を減らすことはそれほど難しくないと考えられる。もし、銀行の不良債権の対GDP比率を現在の水準に維持し、経済成長率を年率8%に維持することができれば、不良債権の対GDP比率は7年で半減し、10年で7割低下することになる。この計算から分かるように、「債転株」などで不良債権問題を解決するのではなく、金融資産の配分についての対策を考えるべきである。不良債権の新規発生を抑えるようにフローの面に着手すれば、金融問題解決の突破口を開くことができるのである。
(出所)樊綱氏からの寄稿
2002年11月5日 中国の経済改革欄掲載 「農業問題の根本的解決策」
2001年10月22日 中国の経済改革欄掲載 「なぜ中国は「金融危機」にならなかったのか」
2002年9月9日 中国の産業と企業欄掲載 「「産業構造の充実化」を目指せ」
も併せてご覧ください。
樊綱 Fan Gang
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中国経済改革研究基金会国民経済研究所所長。1953年北京生まれ。文化大革命中における農村への「下放」生活を経て、78年に河北大学経済学部に入学。82年に中国社会科学院の大学院に進み、88年に経済学博士号を取得。その間、米国の国民経済研究所(NBER)とハーバード大学に留学し、制度分析をはじめ最先端の経済理論を学ぶ。中国社会科学院研究員、同大学院教授を経て、現職。代表作は公共選択の理論を中国の移行期経済の分析に応用した『漸進改革的政治経済学分析』(上海遠東出版社、1996年)。ポスト文革世代をリードする経済学者の一人。