現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 森田実氏:2002.12.10 日本再生への道――いま何が必要か 【2002.10.29 労使関係研究協会における講演録】 − その1 − 投稿者 あっしら 日時 2002 年 12 月 17 日 17:56:30)
「不良債権処理の加速化」とは何か
榊原英資さんはかつて大蔵省の財務官を務めました。その当時「大蔵省の天皇」と言われていた超実力者です。榊原さんは退任後、慶応義塾大学の教授になり、最近かなり自由に発言しているのですが、先日ケーブルテレビで「今度のこと(「不良債権処理加速化」の約束)は竹中クーデターだ」と発言しました。小泉首相が先の日米首脳会談のために訪米した折り、首脳会談に先だってハーバード大学の経済学者をはじめとしていろいろな要人との会談をセットし、そのあげくで日米首脳会談での「不良債権処理の加速化」の対米公約にもっていったのは竹中氏の狙いどおりだったというのです。榊原さんはアメリカとの関係が深い人です。ブッシュ政権の意向について正確な情報を持っていたのでしょう。竹中人脈を通じた事前折衝によって米国政府の真意がどこにあるかを知った小泉首相は、不良債権処理の加速化を自ら積極的にブッシュ大統領に約束したというのです。その結果が9月末の内閣改造における柳沢金融担当相の更迭、竹中平蔵経済財政担当相の金融担当相兼任につながるわけです。
金融・財政・経済全般について全権を握った竹中氏は、不良債権処理加速化に向かって猛進します。銀行経営者に責任を取ってもらい銀行を国有化するというのですから、これは銀行経営者にとっては驚天動地のことです。今までの自己資本率の計算方法はおかしい。アメリカ並みに変える。そうなると自己資本比率で8%以下になり、国際マーケットから排除されて国際取引ができなくなる。それを阻止するために公的資金を導入する。公的資金を導入する以上、経営者には真っ先に責任を取ってもらう――こういう強硬案を木村剛さんと一緒につくるんですね。木村さんは元日銀マンで今はコンサルタント会社の社長をやっている人です。黒髪のオールバックで、めがね越しに上目づかいでぎょろりと人を見る。先日、岩見隆夫さんが毎日新聞のコラムに強くて冷たそうでな怖い感じの人だと書いていましたが、まさにそのような印象の人です。竹中・木村ラインででてきた強硬な金融改革案をめぐって、今、金融庁と銀行業界との間で綱引きが行われています。自民党も独自案をつくっていますから、小泉首相がこれをどう調整するか、注目を集めています。水と油のカクテルをどうつくるかというような話ですから、これは大変です。関係者は〃おそらくうまくまとまらないのではないか。具体的なことはさらに検討しようと先送りになるのではないか〃と観測しています。
これはかなり衝撃的なことです。といいますのは、銀行側は〃ほんとうにそうするならば裁判も辞さず〃という覚悟を決めているともいわれています。銀行側の言い分は、バブル経済のときのトップはすでに辞めている。その次の人たちも辞め、その後の銀行合併にともなって辞めた人もいる。いまのトップはバブル時代からみると3代目か4代目になっている。今、バブル経済のときに中堅クラスだった人がトップに立っているわけです。公的資金を投入する以上、その人たちもまた首を切られる――これにはかなり抵抗感が強いようです。しかし、私は、銀行側は最終的には政治の意向に従わざるを得ないと思います。ただ、従った結果、何が起こるかという。銀行の人たちは、〃これからは徹底的な貸し剥がしをします〃とはっきり言っています。貸し渋りというのは昔の話でこれからは貸し剥がしをするというのです。
実は、これはほとんどニュースにはならなかったのですが、去年の夏、この貸し剥がしが原因でかなりの人が自殺したといわれています。それはこういうことです。新生銀行は去年6月末、貸し手先の企業に対してただちに全額返済をするよう求めました。新たな融資先がなければ借り手の企業側はこの求めに応じられませんから、パニックに陥って自殺した人が何人も出たのです。不思議なことにこれはほとんど表に出ませんでした。さらに新生銀行は〃どうしても返せないならば利息を上げる〃という第2弾を放ちます。これに対して借り手の人たちは〃何とかなりませんか〃と弁護士に相談に行ったのですが、弁護士としても何とかなる話ではないのです。そこで、かなりの弁護士がこういう事実があることをひそかにマスコミに知らせました。大マスコミは無視しましたが幾つかの週刊誌が取り上げ、その週刊誌記事のコピーが国会議員に配られてました。このとき民主党の国会対策委員会が八城新生銀行社長を国会に参考人招致するよう求めました。ここで初めてこの件が表沙汰になりました。そこで新生銀行は謝ります。9月初めに〃やり方が乱暴だった〃という謝罪声明を出して乱暴な企業いじめをトーンダウンした。国会で問題になって初めてトーンダウンしたのです。最近野党の存在感は希薄になっていますが、この時は野党の存在が大切であることを示しました。この新生銀行のやり方は昨年の夏、中小零細企業を震撼させました。そこで〃(昨年)秋の主テーマは経済問題だ。経済政策について小泉内閣を追及しなければならない〃ということになった。そのときに起こったのが9・11同時多発テロでした。これによって世界レベルで激変が起こりました。日本の経済問題は主たるテーマにならなくなりました。
そして今年9月の日朝首脳会談。この会談について北朝鮮は中国を通じて日本に持ちかけてきた―― 今これはほとんどの共通認識になっています。アメリカもそのように捉えているようです。たしかにカナダ・サミットにおいて金大中韓国大統領やプーチン露大統領から小泉さんに〃トップ同士の話し合いをしてください〃という話があったという情報は伝えられていましたが、今回の日朝首脳会談を仲立ちしたのは中国だというのが共通認識になっています。それだけにアメリカは神経質になっていると言われています。先頃、江沢民主席がテキサスの牧場にまで行ってブッシュ大統領と米中首脳会議を行い、米中協力を誓い合いました。これによって米中間の雰囲気はかなり変わったと思いますが、中国を通じて日朝首脳会談の話をつけたことについてアメリカはかなり神経質になっていたようです。
日朝首脳会談を持ちかけるに当たって中国側は金正日総書記にこう言ったという非公式情報があります。「ごめんなさいと頭を下げなさい。日本人はごめんなさいと言えばすべて許す。その一言ですべてが解決する」――これが中国が金正日に授けた作戦だったというのです。北朝鮮側はそのとおりに動き、日朝首脳会談において拉致の事実を認めて謝った。この表明を受けたうえで小泉首相は「平壌宣言」にサインしたのです。拉致問題の謝罪が日朝首脳会談のキーワードでした。
日朝交渉をめぐる日米間の行き違いが、日本政府が米国政府に不良債権処理の加速化を約束することによって沈静化したということは、ブッシュ政権がいかに不良債権処理問題に執念を燃やし続けているかを現しています。ブッシュ政権誕生以後の日米首脳会談の第一回目は昨年3月のワシントンにおける森前首相との会談でした。その翌月4月に小泉政権が誕生し、以後、2001年6月末、9月末(ともにワシントン)、10月中旬(上海、APEC)、2002年2月18日(東京)、6月(カナダ・カナススキ・サミット)、そして、ことし9月12日(ニューヨーク)と頻繁に日米首脳会談が行われてきましたが、そこでつねに確認されたことは、昨年3月の日米首脳会談で森首相が約束し対米公約となった不良債権の早期処理の実行でした。そして、この9月12日の日米首脳会談において小泉首相はその加速化を約束したのです。この「加速化」は日本の国内ではあまり議論されていませんでした。少なくとも小泉首相は国内ではこの方針を示していませんでした。小泉内閣の行動は対米公約から始まるのです。
私は、銀行が主催する講演会に招かれることがあります。かつては私ごときの講演会に銀行の大幹部が顔を出すことはありませんでした。せいぜい中堅クラスが出てくる程度でした。ところが最近は執行委員の人たちが顔を見せるようになりました。しかも頭取の片腕ぐらいの地位にいる人たちから「昨今の情勢について個別にお話しを伺いたい。講演の前後に30分程度、時間を取っていただけませんか」という要請があります。そのときにかれらの口から出てくるのは、私流に言い直しますと、〃いま行われていることはウォール街のハゲタカファンドによる日本の銀行の乗っ取りです〃ということです。〃その乗っ取り戦略はデフレ経済のもとで不良債権処理の加速化を強制することです。これに対して我々は自らを守るためには大型合併によってメガバンクをつくるしか道はない〃。もう一つは、〃貸し渋り、貸し剥がしの責任は政府・金融庁にある〃と言うのです。
米国金融資本はブッシュ政権を通じて日本の乗っ取りを狙っていることは、日本の銀行幹部はかなり以前から言っていました。ブッシュ政権下のアメリカはクリントン政権時代のアメリカとは違います。
クリントン政権が対日関係において絶えず気にしていたことの一つは、日本が保有する米財務証券を日本がどう取り扱うかでした。日本が保有する米財務証券を日本が売り払ったら長期金利は上昇し、米国経済は大変なことになります。そこでサマーズ財務相らは日本の金融財政政策を日常的に監視したのです。私はその当時、複数の関係者から〃サマーズからどうなっているのかと詰問されたことがたびたびあります〃という証言を得ています。クリントン政権はそのような目で日本を監視していました。ところがブッシュ政権は、〃丸ごと日本をいただこう〃と狙っている米国金融資本と連動して対日戦略を実行しています。これに小泉政権は従っている。これは日本の国益にとって容易ならざる事態です。
「改革」が陥りがちな落とし穴/B>
小泉首相は「構造改革」を唱えることによって国民的な支持を得ました。しかし、これは私が一貫して言い続けていることですが、急ぎ過ぎの改革は危険です。また、政治家というものは往々にして歴史に名前を残したいために、改革が必要な時、急進的な改革に走る傾向があります。その極端な例が革命です。そして悲劇が起こるのです。例えば、フランス革命におけるロベスピエール、ロシア革命におけるレーニン、スターリン、中国革命における毛沢東(特に晩年の文化大革命)、ナチス・ドイツのヒットラー等々、これらは改革を急ぎ過ぎて国民社会に非常な不幸をもたらしました。人類はこういう間違いを繰り返してきた。もう少しゆっくり改革すべきだと主張する人たちは日和見主義者などと非難されることが多いのですが、しかし、急ぎ過ぎの改革は絶えず国民を不幸に陥れてきました。今の日本も経済社会システムの改革が必要なことは確かですが、それは漸進的に行われるべきです。急ぎ過ぎの改革は国民を幸福にはしません。
もう一つ、政治家は前任者と違うことをしたがります。それも違いをできるかぎり際だたせたいと思うものです。例えば、村山内閣が退陣し橋本内閣が生まれました。橋本内閣の初期は自・社・さきがけ政権ですから、率直に言って橋本さんも慎重でした。ところが、1996年10月の総選挙で勝利を収め、敗北した新進党がその後分解するに及んで、橋本さんは俄然強気になりました。そして財政再建を主とする5大改革 ――のちに教育改革を加えて6大改革――に向かって突っ走りました。しかし、橋本改革は日本の景気を下落させてしまいました。世界中から「日本は流動性のわなに落ちた」と言われるようになりました。「流動性のわな」というのは景気が悪化して金利を限界まで下げても景気が浮揚しない状態をさす経済学の概念です。ケインズは『雇用・利子・貨幣の一般理論』の15章の流動性の項で第一次世界大戦後の中部ヨーロッパとロシアにおいていくら金利を下げても景気が動かないという異常な経済現象が起こったと書いています。ケインズの後継者たちは、これは経済学上意味ある概念だとして「リクイディティー・トラップ」(流動性のわな)と名づけたのです。
不景気の中で橋本さんは財政再建のため、消費税を3%から5%に引き上げた上、3兆円の医療費の値上げという増税政策をとりました。その当時、アメリカやイギリスの新聞は「橋本は第二のフーバー」だと評しました。1930年の夏、アメリカ大統領フーバーは景気が悪化している時にフーバーは増税政策をとったのです。どこの国でも財政当局は国家財政さえよければ経済はうまくいくと考えがちなのです。このフーバーの増税政策によってアメリカ経済はさらに下落し、失業者は激増して米国社会は大混乱に陥りました。最大の経済大国アメリカの急激な沈没が世界を大不況に陥れました。このアメリカの危機を救うために立ち上がったのがのがルーズベルトでした。その政策がのニューディル政策です。
橋本さんは、その後、この時の対応を反省しています。〃経済官庁から景気は上向いているという報告を受けていたから財政再建のための改革に踏み切った。景気が悪いということであれば改革に踏み切らなかった〃という趣旨のことを、橋本さんはその後、報道機関のインタビューで言っています。景気が悪いときに、景気対策を講じないまま構造改革を行うことは景気をさらに落とすことを橋本さんは知っていたのです。
橋本さんの跡を継いだ小渕さんは日本を「流動性のわな」から救出するために景気回復策を講ずるのですが、就任後1年で病魔に倒れました。今、日本経済がこんなことになるなら小渕さんにもう2年ぐらいやってもらえればよかったと小渕さんを惜しむ声が多のは当然のことだと思います。
後継の森さんは小渕路線の継承を表明しましたが、これは言葉だけでした。実際は緊縮財政路線に切り換えました。森さんも小泉さんも緊縮財政論者の福田赳夫さんの弟子です。森さんは口では小渕路線の継承を言いながら方向転換を図り、そして小泉さんは本格的な緊縮財政路線を歩み始めたのです。ここに小泉改革の大きな特徴があります。つまり、橋本さんは景気は上向いているという判断のもとに改革政策に入った。ところが小泉さんは「改革なくして景気回復なし」「痛みに耐えよう」と呼号し、いま最も必要なデフレ対策を講じないまま小泉流構造改革に猪突猛進している。私は〃これは日本の自殺的行動ではないか。改革はもっとゆっくりとすべきだ〃と主張してきましたが、最近、竹中大臣はハード・ランディングに踏み出しました。これは驚くべきことです。大変危険なことです。日本の経済社会システムは改革しなければなりませんが、それはあくまでソフト・ランディングでなければならない。繰り返しになりますが、今の日本に最も必要なことはデフレ克服です。そのためには土地税制をはじめとしてインフレ抑止のためにつくられている諸制度の抜本的な改正が必要だと思います。
日本社会の安定を守るために
日本の改革についてもう少し広げて論じてみたいと思います。私は、労働政策と福祉政策の大転換が必要ではないかと思っています。率直に言って、定年制は廃止してもよいのではないでしょうか。少子化の中で若年労働力がどんどん減っているわけですからね。もちろん、この不況下の就職難でただちの問題にはなり得ませんが、中長期的課題として検討するに値することだと私は思います。
中高年者の雇用確保はもちろん大きな問題ですが、最近、高卒者の就職難が深刻な問題になってきました。高卒者の就職率30%以下という地方もあります。先頃、ある地方の教育委員会に招かれて講演に行きました。ここ10年間ほど2年に一度の頻度でその教育委員会主催の講演に呼ばれてきたのですが、今回は「さよなら講演」でした。なぜ「さよなら講演」かといいますと、〃国が緊縮財政路線に入り、県からの補助が打ち切られたため、今後この種の活動はできなくなりました〃とのことでした。最近この種の話が多いのですが、この時、主催者側の方からこんな話が出ました。「就職できなった高卒者はこの土地を去っていずれかに消えていく。こんなことはかつてなかったことです。そして1カ月後ぐらいに『新宿でフリーターとして暮らしています』というはがき1枚が舞い込む。こんな例が増えています」というのです。
少し言い過ぎかもしれませんが、今、夜の新宿の一部分は闇の世界が支配する暗黒街になっています。日本のやくざと中国のやくざとがしのぎを削っているところです。その闇の世界に定職を得られない若者たちが吸収されていっているのです。先頃、弁護士の山田さんが毎日新聞社発行の『週刊エコノミスト』に〃アメリカでマフィアが食わしている人口は2万人、日本のやくざが食わしているのは30万人〃という趣旨のことを書いていましたが、定職を得られない若者たちが闇の世界に入っているのは大変危ないことです。
政府の第一義的な役割は、自国の領土を守り、国民の生命と財産を守ることにあります。要するに危機管理――国民が安心して毎日を送ることを保証するのが政府がなすべきことなのです。かのカール・マルクスは若い時に書いた「ユダヤ人問題に寄せて」という論文の中で「社会において最も大事なのは警察である」と言っています。カール・マルクスが共産主義者になる前に書いたことです。領土を守り、国民の生命と財産を守ることが政府の最大の責務であるは言うまでもありません。この基本的な問題がこれから議論の中心問題になってくると思います。
先日私は福島県いわき市に講演に行きました。台風でダイヤが乱れて上野駅に着いたのは深夜の12時少し前でした。改札口を出て浅草口へ向かったところ、通路が横たわったホームレスの人たちに占領されている。男性はその上をまたいでいましたが、普通の人、とくに女性は困っていました。東京駅でも新幹線の最終便で帰ってきますと、構内にホームレスの人たちがかなり増えていますね。この話を大阪の人に話したところ、「ホームレスの数では大阪は東京に負けませんよ。なぜかと言えば、石原さんがホームレスに厳しいから東京から大阪に逃げてくるんです。石原さんにもう少し優しくしてくださいと言いたい」と言っていました。ともかく、不況が深刻化するなかで社会不安が増してきました。
私は今緊急に行うべきは第一にデフレ克服だと思います。小泉さんの構造改革一本槍路線は日本を滅ぼす道だと私は思っています。
最近、私は週に3回ほど講演のために地方に赴いていますが、地方経済の冷え込みは非常に深刻です。80年代に大店法問題が出てきたとき、中央では〃それも時代の流れだ〃という捉え方が圧倒的でした。ところが大店法が施行された後、地方の町村にまで大型店舗ができ、それまで地元で根を張ってきた商店街は、後継者難という事情もありましたが、窮地に追い込まれました。家族経営の店の多くは廃業せざるを得なくなりました。ところが90年代の不況で大型店舗は地方から姿を消しています。つまり、大型店の進出と撤退という2段階を経て、地方経済は深刻な状態に陥っているのです。その結果、最近、地方に反小泉の声が出始めたのです。
今後、政局はどう動くか
今、国際情勢をめぐる焦眉の問題はイラク問題です。このイラク問題については両説があります。一つは米軍によるイラク攻撃は必至という見方です。これが多数意見です。これはアメリカは軍事力をもってフセイン政権を倒そうとしているという見方です。もう一つは、アメリカは、アメリカ主導の国連査察を通じて国内革命の基礎づくりを行おうとする。すなわちフセイン政権に弾圧されているシーア派の人たちを中心に反サダム・フセイン陣営を構築し、そこを拠点としてフセイン政権を打倒しようとしているという見方です。つまり、今すぐ軍事行動をとるか、国内革命をとるか、アメリカはこの両方にらみ戦略に立って対イラク戦略を練っているのです。
来年9月、自民党総裁選が行われます。小泉首相は再選に向けて自信満々のようですが、しかし、地方では著しい「小泉離れ」が起こっており、それを受けて、自民党議員の小泉支持派はいまや2割程度と言われています。小泉さんがこの苦境を脱するためには、自民党総裁選前に衆院解散・総選挙のカードを切るしか道はないと思います。小泉サイドとしては来春の統一地方選挙が終わった後にその時期を窺うという動きに出ると思うのですが、今朝あたりから自民党内に来年1月解散論が出始めたようです。自民党は先の統一補欠選挙で公明党とほとんど一体化しました。自民党から「自公党」に変わったと言ってもよいくらいです。この結果、公明党がたとえば民主党と組む可能性はほとんどなくなりました。そこで、鉄は熱いうちに打てとばかり、1月通常国会冒頭解散、2月総選挙を実施することによって、公明党・創価学会を自民党に内部化する――そういう考え方が自民党幹部の間で浮上し、その動きが始まっているというのです。そこには来年早々の選挙であれば民主党を粉砕できるという読みもあるというのです。小泉側近たちは、「小泉さんにはそのような考えはありません。イラク戦争が起これば選挙どころではなくなりますよ」と言っていますが、ともかく、いろいろなことが検討され始めているようです。
ただ、私は2003年の政局は大揺れになると思っています。一つはスキャンダルです。きのうテレビ東京は〃今、銀行の人たちはあきらめかけている〃という情報を流していましたけれど、バブル時代に中堅クラスだった今のトップが退職金もなく容赦なく首を切られるということに承服しないと私は思います。しかも、自己資本比率の計算方式を変えて国有化するというようなことは、法律の解釈を突如変えるに等しいことですから、銀行としては承服できないと思うのです。承服できないことを無理やりに行うと、そこで起こるのは妥協なき対立です。妥協なき対立が起こったときに出てくるのはスキャンダル暴露です。既に政治家のスキャンダルにまつわる怪文書が出始めました。来年の通常国会は再びスキャンダル国会になるおそれすらあります。過去の例を見ても、、妥協なき対立になった場合は必ず相手の弱点がリークされます。それによって相手の勢いが止まればリークも止まります。しかし、妥協なき対立が解けなかった時には、例えば昭和29年の造船疑獄事件の二の舞が起こるのではないか――そんな気がします。そうなると、政界の様相は一変するのではないかと思います。
去る10月21日の国会の代表質問を私はテレビ中継で見ましたが、自民党の堀内光雄総務会長の演説はなかなか立派な演説でした。ただ残念なことに、一番重要な部分をどの新聞も報じませんでした。堀内演説の一番重要な部分とは堀内さんが冒頭で指摘したことです。国会議事録を持ってまいりましたので読み上げます。「経済の国際化に伴ってグローバリズムが叫ばれている今日、他の国の制度をそのまま導入しようとする安易な考え方が、ともすれば見受けられます。このようにして日本に持ち込まれた制度の多くは、生存競争の中ですぐれた者、強い者が生き残り、劣った者、弱い者が滅んで、世の中は進歩していくという適者生存の世界観、宗教観を持つ国々の制度であります。言うまでもなく、国の風土、歴史により国民の世界観は異なります。日本国民は、歴史的に、弱い者を皆で助け、ともに生きていこうという共存の世界観を持っています」と堀内さんは主張しました。私は堀内さん自身に直接取材していませんが、おそらく周辺でかなり議論して打ち出したのだと思います。この堀内さんの指摘は現在の基本的な対立軸を示しています。
つまり、小泉さんや竹中さんそしてその応援団は〃アメリカ流の競争社会のほうがすぐれている。適者生存、自己責任という考え方に立たなければならない〃という立場です。競争社会、適者生存、自己責任――これが彼らのキーワードです。つまり、競争に敗れて死ぬのも自己責任、ホームレスになるのも自己責任だというのです。私はそのような優勝劣敗の考え方で政治を行うのは大いなる過ちだと考えていますが、彼らは〃敗者は市場から去るべきだ〃〃弱者が手厚い保護を受け、強い者が自由に振る舞えないような社会を変えなければならない〃という主張を強硬にします。これはあまりにも極端な考え方です。
フリードマンがアメリカ経済学界の雄になったのは70年代です。60年代にケインジアンの考え方を否定するマネタリストの立場から数々の論文を著して、70年代にアメリカ経済学界の代表的存在になりました。そのころ、米国に留学しフリードマンの影響を受けた人たちが、今、日本の官界、学界の中枢を占めているのです。竹中平蔵さんもその系列にある1人だと思います。サッチャー革命、レーガン革命の根底にはフリードマンの考え方がありました。竹中さんたちは日本もこの道をとるべきだと考えているのです。サッチャー革命後のブレア、レーガン革命後のクリントンは、その後、サッチャー、レーガンの行過ぎた改革の調整のために大変な苦労をしました。この事実にほとんど目を向けずにサッチャー革命、レーガン革命を賛美し、この方向に日本をもっていこうとしている人たちが小泉構造改革路線を支えているのです。
私の考え方の原点の一つにモンテスキューの思想があります。モンテスキューの『法の精神』は繰り返し読みました。前半に書かれているのは三権分立についてです。この三権分立の思想は民主主義国の基本的な考え方になっていますね。モンテスキューはこの本の第3部で風土と法律との関係について言及して、〃どの国にもどの社会にも一律に適用されるような法はあり得ない。法は風土に対して相対的である〃という趣旨のことを書いています。これは、〃その社会が長い歴史のなかでつくり出してきた風土の上に法律はつくられるべきだ。どの国、どの社会にも例外なく当てはまる法はあり得ない〃ということです。ところが今、米国流グローバルスタンダードの信奉者たちは、日本社会をアメリカ型につくりかえることが正しいと信じ込んでいる。これはとんでもない錯誤だと私は思います。モンテスキューの思考を学んでほしいと思います。
今われわれが求められているのは、いかに日本的な良さを残しつつ国際化時代に順応していくかということだと思います。日本的な良さと国際的なルールとの調和をどう図るかが問われているのだと思います。小泉構造改革のやり方はきわめて乱暴です。このままでは日本経済の屋台骨を支えてきた中小零細企業はやっていけなくなるのではないか。それは、スターリンが行った農業集団化に等しい残酷なものではないかとさえ私は思っています
本席にはこれまでの日本の労使関係の中で現実的な解決を追求してきた諸先輩がおられます。本席でこう言うのは僭越かと思いますが、私は、今の日本に必要なのは「調和の精神」であり「中庸の思想」だと思っています。これで私の話を終わります。ご清聴に感謝します。
【以上は10月29日に労使関係研究協会に招かれて行った私の講演記録です。少し前の講演ですが少しでもご参考になればと思い登載しました】