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これからのドイツ経済は要注目だ。 やつらはどれだけ経済がひどくなってもEUのクビキから逃れることができない。
その内、周辺諸国に不景気を撒き散らす存在になるだろう。ドン底の経済がドイツ国民の限界を超えたところで、
ドイツのEU撤退、EU瓦解が現実のものとなる。 日本は早く政府紙幣の導入を決断しろ。サカキ○ラ、もっと吠えろ。それがお前の取り柄だろ。
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「日本病」におののくドイツ経済
浜矩子・同志社大学教授
=加古信志写す
◇統合の荷重く、光見えず
エコノミストたちの集まりでスペインに行ってきた。会合の場所はスペインでも、話題はドイツに集中した。
フランス人のエコノミストがニヤニヤしながらいう。「最近のドイツ経済は日本化していると思うが、どうか」。すると、ドイツ人のエコノミストが顔面蒼白(そうはく)となってそれを否定する。「違う違う。ドイツの状況が厳しいことは認めるが、日本とはまるで違う。日本と一緒にするのだけはやめてくれ」。あまりにきまじめなパニックぶりが気の毒だったが、そこまで忌み嫌われる日本経済も哀れなものだ。
ドイツ人たちが日本病感染の恐怖におののくのは分かる。失われた10年への突入は勘弁してほしいだろう。
だが、時既に遅しの観も濃厚だ。山なす銀行の不良債権。過剰投資の後始末が遅々として進まない建設部門。増える失業、減る所得。改革を伴わない痛みにあえぐ企業と人々。これだけ症状がそろえば、相当なやぶ医者でも重度日本病の診断を下すほかはない。
ドイツの日本化を示す指標はほかにもある。このほど、欧州委員会がEU(欧州連合)経済に関する恒例の「秋季経済見通し」を発表した。その一環として取りまとめられた02年に関する各国の財政収支推計をみると、ドイツの財政赤字が今年は対GDP(国内総生産)比で3・8%に達する見込みとなっている。日本の場合にはこれが8%を超えているから、それに比べればまだまだマシだ。だが、EUの中でみれば突出して悪い。
しかも、対GDP比で3%を上回る財政赤字は、EU加盟国にとってルール違反だ。彼らの約束事に「成長と安定のための協定」がある。それによって定められている年々の財政赤字の上限がGDP比3%なのである。
この3%基準は、かつてEU諸国が通貨統合を目指して経済の体質強化に励んでいた時の数値目標の一つだった。首尾よくユーロ導入に漕(こ)ぎ着けたところで、ヤレヤレ安心と財政節度のタガがはずれることを恐れて、通貨統合後にも3%ルールを残すことで合意がなったものである。
皮肉なことに、通貨統合後の3%基準存続にこだわったのが、ほかならぬドイツであった。かつて、ドイツといえば経済的清廉潔白さのお手本たることを自他ともに任ずる存在。それが、国際通貨としてのドイツ・マルクの栄光にもつながっていた。
その栄えあるドイツ・マルクを放棄するとなれば、それに代わって登場するユーロについても、マルクと同じ強さの裏づけが欲しい。さもなくば、ドイツ国民に通貨統合入りを納得してはもらえない。
ところが、ユーロ圏入りすれば、その中にはイタリアもいればスペインもいれば、ギリシャもいる。彼らに、持ち前のラテン的ルーズさをいかんなく発揮されたのではたまらない。ユーロ圏入りを果たした開放感から、彼らが一気に財政節度をかなぐり捨てることにでもなれば、ユーロの通貨価値は台無しだ。
「地中海クラブ」の面々のふるまいが「通貨統合クラブ」の規律を乱すのは許せない。そう考えたドイツの主張で、3%ルールはユーロ圏の財政節度基準として根を下ろすこととなったのである。
物いえば唇寒し。通貨統合後まる3年が経過しようというところで、ドイツの財政赤字はみずから主張した許容上限を1ポイント近くも上回りそうな情勢だ。さらに恥の上塗りなことには、かの「地中海クラブ」組は無難に基準値をクリアしている。スペインにいたっては、均衡財政達成の快挙を果たした。
ところが、ドイツは今年の実質経済成長率が1%を割り込むこと必至で、マイナス成長の懸念もみえかくれしてきた。その中での財政収支の立て直しは至難だ。そもそも、不況下で財政緊縮化を図れば、不況はますます深化する。
症状近似の日本病とドイツ病。症状が同じなら、病因も要は同じだ。こういうと、ドイツ人たちは一段とムキになって反論する。
日本病は自業自得の構造病だが、ドイツ病には東西統合というやむなき病根がある。
統一ドイツ実現のために、無理をした。今なお旧東独支援のための財政支出が国庫に多大な負担をかけている。統一当時の建設ブームが過剰投資を招いたのは避け難い統合の代償だった。民族統一の悲願成就のために、あえて経済的均衡を犠牲にしたのだといいたいだろう。
それはその通りだ。この点についていえば、資産バブルが膨らみ上がるのを指をくわえて放置していた日本とは、確かに違う。だが、その後の展開における問題性は共通している。端的にいえば、見ざる聞かざる言わざる病だ。その意味では、病根は違うが病弊深化の構図は同じだというのが正確だろう。
優等生体験が身に染みついていればいるほど、その地位から落下した時の現実直視力が欠如する。早めに現実をみすえないから、病は長引き、病状はいたずらに悪化する。本当に必要な外科手術を避けようとするから、対症療法がむやみに複雑怪奇さを深めることとなってしまう。
グローバル世界の東西で、優等生ぶりを競ってきた日本とドイツの二大経済。その両者が、いまや鏡を挟んで同じ病に青ざめた表情をくらべっこしている。経済的病弊のグローバル・スタンダードここにありとは、情けない。鏡の中の相手のふりに、より早く我がふりをみて行動に出た方が、病弊脱却の勝機をつかむ。
(毎日新聞2002年11月17日東京朝刊から)