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http://www.asyura.com/2003/hasan17/msg/339.html
漂流する米国資本主義システム
投稿者 Ddog 日時 2002 年 11 月 23 日 01:45:06:

http://www.mri.co.jp/TODAY/SERIAL/FUJITAM/Fujita.html
http://www.mri.co.jp/TODAY/SERIAL/FUJITAM/2002/1114FM.html
漂流する米国資本主義システム

20.1. 学者先生スキャンダル(pundits gate)事件
ニューヨークタイムズのコラムでEnron事件にからんでブッシュ政権に噛みつきすぎたせいではないかとタイミングが疑われる2002年1月18日、フリーライターのAndrew Sullivanは自分のホームページの"Daily Dish"でKrugmanがEnronのエコノミストとして50,000ドルの報酬を得ていたことを暴露した(正確には暴露ではなかったが、Enron事件後最初に注意を喚起したのはSullivanであった)。さらにワシントンポストのHoward Kurtzが1月26日放送のCNNのインタビュー番組にSullivanを呼んだため話がやや大げさになった。さすがのKrugmanも、2002年1月25日のニューヨークタイムズのコラムで異例の弁明をしていた。Krugman自身がEnronのインサイダーではないかと疑う記事が出され始めたからだ。
Krugmanのホームページによれば、彼は1999年の初めにEnronの役員会で経済、政治問題の解説をする専門家パネルに参画するよう頼まれた。その年の秋にニューヨークタイムズのコラムニストの職を得てパネルを辞職したが、それまでに37,500ドルの報酬を受けた。その報酬の適正さについて、Krugmanは、「1998年から1999年にかけてボストンやニューヨークで1時間の講演をやって1万ドルの報酬をもらっていたし、長距離の旅行が必要な場合はさらに報酬をもらっていた。ヒューストンには4日間滞在したので、拘束時間とボストン−ヒューストンの距離を考えると安すぎるくらいである。」と自ら分析している。
しかし、皮肉なことにこのEnronスキャンダルの弁明の中で、Robert Kuttnerがアメリカンプロスペクト誌の「エンロンに至る道」※1の中でビジネスと癒着しているために政策提言がゆがんでしまったことを批判されるべき対象としている「ビジネス界から多額のお金を受け取っている有名な学者」のひとりであることをKrugmanはみずから宣言していたのだ。
当時Krugmanが参加したEnronの役員会パネルには、やはりマスコミが取り上げたLarry Lindsey、Bob Zoellick、ハーバード大学のPankaj Gemawat、ロンドンタイムスのコラムニストでAmerican Enterprise Institute, Inc.のIrwin Stelzer、Weekly Standardの編集者のWilliam Kristolがメンバーとして参加していた。Krugmanはコメントしていないが、錚錚たるお歴歴(pundits)がそろっていたし、まだEnron問題が発覚する前だったのでKrugman自身もむしろ積極的にパネルに参加したのであろう。
CNNのKurtzによれば、Krugman以外にWall Street JournalのPeggy Normanが25,000ドルから50,000ドル、CNBCのLawlence Kudlowが50,000ドル、Bill Kristolが100,000ドル受け取っていると答えている。
1963年英国西サセックス生まれのSullivanは1987年ハーバード大学ケネディスクールで政治学のPh.Dをとった。ワシントンポスト、デイリーテレグラフ、ウォールストリートジャーナルなどに寄稿していたほか、雑誌"The New Republic"の上級編集者で、"New York Times Magazine"の寄稿ライターであり、Bill PressというペンネームでCNNの"CROSSFIRE"のホストの一人として登場し、"Spin This!: All the Ways We Don't Tell the Truth"の作者でもあった。また、ゲイであることを公開し、男性と結婚している異色の若手知識人であった。
Krugmanは、Sullivanの激しい批判に対して極めてまじめに弁明してきている。しかし、Sullivanがとりあげた1999年5月Fortuneに掲載された「E-MANの台頭」という題のコラム(Enronではなく「自由市場へのラブレター」だったとKrugmanは言っている)は、彼が2002年1月ニューヨークタイムズに立て続けに出したものと比較すると、米国経済が絶好調だった1999年当時にすでに発生していたインサイダー問題を米国社会全体がまったく見過ごしていたということを再確認させるものだった。
20.2. E-MANの台頭
KrugmanがFortune1999年5月号に書いた「E-MANの台頭」というコラムの書き出しにはいつものように読者をひきつける「しかけ」があった。
「私は計画経済の中で育った。官僚社会がすべてを動かしているわけではなかっ
た:中小企業の経営者は自分で判断して売り買いすることができた。しかし、鍵
を握る(重要な)業界で経済の『指導的な高さ』にある(大)企業をコントロー
ルする立場にある者達は企業家というよりは行政官であった。自社の生産性より
も忠誠心の方を優先し、政治的な能力が出世につながった遵奉者達であった。一
方で普通の労働者にもこのシステムにはメリットがあった:出世は難しかったが
一度いい仕事が得られるとその後の生活が保証されたからだ。しかしながら、経
済はしばしば明らかに非効率であったし、消費者ニーズに鈍感であり続けること
も多かった。」
「いいえ、私は東ヨーロッパからの移民ではない。ゼネラルモータースが最も進
んだ大企業のお手本であった50年代、60年代の米国の経済について述べたのであ
る。John Kenneth Galbraithのようなその時代の先進的思想的指導者は、自由市
場が需要と供給をマッチさせるためにあると書かれたポール・サミュエルソンの
教科書を学んだ経済学者達を蔑視していた。つまるところ、あきらかにビジネス
全体が市場から計画にシフトしていたのである。経済が大企業によって占められ
ていけばいくほど、それらの企業は神の見えざる手を軽視していくようになっ
た。たとえば、AT&Tは完全独占だった。長距離通信、地域通話システム、通信機
器工場、家庭電話そのものもAT&Tの所有物だった。」
Krugman自身がEnronへではなく「市場へのラブレター」と呼んだ「E-MANの台頭」はこう始まっていた。さらに掲載されたFortune1999年5月号が特集した話題であるe-businessへと議論は進んでいく。e-businessは90年代後半に確立した米国の経済的優位を完全なものとするはずであった。Krugmanがどういう文脈でE-MANというキーワードを使用したのかは定かではないが、当時の文献ではE-businessと同様にサイバースペース(仮想的な世界として見たインターネット)上の「人」という意味で使われている。
Krugmanは80年代、90年代の流れを、ITがビジネス社会をコントロールアンドコマンド(制御と命令)システムから需要供給システムにシフトしてきた時代と位置づけている。さらに「市場が大企業資本主義の支配の呪縛から解放され、次第にそして着実に喪失していく大企業の支配力に連動する形で大企業の利益性が失われていく中」にあって、市場における競争力を追求する新しい種類の会社の例としてEnronを紹介し、Krugman自身もEnronのアドバイザリボードメンバーになったことを報告している。
「かつてエネルギー企業は、できるだけ垂直統合、すなわち天然ガス田、ガスポ
ンプも含めて自社所有しようとした。Enronもガス床、パイプラインや発電所を
所有している。しかし、Enronは垂直統合しようとはして来なかった:供給サイ
ドでも需要サイドでもガスを売買し、パイプラインや電力の輸送容量のリースや
電力そのものを売買していた。Enronはエネルギー企業というよりはブローカー
やマーケット・メーカーだった。たとえれば、預金をとってローンで貸す父親の
時代の銀行とゴールドマンサックスの違いのようなものだ。立方フィートやメガ
ワットという単位だけ金融派生商品と違う商品をトレードするラフな格好の何百
人のトレーダ達が、所狭しと並んだディスプレイをチェックしたり、大声で電話
に向かってしゃべったりする(CNBCの代わりにWeather Channelが大画面で流れ
ている点もまた金融とちょっと違うが)部屋がEnronビジネスの核心部なのだ。
その部屋はまるで我々のエネルギー企業の常識が覆されたことを示すために作ら
れたように思われた。」
e-businessを特集したFortune五月号の中で、大企業秩序の指揮系統の支配下で小さくなっていたエコノミストがe-business社会ではE-MANとなって解放される時代が来るという文脈でEnronをとりあげたKrugmanではあったが、市場という視点を最重要視し、知恵を借りるために最もすぐれたエコノミストをヒューストンに集めるためにはお金に糸目をつけなかったLay会長に、米国の新世紀を感じ、Layの考え方に共感してこのコラムは書いたに違いない。さらに、インターネットバブル真っ最中の米国経済がエコノミストの出番となる「効率的な完全競争市場」に向かっていたことを確信していたのであろう。なぜなら、これに続く彼の議論はもっと楽観的なものだったからだ。
「(完全自由化された)市場に落とされる独占資本主義の暗い影の代わりに我々
がどんどん増えていく市場(今日の電話、ガス、電力、将来のコンピュータOS,
高速ネットワークアクセス)の中で手に入れたものは、新規参入者を招きいれる
規制緩和と(競争をゆがめるだけの力を持つ者への、たとえば通信では)「コモ
ンキャリア」規制の組み合わせであり、この組み合わせが、本当に自由にうまく
回転する市場を作り出すのだ。」
「ミレニアムの経済は、コーポレート賢者時代の世代が考えた共同社会型のイ
メージをもつのではなく、アダム・スミス、もっと正確にはビクトリア時代のエ
コノミスト、Alfred Marshallが描いたビジョンに近いものになるだろう。さ
あ、経済学の古い教科書を屋根裏部屋から取り出そう:今やそれらの本がこれま
でになくふさわしい時代がくるのだから。」
SullivanとKurtzがジャーナリスティックで大げさに取り上げなければ、KrugmanのE-MANが当初よりインターネット上で簡単にアクセスできたにもかかわらずEnron崩壊後米国でこれほどには有名にならなかったであろう。しかし、E-MANでのEnronの扱い方は2002年1月Enron後のニューヨークタイムズのコラムで警鐘を立て続けに鳴らした時の扱い方とは明らかに違うものであった。これは、Krugmanのせいと言うよりは、Enron、特にLay会長が徹底して問題を隠蔽し続けていたことやヒューストンにやってきたKrugmanに対して行った演出が自由市場を讃えるよう十分にアピールしたことによるものだっただろう。今回の50,000ドルの報酬という個人的なスキャンダルについてKrugmanは個人の問題として終息宣言を出しているが、Krugmanを含めたエコノミスト達にとって、Enron事件の再発を防ぎ、時代を逆行しないために回答を出さなければならない課題は確実に増えたはずだ。
20.3. システムの崩壊
「Larry Lindseyは、Enron事件を『アメリカ資本主義の賜物だ』と表現すべきではなかったし、Paul O'Neillは『企業とは"来たりて去りぬもの"。これ(Enron事件)は資本主義の天才の一部だ。』と演説すべきではなかった。」2002年1月18日付ニューヨークタイムズのMIT教授Paul Krugmanの「システムの崩壊」と題されたコラムの書き出しである。
このコラムで、Krugmanは、米国財務長官とホワイトハウスのトップエコノミスト達が結局Enron破綻に直面したとき政治上の危機感から手を差し伸べなかった点にも触れ、二人が勘違いしていたことに気がついてぎりぎりのタイミングでEnronを見捨てる判断に軌道修正できたことに「ほっとして肩をたたきあった」と表現している。Krugmanは二人がEnron事件をビジネス史上現れるたくさんの栄光と悲劇のひとつとして片付けたと批判した。
しかし、Krugman自身は、Enron崩壊を一企業の破綻ととらえず、「システムの崩壊」と受け止めた。「アダム・スミスの時代からエコノミストが危険視し続けてきたように、『所有と管理の区分』がインサイダーによる不正の扉を開いた。」というのだ。「スミス本人もそのような弁別は、少数のビジネスを除くと良くないアイデアだと考えた。」からだ。
「しかし、家族所有の企業やパートナーシップだけで現代経済社会を構成するこ
とはもはや不可能である。したがって、現代になじみのある資本主義は主に政府
が担当する制度設計によってインサイダーの不正が制限されているのだ。この制
度には、近代会計システムや、独立した監査人、証券・金融市場の規制、そし
て、インサイダー取引の禁止などが含まれている。」
「Enron事件はこれらの制度が崩壊してしまったことを示している。インサイ
ダー不正を防止すると期待されたチェックアンドバランス機能は一つも働かな
かった。」
「社員たちも自分達のことを歪曲した(Crooked)会社と言いながら、Lay会長以
下不正に利益を計上しただけでなく、最後の5年のうち4年は税金逃れをしてい
た。また、アンダーセンも問題を知っていながらなにもしなかった。当局も
Enronと個人的に関係のある議員を除けばまったく野放しだった。」
「LindseyとO'Neillが我々に善であると示したものはすべて悪を暴露した。なぜ
なら、Enronは失敗を許されたからである。裁きは実践され、システムは正常に
働いたからである。しかしEnronは個人ではない。悪いのは11億ドルをもって
(堂々と)歩いて去った経営者達である。」
「これは単なる不正事件ではない。大金持ちになった不正な経営者達が立ち去っ
たあとに万一の備えを失ってしまった従業員たちが残された。さらにこれは資本
主義が正しく機能したかどうかの問題である。報告されている収益が本物であ
り、経営者たちが従業員や投資家の資金をもとに私腹を肥やしたりせず、自分の
立場を不正に利用したインサイダーの所業はかならずや発覚し、罰せられると投
資家が考えるのはあたりまえのことである。(すなわち政府が作る制度はそのた
めにあるのだ。)」
「いまや我々は資本主義の(安全)保障システムが機能しなかったことを目の当
たりにしたのだ。金融社会の人間でこれがEnronのみの特殊ケースであると考え
ている人を私は知らない。」
「しかし、すべての証拠はブッシュ政権が問題を真剣に取り扱っていないことを
示している。逆に間違った方向に指導していたことが最近わかってきた。Bush政
権でSECの会長となったHarvey Pittはアンダーセンを含む会計事務所を代表する
弁護士として監査人の独立性を強化する政策で評判をあげようとしたのだ。」
「真相はわれわれの経済システムを安全確保するための制度システムが崩壊した
ことである。解き明かすべく残されているのは、どの程度この崩壊が進んでし
まったのかという問題だけがである。」
Krugmanはちょうどこの頃にあいついでEnronが露呈した資本主義制度問題に対する問題提起を行っている。2002年1月15日のニューヨークタイムズのコラムでは、「内輪(crony)資本主義国U.S.A.」という題で、4年前のアジア危機の折に、アジアの経営者達が投資家への報告を軽んじてきていたにもかかわらず、ビジネスが政府と強いつながりがあるために不沈戦艦と思われてきた上に、金融危機で初めて状況がただならないことが発覚したことで急に破綻がおきたこととEnronの事件を比較している。
このコラムの中で内輪(crony)資本主義国のせいで環境に深刻な影響が発生する可能性を無視した規制緩和が施行されたおかげでEnronともうひとつの大企業が数億ドルも儲けたとBush政権を非難している。また、電力取引においてもEnronが儲かるようにするためにLay会長はBush政権に強い働きかけをしていた。
「LayはFERCの長官に対して『首になりたくなければ、もっと協力的になれ』と
言ったそうである(彼は拒否し、解雇された)。Dick Cheneyが連邦エネルギー
プランを立案する際に(利益を得るために)Enronが手伝ったように見えること
も懸念材料であるが、Cheneyは、エネルギー委員会の活動内容の公開を拒否して
いる。」
1月29日には、日本でも「ミスター円」こと慶応大学の榊原教授がとりあげるなどした「大差別」と言う表題のコラムで、Enronスキャンダルの方が9月11日の同時多発テロよりも深刻な問題であると大きく取り上げていた。
20.4. インサイダー・アクション・ヒーローズ
Enron崩壊について情報をたどってちゃんと分析すれば過去に犯した重大な過ちが将来を占うものだったという話はもうひとつあった。1987年のEnron Oil事件である。合併したばかりで、1980年代にガスパイプライン会社や電力会社だけでなくテキサスの銀行などが数多く破綻したガスバブル崩壊の後遺症が残っていたEnronは、ニューヨークにあったオイルトレーディング子会社Enron Oil Corp.がもたらす当時にすれば莫大な収益をたよりに業容を維持拡大していた。
1987年1月23日、取引先のApple Bankから監査担当副社長にかかってきた一本の電話によりEnron Oil Corp.のLouis J. Borget社長とThomas N. Mastroeni資金担当副社長が偽装取引によってオフショアに作った架空名義への不正送金することで着服と記録改竄を行っていたことが発覚した。Apple Bankの担当はレバノン人のM.Yassという英国領チャネル島の口座に100,000ドルの小切手送金がEnronからあったことを不審に思ったのだった。後に監査役のひとりは、M.Yassは、"My ass"から作られた名前であったことに気がついてあきれてしまった。
1987年4月29日の監査ボードミーティングでLayは、二人の着服を返却させるだ
けで解雇はせず、新しいCFOを送り込むことだけを提案した。不正事件が幸運な
Apple銀行の電話によって発覚した後もLayはEnronにトレーディングにおける経
理問題のチェックアンドバランス機能を整備しなかった。つまり、莫大な利益を
もたらすトレーダを最初から意識して野放しにしていたのである。15年たったあ
とでもアンダーセンの監査担当者は興奮を隠せず「会議の中で『マネジメント』
という言葉が出たときKen Layは『決断したよ!』と言ったわ。。。私に何が言
えるっていうの?。。。彼はC.E.Oだったし、彼は内部監査ボードがうまくこと
を運べると思っていたし、彼にはあの収益が不可欠だったのだから。これは彼の
要請だった。。。みんな(ニューヨークの)二人が悪人だということは知ってい
たわ!Layにもちゃんと話したんだから。」
少なくとも二人の役員が疑義を述べた。一人はネブラスカ大学のRonald Roskens教授だった。もう一人はアーサーアンダーセンのCarolyn Keeであった。Keeは会議が終わって部屋を出るとき同僚に「本当に吐きそうなくらいよ。」と語っていた。
4月の役員会はEnronの将来を予見するものになった。監査役が出したレポートをLay会長は読み、収益計算書を読み、二人がどれだけ稼いだかを、そして彼らを解雇した場合にどれだけ損するかについての記述を見た。600万ドルがその数字だった。内部監査役が出した結論は、「彼らがLayの目の前に出てからは不正を働くこともなくなり、良心の呵責によりEnronのお金を返却した」、というものだった。
彼らはLayの取り計らいでオイルトレーダーとして会社に残ることになった。1997年の秋までのたった6ヶ月に12億ドルものポジションを作った。多くはみせかけで、残りは二人に個人的利益をもたらすものだった。1997年秋までに二人は最終的に1億4200万ドルの損失をEnronに与えた。「問題が発覚したことでEnronはほとんど倒産しかけたのです。」と当時監査担当副社長だったDavid Woytekは語った。二人は原油先物に会社の取引リミットをはるかに越えたロング(買い)ポジションを張ったが、原油価格が下落してしまったのだ。
1990年BorgetとMastroeniの二人にはそれぞれ1年の懲役と2年の保護観察プラス400時間の奉仕活動が科されることになった。トレーダ達を使って目先に多額の利益を計上し、損失が出ると簿外に飛ばすという方法は、ガスバブル崩壊の後遺症から立ち直るためにはじめは苦肉の策として考え出したのであろうが、決して許されるものではなかったはずだ。その後の事件を見ると、彼はそれを経営理念としてずっと持ち続けていたようだった。
数多くの社員やEnronで働くアンダーセン職員は最初からそれが明らかに不正なことであったと気がついていたにもかかわらず2001年12月2日にEnronが破綻するまで不正の事実は日の目を見ることはなかった。Vincent Kaminskiをリーダーとした優秀な数理グループを抱えており、リスク管理は鉄壁であると思われていたが、実は目先の利益さえ出せば不正も許すというLayの方針によって甘やかされたトレーダたちで満たされたEnronのコアビジネスについてもリスク管理は二の次になっていた。そんなEnronはエネルギー産業が市場化の初期段階にあったために10年以上存続し、全米第7位の売上を記録するまで成長できたのである。金融業界にデリバティブが普及していく中でリスク管理がいい加減だったために一握りのトレーダが何十億ドルの損失を出した1980年代とよく似ているが、それを積極的に後押ししたのは、ほかでもないCEO Lay会長自身だったのである。
20.5. 日本の企業統治問題への教訓


図20.1 株式価値を共通インセンティブにした依頼人−代理人問題の発生
ここでもう一度第18章の図を再掲する。ビジネス先進国米国の株式会社システムには、「インサイダー活動」によって発生する不正を防ぐために、外部監査役、独立会計法人、アナリスト、格付け機関、SECなどの「番犬システム」が設けられていた。Enronの場合、明らかな不正がLay会長のもつCronyで圧倒的な権力によって正当化され、番犬システムが全く機能できなかったことと、Enronの問題が世間にディスクローズされなかったこと、株主、金融機関が多額の与信によって現金を供給し続けたこと、2001年10月までSPEを使用した不良資産の簿外化によって決算報告を健全に保つことができたことから資金の枯渇が発生しなかったことが重なって巨大な破綻に至った。
米国では不正に対する認識が貧弱にならないようにするための抜本策として市民秩序(Civil Discipline)を強化することも議論されている。特に経営者にあらためて教育が必要であると考えられている点が米国のこれまでのやり方と比較して新鮮である。しかし、米国の資本主義社会は、成功と失敗をできるだけ厳格に、かつ、米国国民があまねく理解できるように定義し、「飴と鞭」を企業、個人のインセンティブに対する基本的なメッセージとして構築されているのであるから、市民秩序という議論はその場限りで終わるという歴史の再現となる可能性が高い。
Krugmanのことばを借りると「インサイダー」は基本的にはすべて駆逐すべきものである。Enron問題を頂点とした不正会計疑惑によって、米国において「インサイダー」は深刻で基本的な問題であると再認識され、番犬システムがますます厳しく監視するように強化されようとしている。
仲間内資本主義の問題や依頼人―代理人問題は、日本では日常的に発生している問題である。さらに原因や対策を特定することが米国に比べると圧倒的に難しくできているように思われる。その理由の1つに日本独特の「社会資本」構造がある。日本は単一民族という特徴をもち、地域社会、企業内社会が厚く形成されていると言われてきた。戦後影響力はかなり失われてきているが、この「社会資本」はまだはっきりと残っている。
この「社会資本」があるために、日本の資本主義には良い「インサイダー」、つまり、社会的に受け入れられている「インサイダー」現象が数多く残されている。このため、コーポレートガバナンスが適切に効く状況を作るためのコストは米国に比較すると小規模で済ませられてきた。しかし、1990年代に欧米では日本には危機を認識していても行動しないという依頼人−代理人問題が発生してきたという指摘もあった。日本の「インサイダー」構造はかならずしも良い結果だけ生むというわけではなかった。
我々は日本の資本主義社会がより頑健になるためにどう企業統治を改善していったらよいかという重要な問題について考えるとき、彼らが米国流の資本主義社会における「インサイダー」という言葉に与えた大変大きなコンセプトに着目し、西欧スタイルのやり方をまねるだけではなく、もっと積極的に西欧スタイルの考え方を取り入れて考えていく必要があるのではないのだろうか。その中で、良い「インサイダー」と思われるもののもつ弱点を洗い出す必要がある。
金融ビッグバンにおける外資系証券会社による損失とばし事件などのように、日本のビジネス社会の特殊性は、これまで弱点として戦略的に欧米のビジネスから攻撃されることも多かった。一方で急速に進むビジネス社会のグローバリゼーションのまっただ中でおきたEnron事件のおかげで、会計基準、監査人の責任など、コーポレートガバナンスのオーバーホールが世界レベルで進む中にあって、日本はちょうど電力取引などの規制緩和や、不況対策のための資産の流動化などを進めている。日本人社会の「社会資本」が悪しき「インサイダー」現象の事例となることを防ぐために、我々日本人はこれを分析し、注意深く取り扱っていく必要があろう。21世紀政策研究所理事長 田中直毅氏も「日本では個人投資家の資本市場に対する不信感は根強い。」※2と述べており、そもそも、投資家達に株式市場に戻るよう説得できるほどに日本の資本主義システムは信頼を回復していないのである。日本のシンクタンク・エコノミスト、ビジネス学者による「日本ならでは」の「インサイダー」対策作りを期待したい。
 


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