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推奨書籍:『カルタゴ』(文庫クセジュ) − カルタゴの政治制度と“キリスト教”カルタゴ人でっち上げ説 −  [かゆさんへのレスをかねて]
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/965.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 3 月 11 日 16:07:00:


現在の世界支配構造をつくり上げてきた国際金融家・国際商人(“寄生者”)がカルタゴ起源であるとの自説を書いてきた。

コールマン博士の「300人委員会」も、カルタゴ起源とした。
それについてかゆさんから出典を求められたが、「300人委員会」という固有名詞が書いている書籍は見つけられなかった。
(本の整理が雑で溢れかえっているので、心がけていて発見したらフォローの投稿をしたい)

その代わりと言ってはなんだが、主流派とはちょっと変わった視点と説明で歴史・宗教・思想などが書かれたものが多い文庫クセジュ(白水社)のなから、関連の書籍を推奨し、その一部を引用したい。

『カルタゴ』(文庫クセジュ781:マドレーヌ・ウルス=ミエダン著:高田邦彦訳)


■ 「300人委員会」関連

『カルタゴ』第六章 制度と対外関係 P.64

「カルタゴの政治制度は、今日つまびらかでない。フェニキア人の政治制度についても、事情は似たりよったりである。
<中略>
王朝が代わるときには、主権者は原則として、神より出自したといわれる最古の名門から選出されていた。
歴代の王の権力は、きわめて古い時代から長老会議によって緩和されており、会議の成員は富裕な名家から補充されていた。
<中略>
ヘロドトスは、個人的才幹を利して王位にのし上がったある人物の名を挙げている。それを見ると、世襲王政に代わって選挙王政の成立したことがわかる。
<中略>
 前四世紀になると、古代の著述家たちの提供してくれる知識は、はるかに正確である。 集会は、二つ知られている。一つは、少なくとも三〇〇人の議員を要している「元老院」であり、もうひとつは、元老会議員の中から選出された常設の「参事会」である。二人の「執政」が一年間共同で統治した。彼らは再選されることもあり得たようである。軍事権は市民の集会によって直接選出され将軍たちの手に握られた。
 行政に関する重要問題は、執政によって元老院に提出された。そして元老院が賛成多数で決議することができない場合には、民会が最終的機関として決定した。
<中略>
 市民が選挙人となることを許された正確な条件は、今日ではわからない。わかっていることはただ、この権利が外国人、奴隷、解放奴隷には認められなかったということだけである。古代の哲学者たちがカルタゴの国制を賞賛し、それをスパルタの国制と共に当代の最もすぐれたものに数えあげていたことは、注目すべきである。」


※ 「少なくとも三〇〇人の議員を要している「元老院」」が、「300人委員会」の起源だと考えている。(明示的に書いている書籍もあったと記憶しているが未確認)
元老会議員の中から選出された常設の「参事会」を「13人委員会」としている書籍も読んだ記憶がある。

ここに書かれているように、カルタゴは、世襲王政(王制)と選挙王政(大統領制)という現在に通じる統治制度をともに経験しているようだ。

カルタゴの制度を現在風に翻訳すると、

世襲王政:王
選挙王政:大統領
  執政:首相
 元老院:議会
 参事会:議院内閣制
  民会:有権者

となるだろう。

我々は歴史教科書で、民主制の起源がアテネだと教えられる。
しかし、上述のように、近代国家に通じる政治制度は、直接民主制の色合いが濃いアテネよりも、カルタゴのほうがずっと近い。

「古代の哲学者たちがカルタゴの国制を賞賛し、それをスパルタの国制と共に当代の最もすぐれたものに数えあげていた」というくらいだから、商人都市国家カルタゴやポエニ戦争絡みのカルタゴではなく、現代に通じる政治制度を持っていたカルタゴがもっと論議の対象になってもしかるべきである。

(これは、できるだけカルタゴに言及させたくないという寄生者の意図があるのではという疑いの傍証だと思っている)

■ キリスト教との関連


『カルタゴ』第一章 地理的位置と歴史的位置 「民族誌」P.15

「この植民地(引用者注:カルタゴ)を建設したフェニキア人は、カナン=グループに分類されるセム人である。
<中略>
一般的に見て、高度に混血した人種型を示している。
<中略>
したがってポエニ人は、他国人との通婚をいとわなかっただけに、なおのこと混合した人種型なのだとわかる。それでも住民は、人種的特質によって結ばれる以上に、セム人の文明・宗教・言語によって固く結合されていたのである。」


『カルタゴ』第四章 歴史 P.47

「したがってカルタゴの強力な海外組織を呼ぶには、「帝国」という名称よりも「海上経済連合」という名称の方が妥当だろう。」


『カルタゴ』第五章 宗教 P.53

「例えば、ハンニバルは「バアルの恵み」であり、ボデシュムーンは「エシュムーンの下僕」である。
<中略>
これとは別に、ポエニ人の宗教をなおいっそう表す一連の古記録があるが、それは犠牲料金票である。
<中略>
 この犠牲料金表は現代語に翻訳された。それを解釈すると、この料金表は、聖書、特に「レビ記」によって現在知られているイスラエルの典礼書と親縁関係を持つことが証明された。
<中略>
前19世紀にさかのぼる一連の説話は、「創世記」の詩文によく似通っている。モーセの啓示に先立つイスラエル人の宗教とフェニキア人の宗教とが共通の基盤を持つということは、こうして立証されたのである。」


『カルタゴ』第五章 宗教 P.62

「ポエニ人の祭祀がローマの占領下でも存続したということは、ローマ軍の侵入を免れたチュニジアややや遠隔地方のどこででも、立証されている。カルタゴの主神たちが、ラテン語の呼び名のもとに熱烈な帰依を得たのである。
 キリスト教が北アフリカに急速に広がったこと、カルタゴの最初の教会がその信仰や殉教者や学者によって権威を得たことの理由は、おそらく原住民の心の中に宗教的熱情が残されていたことや、ポエニ人の宗教の超越的性質によって説明されよう。二世紀におけるキリスト教の伝播区域は、アフリカにおけるポエニ人の植民地の範囲とほぼ一致しているのである。」


※ キリスト教がポエニ人の領域で急速に普及したのは、ポエニ人(西地中海の人の意味でカルタゴ人のこと)がキリスト教をつくり上げ普及を目指したからだと考えている。

カルタゴの宗教とキリスト教は、キリスト教がエッセネ派(隠遁共同体メシア待望)を源流としているに対し、カルタゴの宗教はサドカイ派(祭祀階級)にほぼ等しいものと異質のものだからである。

カルタゴは、「カルタゴで生まれた初子は、個人か集団が誓願を立てる際に、男女の別なくいきながら焼かれて、この神に捧げられた」(これがホロコースト:P.55)り、「カルタゴ人の神殿は、カナン風の「高き所」の外観と配置とを守り続けていた」(P.58)もので、「これらの神殿は、神に捧げられた高価な奉献物で満たされていたので、その富は驚くべきものであったに違いない」という。

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