現在地 HOME > 掲示板 > 議論・雑談8 > 745.html ★阿修羅♪ |
|
ジャーナリスト斉藤貴男さんの書評から(週間現代3/15)の博士の伝えている間接情報。
1反戦を訴える知識人は排除された。残るのはニューヨークタイムズのコラム二スト、トーマス=フリードマンに代表される物書き。つまり、権力に抵抗する立場を「アナーキスト」と十把一絡げに切って棄てることのできる連中のみ。
2米国内でも、普通の人々はただ従順にお上からからの命令にしたがうだけの生きものと考えられている。著名ジャーナリスト、ウぉルター=リップマンなどですらも、「民衆は参加者でなく、”観客”であるべきだ、参加するのは ”責任ある人々”に任せておけばいい」と主張している。
3 多国籍企業とそれらと利害を同じくするものだけを世界の主人公とし、彼ら以外の存在価値など全くとるにたらないものと捉える新自由主義イデオロギー、あるいはグローバリズムと呼ばれる暴力システム。それは監獄にいるようなもの。
4。機会のない自由は悪魔の贈り物。
以上みると、米英支配達層の論理は典型的なエリーティズムだということがわかる。日本側で、新自由主義を推進している連中はこの考え方である。かといって、西部ススムのような、最近米国批判、アメリカ追従ポチ保守を批判している人物もこの考え方を一貫して標榜している。西部というのは、この矛盾に気付いていないため、米英のレトリックを破れないでいる。
このエリート思想は、西洋思想において歴史的に非常に根の深いものなのだ。古代ギリシア、プラトンの思想からひきつがれているものなのである。メースン、騎士団、イルミナティ、スカル&ボーンズ、外交問題・評議会など、排他的結社組織の社会思想が一貫してこれなのである。
一握りの優秀なエリートが愚かな大衆を一方的あるいは強制的に指導することが、善である、という信念なのである。これはすべてプラトン思想を参照してきている。
これは、ユダヤ教、キリスト教、回教の、神と人間の関係の考え方の地上界での反映という面ももっている。人間は絶対的神にただしたがうべきである、という考えだ。
米英権力エリートは、全体主義を導入することを急いでいる。彼らの背後の信念はこの思想なのだ。愛国者法案が意味がある、というのは、彼らがエリートが愚かな民を強権的に引っ張っていくことが、民衆のために結局なるのだ、というレトリックを持っているのである。この思想を経済的に表現すると、それが新自由主義となるのである。経済評論家森永卓郎が「1パーセントの金持ち以外は皆貧乏になる」と日本の将来について喝破しているが、このことなのである。
米英超権力の連中、および彼らの新自由主義に連動する日本知識層をカウンターするには、実はこのエリート主義の空虚さを論証・打破することが、決定的に必要とされるのだ。
結局、エリートには創造性があるが大衆にはそれがゼロという考えかたに対し、万人すべてに無限の創造力が潜んでいるという見方で対抗することになるのである。
現在、イエス=キリストなどと間違って宣伝されている人物が説いていたことがこれなのだ。愛、宇宙的な愛、無条件の愛を生きることで、内なる無限の創造性がこんこんと湧いてくる、と教えていた。彼は、この教えにより、エリート思想のもとづくローマの権力機構、ユダヤのエッセネ派から蛇蝎のごとく嫌われ徹底攻撃された。
ローマ権力機構は、彼の教えをねじ曲げるかたちで、帝国内に収容した。元の彼の教えを攻撃したイデオロギー勢力は、2つ。一つはローマ教会。パウロの教えを中心にして、キリストと政治的に付けられた名前の人物の教えは徹底して駆除された。新約聖書は、エリート思想の装置としてのゴミ文書となった。もう一つはエッセネ派を源流とする、古代メースンなのである。これは中世になって一度断絶した。近代メースンは18世紀に再生した。各種の類似の秘密結社は、こちらのラインに属す。ローマ教会のライン、エッセネ派ライン、これがともに、エリート主義を標榜して、互いに対抗している。ともに、万人に無限の創造性がある、という見方を共同戦線で封じながら、一方で、激しい権力争いを演じているのである。あるときは合同し、あるときは拮抗しながら、
民衆を徹底して愚ろうし収奪し搾取をしてきているのである。ともに、奇妙キテレツにして空疎・醜悪な「神」象をおしたて、馬鹿げた儀式でそれにうやうやしく礼拝をするカルト組織なのである。アンチ・キリストなのである。
万人の内奥に無限の創造性が脈動し、万人は宇宙と一体化して生きているのである。この無限の創造性は無条件の愛についての理解と実践を通じて、引き出されるのである。この知識を徹底して封じ込めようとしているのが、ユダヤ教、キリスト教、回教、そして各種秘密結社である。新自由主義を推進する米英超権力エリートは、歴史的にはエッセネ派系のラインに属している。イラク戦争についてローマ法王と米英エリートが真正面から対抗しているが、これはアンチキリスト2派の対抗的側面の現れである。ともにエリート主義思想(エリートは当然男のみと考えている。女は子生みマシンとしか考えていない)の点で呉越同舟なのである。大衆の個々には自力では何の救いもない、迷える子羊であり、神や権力にしたがうべき存在である、という信念体系なのだ。
最終的には、これらの勢力が思想的にも社会的にも完膚なきまでに克服されることが人間が霊的栄光に浴するための決定的な作業なのである。日本では天皇制がこのエリート思想の類型に属しており、日本人の霊的進化を低く抑圧させているものである。これら諸悪を一網打尽にするためには:
万人の内側に等しく、例外なく無限の創造性が脈打っていること(言い換えれば宇宙の無限の創造性に万物が等しく属していること)。生命の本質、創造性の本質が無条件の愛であり、この理解と実践(競争するのでなく相互に助け合い生かし合うこと)こそが、イキイキと明朗にいきることにつながり、創造性を引き出すこととなり、個々の霊的成長の道となること。それが真に宇宙的に美しいいきかたであること。このビジョンを世界に拡張すること。
これが、米英超権力、エリート思想にもとづくすべての全体主義の克服のための道標なのである。