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あっしらさん こんばんわ。 この問題は後にとっておこうと思っていたんですが、気が変わりました。
なお、これは以下に対するレスですが、かなり新しい話になってくるので別個のスレッドにしました。 興味のある方は、まず下のあんしらさんの論説をお読みください。
「カルタゴ」支配層は「カルタゴ」を捨てた代わりに今や「世界」を手に入れようとしている
http://asyura.com/2003/dispute8/msg/665.html
“乳児”精神の無能で臆病なエリート層が国家を支配していること − 主体的に国家間関係の在り方を追求してこなかったツケ
http://asyura.com/2003/dispute8/msg/637.html
(カルタゴおよびその後史について要約)
ご存じの方は飛ばしても結構です。 カルタゴは、フェニキア人(フェニックスの民)が今のチュニジアに紀元前に建国した国です。 この都市国家は丘の上にあり、後背地は沙漠でベルベル人が住んでいました。 地中海の真ん中にあり、交易には最適の立地です。 フェニキア人は中東から移住し、欧州およびアフリカ大陸西部と中東との交易によって莫大な富を積みました。 先進の中東文明の知識を持ち、中東からの珍しい物品を各地に販売することで利益を得ていたわけです。
国家運営は、近代国家に通じる政治制度(大統領制・内閣・議会)でしたが、実質は金持ち商人寡頭制です。 軍隊は傭兵です。
フェニキア人はもともと中東に根拠地を持っていましたが、度重なる戦乱から、条件の良いチュニジア地方に移住し、先進文明の知識をフルに生かして繁栄していたわけです。
ローマが興隆し、シチリア方面に勢力を延ばしてくると、必然的にカルタゴと衝突することになります。 これが第1、2、3次ポエニ戦役です。
第1次ポエニ戦役はシチリア争奪戦争です。 ローマが辛勝し、カルタゴから賠償金とシチリアを奪取して終了しました。 主としてこの後、カルタゴから現在のスペインへと植民地の建設が続きました。
第2次ポエニ戦役では、ハンニバルが傭兵を率いてローマ国内を荒し回りました。 ローマの軍人スピキオはカルタゴ本国を急襲しました。 ハンニバルはカルタゴに呼び戻され、決戦になりました。 このとき、背後のヌミディア(ベルベル人)の騎兵隊がローマに来援し、カルタゴは破れました。
カルタゴとローマとの間には安保条約が締結されました。 カルタゴは軍備を禁じられました。 その代わりに、紛争時にはローマが相手国と調停し、また有事には来援するという条約です。
カルタゴは「50年ローン」で賠償金をローマに支払うことになりました。
この後、ローマはスペイン植民地の反乱鎮圧、マケドニアとの戦争など、各地で戦争を繰り返し、疲弊していきました。 カルタゴは戦艦を建造してローマに贈与しました。
ヌミディアがカルタゴに来襲し、土地を奪取しました。 カルタゴはローマに調停を依頼しましたが、ローマは全然役に立ちませんでした。 やる気がなかったのです。 ヌミディアには土地を取られ放題でした。 危険を感じたカルタゴは再軍備し、ヌミディアと戦い、敗北し、軍備を失いました。 このときヌミディアの王が死亡し、とりあえず亡国の危険は去りました。
ところが、ローマはカルタゴの軍備と戦闘にケチを付け、大軍を送りました。 カルタゴは無条件降伏しましたが、ローマは許しませんでした。 カルタゴ市内のローマ友好派は粛清され、戦闘になりました。 カルタゴは敗北し、消滅しました。 ローマは丘の上に多量の塩を蒔き、二度とカルタゴが復活しないようにしました。
このとき、カルタゴの名家、主力は既にスペインに移動していました。 ここから策謀を巡らし、宗教を用いてローマを内部から変質腐食させました。 (推測ですが、中東由来の宗教も文物だけでなく、「麻薬」類も取り扱い、ローマの腐食を進め、莫大な利益を得ていたものと思っています。 ローマ帝国には中東由来の隠微な宗教がとりついていましたが、その祭祀の多くには麻薬の存在が感じられます)
カルタゴ氏族はスペイン、ヴェネチア中心に在住していました。 啓蒙時代にこれらの地域を窓としてイスラム先進文明が欧州大陸にもたらされました。 近代システムの多くはヴェネチアに起源を有しています(例えば複式簿記や特許制度が有名です)。 この主力はやがてオランダ、ロンドン、ニューヨークと移り住んだといわれています。
(カルタゴと現代日本の相違点)
カルタゴは都市国家であり、ご指摘のように、“特定場所”に執着することなく、蓄積した貨幣的富を持ち出してイベリア半島を中心とした地中海沿岸に新しい都市を築きました。 その武器は、商業(交易)、金融、情報宣伝(つまり宗教)です。 また顕著なパラサイト性を有しています。
日本はご存じの通り、どの要素もあまりありません。 商業は盛んですが、これは現在では「近代生産システム」を前提としたものであり、交易によってサヤを抜くという考え方とはかなり違うように思います。
(米国とカルタゴ)
現代米国にはカルタゴ的要素がふんだんに見いだされます。
現在進めようとしている中東戦争などは、カルタゴ的思想を想定しなければ解くことは困難と思います。 中東戦争がうまくいけば、その後の世界は「閉じたカルタゴ」となります。 しかもカルタゴには欠けていたローマ的な「強力な軍事力」が合体しています。 その意味でローマ+カルタゴ的システムともいえます。
日本はそのシステム下で細々と食って行けるでしょうか? 私はこれを「楽観的シナリオ」と考えています。 もちろん可能性はかなりありますけどね。
(ローマ−カルタゴ戦争史から日本滅亡の可能性を探る)
しかし、私は、(あっしらさんとはたぶん異なり)ローマ−カルタゴ戦争史と日米関係とが酷似しているという議論にも説得力を感じております。
だって似てますよね。
第2次ポエニ戦役と太平洋戦争との類似は明らかです。
最後に背後のヌミディア(ベルベル人)の騎兵隊来援で結着がつくんですが、これなんかソ連の満州侵攻を思わせます。 むろん、傭兵(カルタゴ)と徴兵(大日本帝国)の相違も目につきますが。
カルタゴとローマとの間の安保条約は、何だか日米安保+日本国憲法と似てますね。 カルタゴは軍備を禁じられました。 自衛権の所在はアイマイだったようです。 紛争時にはローマが相手国と調停し、また有事には来援するという条約でした。 片務的だったわけですね。 その代わりカルタゴは自前の軍備を持てないわけです。
ローマは地中海全域に軍隊を派遣し、たびたび戦争をしています。 米軍世界展開みたいです。 この戦争軍備が原因で経済的に疲弊するところも欲似ています。
カルタゴは「50年ローン」で賠償金をローマに支払いました(実際は繰り上げ返済)。
カルタゴは自前軍備の重荷から解放され(傭兵は高い)、結果的にローマに地中海の商圏を守らせ(賠償金をもってローマを傭兵とし)、持ち前の勤勉さで莫大な利益を上げ、バブル経済となりました。
賠償金返済後にヌミディアがカルタゴに来襲し、「国際紛争」が発生しました。 ここで、ローマは解決を引き延ばし、ロクな調停を行わなかったようです。 カルタゴは再軍備して侵略者と戦いましたが、これが安保条約違反だと言いがかりを付けられ、滅ぼされました。
北朝鮮とかはヌミディアの役回りのように思われます。
ここからは推測。 カルタゴ人は自らが滅ぼされた歴史を熟知しています。 米国にとりついています。 彼らは日本を第二次ポエニ太平洋戦争で無条件降伏に追い込んだ後、ワナを仕掛けました。
ローマ−カルタゴの安保条約の第一の目的は、「日本の米国への攻撃可能性」をゼロにすることです。 つまり「猛獣の檻」です。 ローマはカルタゴを恐れていましたし、カルタゴ人はおそらく日本を恐れていました。 今だって水爆ミサイルくらい簡単に作れるんでしょ。 それと共に、日本から金をとって軍備展開できるし、もしかすると日本をこづきまわし、機会を見て滅亡させるための道具にもなります。 どう思われます?
(日本の政治状況について)
(米国が与えてくれた新しい政治制度と国際関係を基礎に、破格の経済成長を遂げてきたという“成功体験”が、乳児が母親から離れるのを恐れるのと同じように「米国離れ」を恐れさせています。)
ご指摘の通りですね。 カルタゴでも第2次ポエニ戦役後はローマ友好派閥が強かったようです。 「ローマの公正を信ずる」とか言ってたわけです。
しかし、ヌミディアにさんざんいじめられると、今度は、金持ち中心に「自主自衛派閥」が力を付けてきました。 「再軍備してヌミディアをやっつけよう」という派閥ですね。
両方ともローマ保護下での経済発展に目を奪われ、安保条約について再検討することはなかったようです。 彼らは「檻」の中で争っていたのです。 彼らが目覚めたとき、そのときには城門の外にローマの大軍が押し寄せていました(米軍は「まさか」とは思っていますが)。
カルタゴ人は、歴史を熟知しています。 自らの先祖の体験です。 日本人の対応なんか手に取るように予測できたはずです。
(日本は独立主権国家として国際社会にいるべき国家ではないのです。)
19世紀的近代国家概念からいえば、最初から立派な半国家だと思います。 保護国です。 独立主権国家に片務的安全保障条約。 これはありえない組み合わせだと思いますよ。
私は、以上の歴史的アナロジーから考えてみて、安保条約はやはり危険な檻だと考えています。 いかがでしょうね。 だからと言って簡単に破棄できるものではありません。 だからこその檻なわけです。 しかし、いつかは檻を出る方向で検討した方が、長い目で見て安全のように思うんですが?
とりあえずは、単独軍事行動不支持を明確化することによって、ある程度の距離を置くという方策が、やはりベストだったと思います。 長くなったのでとりあえず終結させて頂きます。