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http://www.asyura.com/2003/hasan22/msg/690.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 28 日 16:15:21:
上の投稿からの感想レスなのですが、破産板の中で展開するの違和感があったため、こちらにコピーしました。
関連投稿にも連携して書きましたので、ご留意いただけると幸いです。
ビル・トッテンさんという方は、こういう事を考えていらっしゃる方なんですか、初めて知りました。
地域通貨、エコ・マネーについても著述のあるドイツの故M・エンデ(モモの作者)が、持続可能な生き方の開拓について日本に過剰なまでの期待をしていたようですが、トッテンさんもそういうタイプなんでしょうか。
しかし、あながち誤りとも考えられないんです。
神道という既成の形式やシステムに、悪い意味ではまりきった所からは、新しい生き方を生む感受性や、時代に適応しつつ持続性を持ち、創造性もある価値観は生まれ難いかもしれないと思うんですが、神道からも見えてくると感じる東アジア的な、”環境と生命への感受性と、観/vision”があれば、先に書いた新しい価値観は生まれる可能性があると思います。
これは別に神道の否定でも、キリスト教やイスラム教の否定でもなく、人間がアフリカの谷、森林や砂漠で、地球に適応する遺伝子を選び抜かれていたときから普遍的にありえた事だと思っています。
感受性の基盤をここに持てば、現在、私が言うような”環境と生命への感受性と、観/vision”が東アジアで特化して見えてるとしても、「これは普遍性のあることなのではないか・・」と思う事に、無理は生じないと思っています。
この”環境と生命への感受性と、観/vision”を核にして、持続可能制のある技術を編成する事は試せます。
これが非現実的で可能性がないとは言えないでしょう。
ここで、編成される技術は別に旧石器を作るとか言うわけではありません。(汲み取り式便所による循環システムの、そのままのリバイバルでもないと思います)
ちょっと持続可能な技術、パッシヴ技術等の情報を調べれば色々ありますよ。風車など補助金でバックアップされてやっと実現しているわけですが、東京湾にだってあります。
それらを組み合わせつつ、先ほどの感受性やvisionに共鳴する幸福が生まれる生活の形と言いますか系といいますか、小宇宙的なまとまりを探せばよい。
ドイツなど環境のテクノロジーを国家的にも開発支援しているようで、随分進んでいます。
いっぺんに完全な解を得ようとするのは無理。
今、理化研究所等で進んでいる脳科学や免疫学、環境医学等からも、ハードなテクノロジーだけではないソフトなテクノロジーが、サイエンスとアートの融和した形であらわれてくるかもしれません。
月に行く事を決定した時、それを完全に保証する技術は当時無かったと思うんですが、人間は行ってしまいました。ですから、出来ない事も無いでしょう。
ちなみに月への訪問客は、初めて立った月面で周りを眺め、言うに事欠いて石のある月面のコメントを「墓石みたいだね」とヒューストンに送ったらしいですが・・・。
そんな事するよりは、もうちっと地球に展開する荘厳の光景などに感動した方がいい。小さな雨蛙に命の共感を感じた方がいい。