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(回答先: 03/02/23 今日の本来の普通の中年の人格に基づく言動 投稿者 げいた 日時 2003 年 2 月 24 日 01:33:19)
げいたさん、こんにちわ。
>『現実世界は外的世界としてただ在るだけです。(現実世界そのものに意味や仕組み
>があるわけではないということです)』ということですが、私は寡聞にして、嘘でも
>間違いでも認識不足でもない、事実と論理に矛盾した現象というものを知りません。
>あっしらさんは、なにかご存知ですか?
>ご存知なければ、世界そのものには意味がないと判断なさるのは、早計だと思います。
「事実」も認識の成果であれば、「論理」も認識の成果です。
「在る」というのは、「事実」のことではありません。
「事実と論理に矛盾した現象」を“論理に矛盾した現象(事実)”という問いかけだと理解すれば、例えば、相対性理論もそうです。
光(電磁波)を物質だと考えれば、大気中なので速度は遅くなっていますが、それでも膨大なエネルギーを持つ物質が網膜や身体に激突していることになりますが、事実としてはひ弱な盲目さえ傷付くことなくやりすごしています。
「世界そのものには意味がない」がないという表現は、「世界に意味を与えているのは認識主体である」といいいたいだけのことです。
“意味”という概念的操作は、認識主体が行うものです。
>『認識主体(個人というわけでない)と対象世界との関係的認識過程が、現実世界に
>意味を与え、現実世界に仕組みをもたらすのです。(物理的な意味ではありません)』
>認識主体自体が、対象世界だったり、現実世界だと思うんですよねー。
>『意味を与え』、っていうのは、なんか傲慢な感じですよ。
「認識主体自体が、対象世界だったり、現実世界だと思うんですよね」というご指摘は、認識主体自体も対象世界=現実世界の構成要素ですから同意します。
認識行為の基本的な目的は、目的的活動をうまく達成することですから、主体も現実世界としてきちんと認識し意味を与える必要があります。
『意味を与え』っていうのは、あれは食べ物になる、あれは毒だ、といったことで、それほど深い意味があるわけではありません。
>『そして、現実世界の規定性を考慮しながら生存活動を営まなければならない我々は、
>自らが対象世界に与えた意味や仕組みをうまく利用しながら、対象世界に物理的に働
>きかけて目的を達成してきたのです。』
>だから『うまく利用』なんていう、感じの悪い見方考え方になるんでしょうねえ。
受け止める語感は人様々ですから、感じの悪い見方考え方になるんでしょうが、『うまく利用』というのは、合理的な活動ということです。
>すくなくとも私は、意味や仕組みを、できるだけちゃんと踏まえてるだけです。
>『対象世界に物理的に働きかけて』っていうのも、手段は文字とか音声とか見た目な
>ど、どうしても物理的でも、精神とか心理的に適うように、と働きかけるわけですか
>ら、それ自体意味を持ってて、精神的・心理的です。
げいたさんが踏まえている「意味や仕組み」は、どこ(何)に存在するものですか?
後半部分は、諸個人の関係的活動を通じた「類的認識」の生成という点では同意します。
「文字とか音声」がそれ自体意味を持っているとは思いませんが...。
>だいたいこの文章は、結局『生存活動を営まなければならない我々は、』『目的を達
>成してきたのです。』ってことでしょう?
>これじゃゴイムじゃないですか。
>騙されてますよ。
ゴイムでもユダヤでもいいのですが、げいたさんがまとめた趣旨のために書いたものではありません。
認識・活動主体と存在の関係について書いたものです。
げいたさんのまとめに即したものでも構いませんが、どう「騙されている」か、もう少し詳しい説明をしていただければ幸いです。