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(回答先: Re: ブッシュではなくフセインに掣肘を 投稿者 エーテル 日時 2003 年 3 月 18 日 06:10:32)
たまにはキレてみるのもいいだろう。
別に、ブッシュ政権などを支持しているから「ド腐れ人間」と罵倒しているわけではない。
議論に臨むあなたの態度をもって「ド腐れ人間」と罵倒しているのである。
エーテルさん:『ブッシュではなくフセインに掣肘を』( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/1194.html )とエーテルさん:『Re: ブッシュではなくフセインに掣肘を』( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/1224.html )を自分で読み較べてみるがいい。
説明不足や言い間違いを補うことはかまわないが、主張論理の構成を変えて後出しジャンケンのように実はと持ち出すのは、ド腐れ人間の証である。
今回書かれたことをあなたがはじめから書いていれば、まったく違ったやり取りになっていただろう。
読まれたどうかは知らないが、ブッシュ&ブレア政権がイラク攻撃をやりたいと言うのなら、止める力は持っていないのだから勝手にやればいいと考えている。
また、国際法や道義に関わらずにブッシュ&ブレア政権に日本が付き従っていくことを是とする主張についても、価値観の違いだから拒否せず真摯に受け止めている。
そして、そういう主張をする人たちには、どのみち国際法を犯すのだから、憲法を犯すことになっても総力を挙げて米英を支援する方策を追及すべきだとも言ってきた。
(勝利しなければ、戦争犯罪人となるからである)
>どうあってもフセイン政権の延命に手を貸したいご意向のようですが、残念ながらあ
>なたの論理ではアメリカを説得できません。
根拠も示さずに、「フセイン政権の延命に手を貸したいご意向のようですが」と勝手に書くようなことは慎んで欲しい。推論や推察の範囲を超えた斟酌は無用である。
そして、ブッシュ政権を説得するためにあなたと論議しているわけでもない。
くだらないすり替え論理を持ち出さないように!
>国連主導の武器査察そのものに最初から限界があるのに、それがあたかも万能である
>ような幻想に立った見とおしは無意味です。今後何ヶ月査察を継続しようとも、フセ
>イン政権に支配されたイラクが未来永劫人畜無害であるなどという結論は出ません。
>アメリカは最初からその事が分かっており、国際社会を納得させるためにズルズルと
>攻撃を延ばして来たに過ぎません。
米英は、そのような戦術を採りながら、結局は納得させることができなかったんだろ!
「人畜無害」については人畜無害であるという基準を示し、ある国家が「未来永劫人畜無害であるという結論」が出る条件やかたちを示して欲しい。
>国連の立場はそれで良いかも知れませんが、アメリカの立場は異なります。アメリカ
>は、大量破壊兵器を全面廃棄する意思のない、自国へのテロ支援の温床となりうる政
>権は潰すしかないと判断しています。911以降全てが変わってしまいました。国際
>社会を、同じように主権を有する対等な国々の集まりと考えること自体が幻想です。
>米国の動きを止めるには、フセインが亡命し、全面武装解除に協力する姿勢を見せる
>か、フセイン政権下のイラクが米国にとって今後全く脅威たり得ないことを証明し、
>万一そうでない場合の補償をどのようにするかを示さなければなりません。前者の可
>能性は一本の髪の毛の太さくらい、後者の可能性はゼロですから、米国の攻撃を止め
>る手段はないのです。
「911以降全てが変わってしまいました」という前ぶりであじゃこじゃ書くのなら、9・11の構図をきちんと示して欲しい。
フセイン政権とアルカイダもしくはテロリストに関係があるかどうかは脇においていいが、9・11がアルカイダの犯行であるという根拠を示してください。
その後で、「フセイン政権下のイラクが米国にとって今後全く脅威たり得ないことを証明し、万一そうでない場合の補償をどのようにするかを示さなければなりません。前者の可能性は一本の髪の毛の太さくらい、後者の可能性はゼロですから、米国の攻撃を止める手段はないのです」についての議論をする。
>>「アメリカを標的とするテロに手を貸す動機」を持つ人や国家は、イラク以外にも
>>考えられます。
>>つまらない比喩ですが、犯罪を犯す動機があることをもって拘束や攻撃を容認する
>>論理につながる話です。
>>そういう秩序もありですから、それを是とするのなら、民主主義ではなく全体主義
>>の名のもとに主張すべきです。
>この認識は大いなる倒錯です。軽率なブッシュ大統領は、当初十字軍的な発言をして
>しまいましたが、イラク攻撃はあくまでもテロに対する闘いの一環であって、民族や
>国家間の対立でもなければ、宗教上の対立でもありません。
>アラブ対アメリカの構図に引き込もうとしているのは、テロの側であり、フセインの
>側です。攻撃の対象を誤ってはなりません。ナチスを放逐したのは、チェンバレンで
>はなく、チャーチルであり、ローズベルトです。アメリカが民主政体である限り、ご
>懸念されるような行き過ぎが仮に将来発生するとしても、必ず是正されます。全体主
>義には繋がりようがありません。
「この認識は大いなる倒錯です」の根拠が、「イラク攻撃はあくまでもテロに対する闘いの一環であって、民族や国家間の対立でもなければ、宗教上の対立でもありません」というのは“倒錯根拠”のかけらにもなっていない。
あなたの論は、犯罪を犯す動機があることをもって拘束や攻撃を容認する論理につながっていると言っているのであり、「民族や国家間の対立」や「宗教上の対立」なぞを問題にしていない。
「アラブ対アメリカの構図に引き込もうとしているのは、テロの側」というのも無関係で、今回のイラク攻撃を正当化しようとしている理由だけを問題にしているのです。
「この認識は大いなる倒錯です」の根拠を、再度きちんと示してください。
「アメリカが民主政体である限り、ご懸念されるような行き過ぎが仮に将来発生するとしても」ではなく、現実の米英政権が行っていることやあなたの主張が既にそうだと言っているのです。
現実がそうであると認識できない人は、将来の現実に遭遇してもそうだとは認識できないでしょう。
別に全体主義が悪いと主張しているのではなく、世界の秩序維持のためにある国家に予防先制攻撃を仕掛けるという考えが全体主義的だと言っているだけです。
「必ず是正され」ようが、全体主義的判断であるかどうかは無関係です。
>その証拠にフセインが明日暗殺されれば(又は亡命を発表すれば)、米国は直ちに攻撃
>の正統性を失い、計画を中止するでしょう。
これについては、フセイン大統領が亡命を発表することはないようだから結末を知ることはできないが、私には、それで攻撃が中止できると保証することはできない。
なぜなら、米英は、もともと、そのような要求を公には提示してはいないからです。
米英は、イラク攻撃の理由付けを、状況変化に応じてご都合主義的に付加しているだけです。
>その時々の情勢によって大国のご都合主義としか思えない対応があったことはご指摘
>の通りと思います。
だったら、「クルド人を始めとする目障りな連中に非人道的な暴虐を加えたことも明白。このような人物を排除することは国際社会の合意になっている。揉めているのは、その手続きを巡ってのことに過ぎない」という論をもっともらしく書くのではなく、はじめからそう言えということになる。
>>そのような考え方でイラク攻撃に反対している人は極めて少なく、戦争で人が殺さ
>>れるのはイヤだという気持ちが圧倒的多数の人を反対に向けさせていると推察して
>>います。
>戦後日本の平和ボケを象徴するようなコメントですが、「何があっても妥協しないと
>いう意志」(この場合、フセインの政権の座への固執)が存在する以上、これを強制的
>に排除するのは究極的には武力でしかあり得ません。そうした冷酷な現実を無視した
>コメントは意味がありません。
あなたが「翻って日本は、できれば誰からも恨まれたくないし、はっきり言ってフセインがこのまま政権に居座ろうが、殺されようが、どうでも良い事だと思っている。もっとはっきり言うと、イラク人民が戦争で死ぬ事にすらほとんど関心はなく、経済が悪くなると困るとか、日本が復興資金をせびられるのはイヤだとか、軍隊など出したくない、という手前勝手な考えが本音なのではないか」と書いたから、反戦世論の意識を自分なりに推察したのであって、「そうした冷酷な現実を無視したコメントは意味がありません」という頓珍漢なレスをもらっても笑うしかありませんね。
また、「平和ボケ」という愚にもつかない言葉を振り回すのは、ド腐れ人間の証です。
「平和ボケ」とはどういう状況を意味するのか説明してください。
>現実的な国際的政治・軍事力学の下に安定と平和をもたらすことが正義です。
これは、正義というより国際秩序の実現方法ではあっても、正義(の基準)の説明にはなっていません。
それはともかく、「現実的な国際的政治・軍事力学」の実態を説明してください。
>確かに傲慢で余計なお世話かも知れませんが、あなたの発言が、全体主義やカルトに
>マインド・コントロールされている人々の発言に似ていると思うのは気のせいかしら。
私は個人主義よりも全体主義を重視しています。
ある個人の自由は、全体(国家や共同体の全構成員)の安定した生活維持のために制限されるべきだと考えています。
私はマインド・コントロールされていると思っていますが、そのような言葉を吟味することなく持ち出すのは、ド腐れ人間の証です。