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パレスチナ・ガザ地区で人間の楯として訪れていた23才のアメリカ人女性がイスラエル軍のブルドーザーによってひき殺されました。イスラエルという国に私も相当頭にきています。
ただ一つ矛盾を感じることがあります。阿修羅で木村さん佐藤さん(あっしらさん)などがどこかヒステリックに反応されているのですが(騒ぎが起こると嬉しく駆け回ってしまうような方も見える)、知って欲しいのですが、ガザやウェストバンクではイスラエル軍によって、それこそ毎日パレスチナ人が無意味に殺されているのです。
パレスチナ人が殺されても誰も見向きもしませんが、アメリカ人が一人ころされただけで、上へ下への大騒ぎ。死が日常化すると、死が軽くなり、死が例外的だと大騒ぎになるという矛盾。この矛盾はどうしようもないのですが、日本人の意識は英米人のそれに染め抜かれているのではないかとおもうのです。アメリカ人が死に、主要英語メディアで取り上げられてはじめて大騒ぎしている図はどこか滑稽にも見えるのです(失礼)。つまり、パレスチナ人の死はアメリカ人の死より数千倍軽いと無意識に思い込んでいるのではないでしょうか?今回のアメリカ人女性の死を欧米主流メディアといっしょになってヒステリーを起こしている人たちは、日常的に起きているパレスチナ人の虐殺には、日頃何の注意も関心も寄せていないのでしょうか?英米メディアの側からしか、ニュースをとっていないのではないでしょうか?
パレスチナ人で起きている日常的な虐殺を日頃から無視しているからこそアメリカから若い女性が訪れなければならなくなり、その結果、彼女の死がおきたわけでしょ?日頃のパレスチナでの暴力を告発しない事で、アメリカ人のたった一人の死でヒステリックに反応する結果になっているのでは?
うまくいえないのですが、米英人にかぶれたように、英米人の気持ちで英米人の死をいたむのも結構ですが、その気持ちをもっとパレスチナ人の死に対してむけていただけませんか?
阿修羅でもよく引用されていパレスチナ専門サイト
などでパレスチナ情勢をチェックしておれば、毎日でもパレスチナ市民の無辜の死の報告に接する事ができ、今回のようなとき突然米英人化する必要もないのではないでしょうか?日頃米英をトコトン批判している人たちだけに、どうも滑稽な印象、苦笑が免れまないのです(失礼!)。