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小室直樹著「国民のための経済原論II アメリカ併合編」を書評する。(4)
(承前)
2・3「プラザ合意」について
2・3・1 「合意」事項。
1、1985年9月22日、日曜日。ニューヨークのマンハッタンにあるプラザホテルで、先進五ヶ国(G5)の蔵相、中央銀行総裁が集まり緊急会議が開かれた。(小口幸伸著「外為市場血風録」p.117)
五ヶ国蔵相名は以下の通り、
ジェームズ・ベーカー(米)
竹下登(日)
ゲルハルト・シュトルテンベルク(西独)
ピエール・ベレゴボア(仏)
ナイジェル・ローソン(英)
(吉川元忠著「マネー敗戦」p.39)であった。
2、ここで「合意」されたことは、次の二点であることが(今では)わかっている。
@、「協調介入」
A、「協調利下げ」
2・3・2「協調介入」。
1、中央銀行が為替売買をすることを、特に「介入」と呼んでいる。介入する際は銀行に、直接またはブローカーを通して、売買の注文を出す。変動相場制の初期、中央銀行は急激な相場変動を滑らかにするために介入(スムージングオペレーション)するとされていたが、特にプラザ合意の頃からは、特定のレート水準を年頭において相場を押し上げたり、押し下げたりする介入が多くなった。
介入には、各国の中央銀行が自己資金で協力して介入する「協調介入」、海外の市場で当該国の中央銀行に介入の業務だけを依頼する「委託介入」(この場合の資金は依頼する側が出す)、一国だけで介入する「単独介入」がある。国際間で介入の必要性をどれだけ共有できるかによって介入の形態は異なる。
日本の場合は単独介入が多く、介入額が巨額なことが多い。
(小口幸伸著「外為市場血風録」p.113)
2、この合意を受けて、翌日の市場で円は225円まで円高(ドル安)になった。前週末のニューヨーク市場の終値が238円台だったから、一日で約13円もドル安円高が進んだことになる。(小口幸伸著「外為市場血風録」p.117)
3、八七年一〇月一九日、月曜日。ニューヨークの株式市場ではダウが22.6%下落した。
週明け月曜日(ブラック・マンデー)の東京では、ドルは一時140円台まで下落した。(小口幸伸著「外為市場血風録」p.133,134)
4、つまり、ドルは、世界の主要五ヶ国の「合意」の下に、一九八五年九月から一九八七年一〇月までの2年間で、ほぼ100円も下落した。・・・ということは、結果的にこの場合の「協調介入」は「成功した」わけだ。
5、(その後、どういうわけか1990年前半頃(といえば、日本で「バブル」が弾けた頃だが)までドルが上昇する局面があって、しかし、その後は一九九五年四月の79.75円という円の「史上最高値」までほぼ一本調子で下げる。・・・罫線を遠目で眺めると、「二段下げ」の形だが、この事の観察は後に譲る。)
6、しかしながら、その下落過程の初動は必ずしもスムースなものではなかったらしい。
相場はプラザ合意後二ヶ月ほどで一時二〇〇円を割ったが、すぐに二〇〇円の大台に戻り、そのあたりで推移していた。あまりにも早いドルの下落のスピードに、行き過ぎを指摘する声が産業界から出ていた。ディーラーの中にもためらう者が多かった。(小口幸伸著「外為市場血風録」p.123)
ディーラー達は何故「ためらった」のだろうか。
その答えは一つしかないように思える。・・・つまり、こういうことだ・・・
・・・彼らは「為替」取引のプロであり、世界の資本取引の現状、とりわけ日本が、所謂「レーガノミックス」の補完として「ドル建て債券」をどれほど大量に保有しているか、またそれが「円高ドル安」によってどれほどのダメージをうけるか、ということに関して熟知しており、常識的に考えれば早晩日本の対米投資の大規模な引き上げ(この後の話だが、一九九七年の「アジア通貨危機」の祭にアメリカ系資本がやってみせたように)が起こっても決して不思議ではない、とおもっていたからだ。
すくなくともこの時点では、彼らは日本が「独立国」としての意志を発動しうる存在であるとみなしていた、ということなのだろう。
6・1、 「ディーラー達の『ためらい』」についての補遺、あるいは「協調介入」の本質的困難性、について。
1、今日は3月15日です。昨日の「日経新聞」の「きょうのことば」欄に「協調介入」の解説がありましたので、全文書き写しておきます。
財務省や中央銀行など通貨当局が国のお金を使って外国為替市場で通貨を売買する市場介入について、複数の国が連携して実施すること。各国が協調することで介入効果をたかめる狙いがある。為替相場の水準は原則として市場の需給に委ねているが、相場が乱高下する場合、通貨当局は介入で市場の混乱を防ぐ。日本では財務省の指示を受け、日銀が外為市場で円やドルなどを売買する。
最近では2000年9月、ユーロ下落を阻止するため、日米欧の通貨当局が7ヶ国(G7)財務省・中央銀行総裁会議直前にユーロ買いの協調介入を実施した。ただ、国内輸出産業への配慮などから各国が「自国通貨安」を望み、協調介入に踏み切ることは難しい面もある。
この「国内輸出産業への配慮などから各国が「自国通貨安」を望み、協調介入に踏み切ることは難しい面もある。」という一文を理解するためには、次のような、「為替取引」の特質を踏まえる必要がある。
・為替をある意味では面白く、ある意味では難しくしているのは、為替レートが二つの通貨の組み合わせで動くという点である。ここに為替の本質があると言っていい。
・為替以外のものだったら、そのものを売って現金に替えればいい。しかし、為替の場合は通貨そのものが売買の対象であり、ある通貨を売ることは別の通貨を買うことである。(小口幸伸著「外為市場血風録」p.75)
例えばドル-円相場において、円買いによる円高はその反面必ずドル売りによるドル安なのであって、その結果は最も直接的かつ基本的には、日米両国の輸出産業にまさしく正反対の影響を及ぼすのであり、ここに協調介入ということの本質的な困難性があるはずなのだ。
それでも現実に協調介入という事象が存在するとすれば、その裏には必ず(国際)「政治」面での要因が存在するとみなければならない。
要するに「協調介入」とは、国際「経済」に対する「政治介入」に他ならない。
・・・ここまでは、いやしくもディーラーたる者の常識であろう。・・・しかしこの場合の「政治要因」の重みがどれほどのものであるかまでは読み切れていなかったのだろう。
2、「相場」というものを「政治」によってどの程度まで操作しうるものなのだろうか?
このことについての、第一線のディーラーであった小口幸伸氏の見解は次のようなものである。
米国当局の影響力は確かに世界で一番強い。しかし、彼らが介入すれば必ず為替相場がその意向どおり動くかというと、成功するときもあれば、失敗するときもある。G7(日本・米国・ドイツ・英国・フランス・イタリア・カナダの先進7ヶ国)もしかり。誰かが為替市場をコントロールしているという見方は妄想である。(小口幸伸著「外為市場血風録」p.70)
このような見解の背景には次のような為替相場の現況がある。
・昔ながらの円やドルの売り買いは、現実に行われる輸出や輸入と同時に行われる性格のものであった。(略)通貨の売買は、かつては必ず貿易という実物経済の動きとリンクしていた。これが為替取引における実需原則という「規制」であった。
・ところが今日、為替取引の実需原則は、ほとんどの国において撤廃されており、輸出入にともなって円をドルに、ドルを円に替えるという為替取引は、ほんのわずかの割合でしかなくなってしまった。世界の主要市場での外国為替取引高は、一日平均1兆1900億ドル(95年4月)であったが、これに対して同年の世界の貿易規模はその1.2%に過ぎなかった。残りの98.8%は先のグラフの証券投資などにともなう為替取引や、さらに(これが大部分を占めるのだが)通貨そのものを別の通貨で買う、いわゆるディーリングによる為替取引となっている。(吉川元忠著「マネー敗戦」p.42)
ディーリングの目的は値ざやを稼いで「儲ける」ことであって、それ以外の取引基準はない。
ディーラー達はひたすらに、安く買って高く売る(あるいは、高く売って安く買い戻す)ことだけをめざしている。・・・「賤民資本主義」の権化(乃至は純化)とでもいうべきか。
それはともかく、ここで小口氏が言っているのは、相場はそのような絶対的に利己的なディーラーたちが実際に行う諸取引の総体の差額として形成されるしかありえないものであり、それゆえ、もし相場を操作しようとすればそれはとりもなおさず、世界のディーラーの大多数の思惑を一方向に誘導することであって、そのようなことがつねに可能であると考えるのはおかしい、ということであろう。
3、プラザ合意における介入が成功した理由として、小口氏は以下の五点をあげている。
@米国が積極的に介入に加わったこと。
A各中央銀行の介入のやり方が変わったこと。(スムージングオペレーションから、ドルの押し下げ介入へ)
B市場へのサプライズがあったこと。
C既にドルが下落傾向にあり、介入はその流れを後押しするものであって流れに逆らうものではなかったこと。
D総合的な政策だったこと。(新通商政策の発表、等) (小口幸伸著「外為市場血風録」p.120〜2)
7、この、「合意者たち」にとって不本意な局面を打開したのは、日本国蔵相たる竹下登であった。
・八六年一月のその日も、私はドル円のディーリングをしていた。
・米銀Cがドルを売ってくると予測して、その時点の市場の値よりも少しドルを安く建値した。200.90-00(200.90買い、201.00売りの意)だ。これなら相手がドルを200.90で売ってきても(私のドル買いになる)、そのドルを市場の値である201.00前後で他の銀行に売れば少し利益が上がるはずだ。予測に反して相手がドルを201.00で買った場合は、市場でほぼ同じレートでドルを買えるはずだから損はないと判断した。
相手は案の定ドルを売ってきた。取引が成立した、その瞬間だった。ロイターのニュースのヘッドラインが画面の下に点滅した。新しいニュースが出ると、電子音とともに文字が点滅しながら画面に映し出されるのだ。
<米国訪問中の竹下蔵相は一ドル=一九〇円でも問題はないと語った>
市場が消えた。(以下略)
市場ではしばらく取引がまったく成立しなかった。(以下略)
(小口幸伸著「外為市場血風録」p.124〜)
上記引用文における「ディーラーたちの『ためらい』」とは、要するに日本がどう出るか、ということであった。
その「ためらい」を竹下登の一言が粉砕した。
この後「円高ドル安」に逆らう要因は無くなった。
「円高ドル安」トレンドが定まり、「それから数年は、ディーラーにとっては変動相場制始まって以来最も儲けやすい簡単な相場が続いた。(小口幸伸著「外為市場血風録」p.123)
「プラザ合意」における竹下登の果たした役割はきわめて重要だという気がしてくる。いったいどういう人物なのであるか?
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