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05/01/2003RENK代表/李 英和:*『SAPIO』2003年1月8号より修正・転載
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2002年10月末、北朝鮮に潜入していた新たな民主化闘士が国境を突破して中国へ帰還した。北朝鮮人青年の李萬鉄(仮名、32歳)氏である。今回の任務は、北朝鮮国内の民主化組織の協力を得、「経済改革」に関する労働党の内部文書を入手することだった。一見不可能に思える任務を、李萬鉄氏はみごとにやり遂げた。
識者の一部には、民主化勢力が北朝鮮国内に存在すること自体に疑念を差し挟む向きある。完璧な秘密警察網を備えた金正日体制の下で民主化組織が生まれ育つはずがない、という思い込みである。だが「弾圧あるところに抵抗あり」という格言は、古今東西はもちろん、北朝鮮にも当てはまる。たしかに、民主化勢力は金正日体制を自力で倒せる力量をまだ備えていない。だが、着実に力を蓄えている。安哲氏の秘密撮影に始まり、李萬鉄氏の内部文書奪取に至るまで、隠密作戦を連続して成功させるまでに成長した。「論より証拠」である、今回公表する内部文書は民主化組織の秘めたる力量を示している。
分け知り顔の識者だけでなく、金正日にも忠告しておくべきだろう。足下の敵は未熟かもしれないが、その闘争意欲は正面の敵(ブッシュの兵隊)をしのぐ。「十回殺されても金正日を決死打倒する」と宣言済みである。とを忘れるべきではない。李萬鉄氏は、海外向けのビデオレターで、北朝鮮国内の状況と脱北者の心情についてこう述べている。
「国内は相変わらず電気もない、テレビも観られない、新聞にも読むべきものはない。〔情報に関しては〕漆黒の闇の状態で、地獄に帰ったような気になった。金正日の悪口はまだ公然とは言えない。それでも、以前は全くと言ってよいほど社会不満を口にできなかったが、『こんな調子でやっていられるか!』とか『こんな政治ではダメだ』とか不満を口にするのは今や当たり前になっている。余りに長い間、生活が苦しすぎたので、もう統制できなくなっている。〔脱北者は〕北朝鮮に帰れるものなら帰りたい。生活が良くなったらというのではない。それよりも、とにかく体制が変わったら帰りたい。改革開放された祖国なら帰りたい」
こんな国民の不満の高まりに危険を覚えた金正日は「経済改革」なるものを2002年7月から実施した。太陽政策派の識者などは、これを市場経済的要素の導入による「改革開放への第一歩」と評価している。それが大間違いであることは本誌既報の通りである。それでも太陽政策派の誤った評価は消えない。そこで、金正日式改革の本質を、李萬鉄氏が奪取した内部文書それ自体にずばり語ってもらうことにする。そこには金正日の覚える焦燥感が浮き彫りになる。そして、金正日の統治能力の無さが透けて見えてくる。
◎前代未問の自己批判文書
内部文書は表紙を含めてB5判8頁の冊子になっている。漂白剤の足りないせいで灰色のままの再生紙に粗悪な活版印刷で印字されている。表紙の左肩には「対内限定」(部外秘)と記され、末尾には通し番号が振られている。表紙の記載から、朝鮮労働党出版社が発行した「講演及び解説談話資料」であることがわかる。表題は「価格と生活費を全般的に改定する国家的措置をよく知り、強盛大国建設を力強く早めよう」となっている。今年7月実施の「経済管理改善措置」(7・1措置)に関する公式文書である。
この「金正日式改革」の実施に先立ち、6月1日付けで内部文書が作成されたという。李萬鉄氏が奪取したものとは別バージョンでA4判43頁の大部におよぶ。その内容については、同文書を入手した韓国の「朝鮮日報」が10月16日付けで紹介記事を掲載している。この「党・政府機関の幹部らと、将校らの講演、学習資料用」は、「内容を綿密に分析すれば、北朝鮮当局の政策意思と方向を読み取れる極めて重要な文書」と評価されている。
これに対して、李萬鉄氏が奪取した文書は各工場や農場、軍部隊や大学など、生産および活動単位で新政策の実施時期に合わせて用いられたものである。生産・活動単位の長が部下たちに新政策の意義と狙いを説明するために作成された。文書は配付されないので、内容は簡潔明瞭、表現は直截でなければならない。
実際に一読してみると、単純かつ明快である。「綿密に分析」しなくても、その「政策意図と方向性」が一目瞭然となってる。その意味では、まさに「第一級資料」といえる。ともあれ「百聞は一見にしかず」である。以下、要点だけを抄訳する(下線部=引用者)。
〔前略〕最近数年間、我々は社会主義建設において価格事業を正しく行えず、国の経済事業全般に重篤な悪結果をもたらした。現在、国定価格が農民市場〔闇市場のこと〕の価格よりも低いせいで、商売行為が盛行し、国家には商品が不足しているのに、個人は商品に囲まれているという現象を招来している。農民市場に行ってみると、米を始めとする食料品から工業製品に至るまで、生活に必要なほとんど全ての品物がみんなある。その大部分は、低い価格空間を利用して、国家物資をごっそりと掠め取り、高く売っているものである。だから、生産は国家がやっているのに、商品やカネはほとんど全部が個人の懐に入っていく。〔略〕
現在、個人の商売人たちは豚肉を生肉1キロにつき60〜80元で仕入れては農民市場で暴利を得ているが、今後は国家が仕入れる値段がそれよりもっと高くなるので、おのずから豚肉商売人たちは居所がなくなる。〔略〕
これまで社会的に許容してきた各種の価格基準を全て無くし、全ての商品価格を一種類の基準で統一した。これからは商品の需要と供給が変動するのに応じて、商品流通と貨幣流通を円満に保障できるよう、商品価格を固定させないで能動的に継続して調整するようになった。〔略〕
また今回、国家は社会主義分配原則を正しく実施し、人びとが実際に自分の働いたぶんだけ、そのぶん得をするよう生活費も改定した。〔略〕
我々がこれまで適用してきた低い価格による食糧供給制は1946年から実施してきた。過去、労働者、事務員の実質生活費に占める食糧の値段の割合は、わずか3.5%にしかすぎなかった。一日だけ働けば、一箇月の食糧を買って食べることができたので、わざわざ苦労して働かなくても暮らして行けるようになっていた。働ける家庭主婦の多くが社会に進出せず、一部の労働者が生産活動に熱誠を示さない理由はまさにここにあった。〔略〕
これからは、国家が協同農場から買い上げた食糧に値段に一定の付加金を加え、今の食糧供給基準を超過しない範囲で売り与えるようになるが、そうなれば勤労者の実質生計費に占める食糧の値段の割合は50%程度になる。このように、全ての物を正しい値段で買って使うようにする。〔略〕
まず、新たな国家的措置に対して正しい認識を持たねばならない。現在、一部の人びとの間では、食糧も不足し、商品もないのに、物の値段と生活費を上げて経済問題が解決されるのか、国家が値段を引き上げれば市場価格がもっと上がる、と言って半信半疑している。これは、今般の措置の意図を深く理解できず、社会主義経済管理に対する認識が不足しているところに原因がある。〔略〕
現在、人民たちは、いまや苦労して働けば国が富強になり、全員が良い暮らしができるようになったと喜んでいる。〔略〕
基本は、誰もがみんな、苦労して働き、もっと多くの物質的富が創造されるようにしようということである。ところがいま、一部の人びとの中で、新たな経済措置に対し、自分勝手に解釈して、良からぬ世論をかき立てる現象が表れている。我々は今般の国家的措置が国の経済を速く発展させ、人民生活を実地に解決できるようにする正当な措置であることをはっきりと知らねばならない。〔後略〕
私が推測するに、こんな講演を聴かされた住民は口をあんぐり開けて呆れ返り、苦笑と爆笑をこらえるのに一苦労したことだろう。「一日働けば一箇月食える」という地上の楽園は、いったい何処の国のことなのだろう。餓死者が続出したのは、闇市場と商売人のせいではないだろう。金正日の失政のせいである。黙って餓え死にしたくない国民が商売に励み、農民市場を一大闇市場に発展させた。おかげで国民の半数が餓死する最悪の事態をなんとか免れたのである。そもそも闇市場には国家が生産した品物は何も売っていない。国家は武器以外、ほとんど何も生産しなかったからだ。食料品から工業製品に至るまで、ほとんど全ての商品は中国製であった。
なのに金正日は、なにを勘違いしたのか、あるいは逆恨みしたのか、「電撃戦」(価格競争)を仕掛け、闇市場と商売人の撲滅を狙った。闇商人よりも国営商店が少しばかり高い値段で仕入れ、少し安い目の値段で売る、というのである。そうすれば国が富強になると金正日は信じて疑わない。ところが、国営商店の幹部連中の不正腐敗、先行き不安とインフレ期待の売惜しみで物価は暴騰した。人民は「喜ぶ」どころか「絶望感」を深めている。
ろくでもない講演を聴かされた一般国民は家に帰って「こんな政策がうまく行くはずがあるか!」と悪態をついている。講演者である当の工場支配人は自宅に戻って「とてもやっていく自信がない」と辞表を書く。闇市場の商売人は「戦争」に勝ち抜くため、路上でのキャッチセールスで対抗し、安売りで国営商店に猛反撃を開始している。民主化勢力は金正日による「不当な措置」が広げる「人民の海」を泳ぎ回り組織拡大を図っている。
◎金正日式改革の真の狙いは「封建制」の維持
結局のところ、金正日式改革は市場経済への段階的移行を目指すものでも、改革開放への第一歩を踏み出すものでもなさそうだ。最大の眼目は、市場経済的要素(配給制の廃止)を借用して、真の市場である「闇市場」を撲滅することにある。金正日は「夷を以て夷敵を制す」つもりなのだろう。
だが、闇市場と商人を撲滅した後に、いったい何が残るというのだろうか。不正腐敗まみれの党幹部連中と、商品を国内通貨や国定価格で売ろうとしない国営商店だけである。商品価格と生活費(給料)は、需要と供給とは無関係に、金正日と労働党が決めることになる。その際に基準となるのは、「豆と人民は絞れば絞れるほどよい」という、市場経済とも改革開放とも無縁な「封建制の金科玉条」である。
他方で、独裁体制の動揺という観点から特筆されるべき点がふたつある。ひとつは、内部文書とはいえ、労働党が「国民の政策批判」を公式文書に記載し、その内容を国民向けの講演で披瀝していることである。もちろん金正日が「表現の自由」を認めるようになったわけではない。とても無視できないほど「良からぬ世論」が拡散し、国民の不満と動揺が危険水位に近づいている証拠である。もうひとつは、「一日だけ働けば」云々という表現の示唆するところである。もしこれが荒唐無稽な現状認識の発露でないとすれば、金正日が「文化大革命」の発動を企んでいる兆候なのかもしれない。「社会的に許容してきた各種の価格基準の全廃」とは、体制維持の要である「核心階層」の懐に手を突っ込み、一部を「動揺階層」へと格下げする腹づもりなのかもしれない。搾る豆粒の数を増やそうというのである。だとすれば、核心階層に文字通り深刻な動揺が走りかねない。
ともあれ、金正日式改革は、独裁体制の生き残りを賭けた「最後の大博打」である。これに失敗すれば、金正日にはもうやり直す機会はめぐってこない。そして、粗悪品の金正日式改革は、重油と食糧の援助半減にくわえてミサイル輸出船の臨検という事実上の経済制裁発動で、早くも賞味期限が切れかけている。その断末魔の足掻きが「戦争カード」の選択である。戦争騒ぎで国民の不満を逸らし、あわよくば援助を脅し取る「一石二鳥」を金正日はもくろんでいる。